リヨン滞在3日目 そしてストラスブールへ
 列車の出発は夕方17時少し前。

 お昼は日本人のご夫婦が開いていて、大変評判のフランス料理のお店で食べることになっている(夜は1週間前には予約を入れないと取れないらしい)。

 それまでの午前中、どうしようと地図を見ていたら、どうやら昨日のあのバジリカ(フルビエール・ノートルダム大聖堂とネットに出ていた)に歩いて登っていけそうだと気がついて、登った。

 細かい階段を登り続けること30分ほど、しかも途中で道を間違えたのでもう15分ほど余分に登り続けて、たどり着いた。

 昨日あんなに寒かったし、今日は下着シャツを4枚、さらに色物のシャツを2枚重ね着をして、その上にジャケットを着て、それでも登り始めは寒かったが、さすがに頂上に辿り着くころにはうっすらと汗をかいていた。

 登る途中は壁に囲まれた階段で余り面白くなかった。
 もちろん振り向けば目の前にソーヌ川、ホテルの近くのサン・ポール教会も時々は見える。

 高く上るにつれ、リヨンの町並みが段々と小さくジオラマのように見えては来るのだが、基本的にはただただ階段を踏み外さないように気をつけて登る面白くない選択だった。

 少し後悔しながらやっと上まで辿り着いて、ぱっと目の前にバジリカが見えた時のうれしさはなんとも言えない。
 
 そのうれしさで写真を取りまくったが、ふと見ると、売店のすぐ横に石の階段があり、

「緑地帯 6:30~21:30開園」

と書いた看板が見えるではないか(時間についての記憶は正確ではない)」。

 団体観光客に説明していたツアーガイドさんに、

 「下まで降りられるのか」

と聞いたところ

 「大丈夫」と言う答えだったので、

下りた。

 「そういえば昨日もあの看板は見たのに」

と思ったが、

 『問題意識がないと問題のありかが分からない』

という格好の例の一つだ。

 階段と違って上り下りし易いように斜面をくねくねと道が作られており、しかも昨日までの雨をしっかりと含んだ新緑の下り道。

 階段と違って登って来る人も結構いる。

 「ボンジュール」と挨拶を交わしながら降りていく。

 心地よく、身も心も洗われるかのような大きな贈り物をもらった感じだ。

 リヨン在住のOさんに話すと

 「その道は、今の時期が一番気持ちが良くて、私も時々やるんですよ。ただ、夏はちょっと…」

 とのお墨付きをもらった(ちなみに彼女も階段をやったことがあるそうだが、「あれはお勧めしませんね」とのことだった)。

 お昼は最初に述べた日本人レストラン。

 こってりとした濃厚な典型的フランス料理ではなく、しっかりとした味付けだが、繊細でさわやかな料理だった。

 そんなわけで、今、ストラスブールへの帰り道の列車の中で、リヨン滞在を思い出しとても幸せな気持ちに浸りながらこれを書いている。

 ただし列車はすでに1時間遅れ。

 そして、ストラスブールに着いて家までタクシーに乗ったところ、12ユーロのところをお釣りが無いと言って15ユーロ取られ、しかも部屋のインターネットが繋がらず、今のところ復旧の見込みなし(レセプションは土日休みで、「インターネット接続に関してはレセプションを通すように」というお達しが、セッティングの説明文書に貼られている)。


 であったが8日午後10時頃復旧し、今アップする。
リヨン滞在2日目
 前日薦められた取り合えずリヨン1周、乗り降り自由のグランド・ツール・リヨンのバスに乗ることにした。
 
 オフイス・ド・ツーリスム(公設の旅行案内所・フランス旅行では、まずここに行くことが必須)でチケットを買う。

 学生かと聞かれて、いやいやと答えたが、もう友人には孫が数人いるのがいる人間に向かって学生?と言うのはお世辞が過ぎる、

 と思っていたら、

 その日の夕食で、席に案内される時に、Ici, jeune homme.
(「おにいさん(もしくは坊や)。この席でどう?」と言った感じだろうか)と言われてしまった。

 さて、グランド・ツール・リヨンに戻るが、9時半から45分おきにバスが出発することになっている。

 25分頃、その観光案内所のすぐ裏にある停留所に行って、バスを待った。

 来ない。

 10分待っても、15分待っても、来ない。

 遅れてくるのは普通の(と言うか良くある)ことなので、なかなか停留所を離れられない。

 ただ、後で考えれば始発なのでもっと早い決断が必要だっただろうが。

 25分くらい経って、さすがにおかしいと思って案内所に行ったら、先ほどの担当者が、こちらの顔を見るなり、

 「あ、ごめんなさい。ちょっと技術上の問題が生じて(A cause d’un probleme technique, because of a technical problemeですね)、第1便はキャンセルになってしまって…」

 おそらく運転手が「急にお腹が痛くなった」り、

  雨だし寒いからどうせ客がいないからという技術上の問題なんだろうが、寒い中
を待たされた客の方はたまらない。
 
 しつこいようだが良くあることではあるのだが。

 1周1時間半のうち、1時間以上、乗客はナッシー一人、途中で年齢証明書を示してタダで乗ったイタリア人老夫婦と、1周目最後から2つ目か3つ目で乗ってきたアメリカ人夫婦2組だけだったので、9時半のバスを走らせてもナッシー一人切りだったろう。  


 午後は旧市街を歩き回った。

 朝、オフィス・ド・ツーリスムに一度行っているので、街の大きさの感覚と構造がなんとなく分かって来始めていたが、取り合えず地図を見て、ノートルダムのバジリカが午後の主要目標となった。
 
 ソーヌ沿いに下って行って、まずリヨン・ペラーシュ駅で帰りの列車のチケットを買った。

 ペラーシュ駅はかつて街の中心であったが、幹線列車がリヨンパルデュー駅中心に移っていき、とりわけTGVがパルデューを通ったので、丁度上野駅と東京駅との関係のような感じになって来ているらしく、町全体も人がワサワサ動いているといった感じではない。

 ふっと休まる感じだ。

 さて、地図を見ながら今度はソーヌの反対岸を上流に向かって歩く。

 川岸から一本離れたところに裏道があるのを地図で見つけて入ってみたら、一部車が通行禁止になっている石畳、狭い道、古い建物に小さなレストランや、極々小さなみやげ物、楽器店や、ワインカーブなど、ああっと驚くようなナッシーの大好きな町並みが出現。

 ぱちぱち写真を取りまくった。

 ふと頭の上を見るとケーブルカーが2本、数分おきに通っていく。
 
 地図を見るとバジリカに行けるようだ。

 その駅の前のレストランで若いギャルソンと客が話していたので、
 「これはどうすればいいんだ? チケットはあそこの地下鉄の売り場?」

 と聞いたら、

 「そう、そこで買って乗れば頂上まであっという間に連れて行ってくれる」

 と言われ、多少苦労しながら地下鉄との共通時間券(最初の改札から2時間有効)を買って、一本の方に乗った。

 一つしかない途中駅で降りたら、朝のあの寒かったバスで案内された、古代劇場の遺跡の前だった。

 朝、もう一度来たいなあ、でもおそらくこれが最後になるだろうなあ、などと思っていたその古代劇場が目の前に出現。

 思いもよらない素敵なプレゼントに大感激。

 今回のリヨン訪問はこれだけで十分元が取れると思いながら、しばし時間を忘れて佇んでいた。

 エクスの北の方にオランジュという街があって、ここにはものすごく立派な古代劇場が残っている。

 それに比較して、未だ、修復途中で、荒々しい遺跡がそのまま目の前に出現したので、本当に時間を忘れてしまった。

 ケーブルカーを降りて来て、また先ほどの裏道を通っていたら、リューベロンの写真が張ってあって、ワインを売っている店があった。

 リューベロンはエクスの北のほうにある山地で「プロバンスの贈り物」の舞台にもなっている。

 思わずそのリューベロンの写真の写真を撮ってしまった(あぁ、もう一度南仏ドライブしたいなあ)。

 夕方、今回世話になっているかつての教え子のOさんとその友人と3人でコーヒーを一緒に飲んだが、
 
 Oさんが、「南仏の、ここが良い、あそこが良いっておっしゃるんですよ。私はその土地の名前も知らないけど」とそのフランス人に伝えたところ、Oさんを置いてきぼりにして彼と意気投合した。

 いったん話し始めると、あそこもここもと言う形で次々に思い出が思い出を引っ張り出して来る。

 Oさんには申し訳ないながら、彼と2人で昔の思い出にふけってしまった。
 
 いずれにしても映画「プロバンスの贈り物」はぜひご覧下さい。

 
 寒かったので、その後ホテルに帰って下着を2枚増やし、シャツも1枚増やして、午後の戦闘態勢を整えた。 
 
  
※写真はガラス越しに撮ったリューベロンの風景写真です。よく見えませんが…。 
エクスからリヨンへ
 5日も雨だった。

 以前エクスにいた時も雨が無かったわけではないのは当然だが、雨が降るときは雷雨で、その時は道路が川になってしまうほどだが、上がってしまえば南仏の太陽がそれまでの水気を蒸発させてしまう。

 そんな雨の降り方なので、傘が必要もしくは役に立つような雨が降ることはほとんど無い。

 でも一応必要かなと思って傘を持っては来たが、珍しく役に立った。

 ただ、あっても頭は避けることができるが、結局全身が濡れることが分かったので、今日は実際には持って歩かなかった。

 午前中ちょっと困っている問題の処理の話をエクスの担当教授として、昼は学部長との会食(ワインを含めて40ユーロくらいのいわゆる定職をご馳走になったが、おいしかった)、その後日本人の先生と、コーヒーを飲みながら、昔話やらいろんな人の悪口、愚痴を話しながら過ごし、夕方発のTGVで1時間半ほどでリヨン到着。

 他人の悪口は最高のご馳走だ。

 昔の教え子が迎えに来てくれていて、ホテルに向かい、その後ワインレストランで少しのどを潤し、夕食。

 美味しかったが、クネルを注文したところ黒いブダン(ブダン・ノワール)。

 ちょっと濃厚で、お昼もたっぷり食べてきた身には正直ちょっと重かったが、さすがにリヨンで最近評判のレストランだ。

 とても美味しかった。

 この次は違うものを食べたい、と思った。

 ホテルが、前日と打って変わってトイレなし、66ユーロ。

 部屋をシングルよりはちょっと大きいベッドが占めていて(枕が二つおいてある、一応)シャワーに行くのにまっすぐ歩けないほどの部屋だ。

 ホテルはリヨン旧市街にある古い建物。

 狭い廻り階段を重い荷物を抱えて3階まで上がる途中で何度も目を回しそうになる。食事後部屋に戻ってそのまま崩れるようにして、熟睡。

 リヨンもずっと雨だったそうだが、やはり上がらないまま寒いリヨン初日を過ごした。


フランス式解決法 (la solution a la maniere francaise)
 連泊していて最初は3泊の予定だったのが1泊延びて、今日は別の建物にある別の部屋に案内された。

 レセプションで部屋掃除のおばさんがで留守番していて

 「うちで一番いい部屋だから」と言われて鍵を預かった

 (実はあけるのに悪戦苦闘したが)。

 今まで72€(請求はいくらか分からないが大学を通しているので今までの例では恐らく60~65€位か?請求書がお楽しみ)の部屋だったが、この部屋は122€とドアのところに書いてある。

 「ええっ」

 と思って

 レセプションに行くと、

 「すごい部屋でしょう?」

 と言われて、

 「すごく良いのは良いけど貧乏教師だから払いえないよ」

 と答えたところ、

 おばさんが、宿帳みたいなのを見ながら

 「88€もらうことになっているが、それで良いか?」

 と聞かれて

 「それなら払えるかな」

 と答えた。
 
 5~60㎡くらいの部屋にダブルベッドがつつましく(見える)収まっていて、

 暖炉の横に小さな書き物机、

 ちょっと小さめのリビング用のテーブルの周りに2人用の椅子1脚と一人用が2脚。

 隣の部屋がダイニング・キッチン(5m×2m)で冷蔵庫と丸テーブル。

 少し小さめのスペース(2.5m×2m)にトイレとバスが付いている。

 今写真が処理できないので直ちにお見せ出来ないのが残念だ。

 留守番のおばさんの「うちで一番いい部屋だよ」と言うのが

「確かにそうだ」

 と思った。

 ああ、こんなところに夏の避暑に来て1ヶ月くらい一人で静かに本を読み、書き物をするとさぞ能率が上がるだろう、と思いはするが、

 もしそんなことができたとしても、

 好きなゴルドの街に行ったり、

 ヴェルダン渓谷+ムスチエに行ったり、

 カシスに行ったりして、

 何にも仕事はしないに決まっている

 (これにレボーを含むアルピーユ山地めぐりを入れ、ゆっくり回るとプロバンスの最高の旅行になる。2週間くらいかな)。

 さて、部屋はいいんだが、問題はインターネットだ。

 電源コードの差込口にネット接続用の箱をくっつけて、それでネットに繋ぐようになっているのだが、

 パソコンとの接続のところの爪が取れていて、手で押さえなければ繋がらない。

 先ほどメールを一本書いたが、左手でケーブルを差し込んでいないと繋がらないので、短いメールを書くのにも、左でケーブル、右手だけで書いて変換、

 というので、いかにも時間がかかった。

 そこで、

 「換えてくれないか」

 とレセプションに行ったのだが、唯一ネットのわかる若いお兄さんが、

 「これしかないのでしょうがない。がんばってね」 

 というのだ。

 実は、彼しかネットのことは分からないので、建物によって接続ボックスが違うのに間違ったのを渡されたりして、今まで(=今日も)散々苦労してきた。

 「う~ん」

 と困った顔をしていたら、

 「あ、こうすれば良い」

 と言って、ちょっと厚めの紙を鋏で切って、それを折り曲げ、

 接続口のところにくっつけて、一緒にパソコンの受入れ口のところにねじ込む。

 「こうやって差し込んでみてくれ」とその折った厚紙を渡されたのだ。

 「うまく行かなかったら?」

 と聞くと

 「左手だな」との答え。

 もちろん他に手段が無いので諦めて部屋に帰って来て、言われるとおりにやってみた。

 なかなか上手くいかなかったが、紙の厚さ(折り方)を換えたりしている内に(10分くらい試行錯誤しただろうか)、何と上手く行ったのだ。

 で、これも両手タイプで打っている。

 まさしくこれがフランス式解決策だ。


今日から寒くなるらしい。
洗濯機が使えない。

どうやら洗濯機置き場の改修が原因らしいが、少なくとも改修はすんで置き場はきれいになっているのにいつまでも使えるようにならない。

テレビが点かないので3週間ほど前にその旨告げたが、相変わらず点かないまま。

ベッドサイドのランプが消えたままで1週間。

昨日までと違って今日から寒くなるらしいが、それはリヨンの知り合いからのメールで知った。

テレビが映らないので天気予報が分からない。

一体この国はどうやって動いているんだと思うが、ちょっと雨が降っただけで、スーパーから野菜がなくなる国よりも良いか。

ただ、いったん野菜が消えると、当分食べられなくなってしまうだろうな。

※テレビも天気予報も実はネットで見ることができるんですが、ネットもついつい日本語の方を見てしまいますのでね

昭和の日

2010年4月29日 エッセイ
昭和の日
末娘の誕生日だ

数億個か、いくつあるか分からない中の

たった一つの恒星の中の、

たった一つの惑星の中で、

何億種類かの生き物の中の

たった一つの、

人類と言う種類の

何億人かの歴史の中に

たった一人しかいないS

19年前フランスで生まれたあの日のことが、まるで昨日のことのようだ




3ヶ月後

2010年4月29日 エッセイ
3ヶ月後
 来る直前に目の手術をして、その薬がそろそろ切れる。

 本当は日本で少し余分に出してもらって、持って来たはずの薬が見つからない(こちらに無いので日本でも探してもらったが家にも無いらしい)ので、こんなことになってしまったのだが。
 
 それで、こちらで紹介を受けた内科の先生に眼科の先生を紹介してもらい、rendez-vous(予約を取ること)の電話を入れた。

 29日に(月が聞き取れなかった)、と言われ、あの29日はエクスに行くんですがと言った(今日が29日なのに今日のはずがあるか!)ところ、7月の29日と言われたのを、えっ?6月と答えて、いや7月です。

 ま、とりあえず予約を入れたけど、フランス人はどうやって医者にかかるんでしょうね?

 さて、今日の先生は、こちらの副学長が予約を入れてくれたのはすでに書いたと思うが、そうでなければ3ヶ月待ちだったのかもしれない。

 で、今日が予約の日。

 入り口のドアの開け方が下手でうまく入れない。

 ベルを押すと電気仕掛けの鍵が一瞬解き、そのタイミングでドアを押すと開くのだが、早すぎたり遅すぎたりで3回も4回も繰り返してやって入れたのだ。

 待合室に3人待っていてなっしーが4人目。

 一人呼ばれて、次の人のはずが、

 3人目がもの凄く気分が悪そうなので、交代で3人目が先に行って、さあやっと、と言う時に

 「ごめんなさい、こちらの人を」となっしーを先に診察(とりあえず問診だけ)。

 コネ社会ですね。フランスってところは。

 でも、眼科で十分そのしっぺ返しを受けたわけだ。

 
探し物は何ですか?
 子供の頃両親が部屋のライトを消そうとして廊下のライトを点けたり(廊下には行かないで隣の寝室に行く間取り)するのが不思議で仕方が無かった。

 指で触って上が部屋、下が廊下なのに、前に押すと点き、手前に引っ張ると消えるのだから…などと何度も教えるのに間違える。

 いや、ところが、今両親の気持ちが良く分かる。

 前とか後ろとか、上とか下とかといったレベルではなく、そもそも

「あれっ? ライトのスイッチ何処だっけ?」

になってしまうのだ。老人力がついてくると。

 さっきも本を探していて、途中、ふと「何を探しているんだっけ?」

と思ってしまって、

 いや、これは本のタイトルの問題ではなく

 そもそも探し物自体が何だったのかが分からなくなり、

「ああ、そうだ。本だった 探していたのは」

と思い出し、で

 「何の本だっけ」と机の上を探しているうちに、ちょっと他の本を読み始めて、

これからそれを持ってベッドに行くつもりだ。

 明日朝目覚めた時、何の本を探していたか思い出せれば良いんだが。

 いや、今度何か他の物を探す時に、思い出すからいいか。 
払った分の満足感
 来月日本の友人が訪ねてくる。

 そこでホテルの話をメールでやり取りしていて、「払った分の満足感は得られますよ」と自分で書いて、これは日本とずいぶん違う、と改めて思った。

 日本で、1万円払って大満足のこともあれば、ぼったくれ感がぬぐえないことも多い。

 また、同じホテルに同じように泊まっていて、同じような値段を払っていてもまるで料理が違ったり、料理が同じなのに値段が違う、と言うことも、結構多いようだ。

 個人客とパック旅行客とが混在し、たとえば企業だと提携旅館、提携ホテルがあったりするが、これも業者が入った提携であったり直接契約であったりで、結局いろんな客が混在しているため、さっき言ったようなことが起こるのではないか。

 娘がこの冬もパックでスキーに行って、

「板もウエアーもバスもリフトも込みで3泊(2+1)2万円ちょっとなのに、1泊8000万円のホテルだよ。馬鹿らしくって普通に泊まれないよね」

と言っていた。

 スキーパックは何度かあるが、パック海外旅行の経験がほとんど無いので(1度だけある)、なんとも言えないが、フランスでの今までの経験では50ユーロホテルは50ユーロホテルの、100ユーロホテルは100ユーロホテルの満足感が得られた。

 これはホテル料金はホテル料金で、料理は別、と言うところにもその大きな理由があろうが、

 それにしても泊まってみると、

 全体としてなんとなく辻褄が合う、不思議なことに。

 同行者がいる場合など、えっ? 部屋が狭くて同じ値段?と思うようなことも無いわけではないが、泊まった次の朝一緒に食事していると納得してしまうのが不思議だ。

おかしいのは数人で泊まっていて、部屋の料金表をみるとそれぞれ違うのに、みんな一緒でこれでいいよ、と一番安い部屋に合わせた統一料金になったことがある。

 これちょっと変だぞ、と思うが妙に納得してしまった(今は業者(とりわけネットを通じてのグループ化)が入ることが多いようなので、ありうるかな?)。

 こうした、何だか古い昔のことのようなおおらかさは、おそらくヨーロッパ社会が、非常にゆっくりと大きなうねりの中でしか変化しないという成熟社会だからなのではないか。

 なにかちょっとした事で大儲けをしても、50年、100年経ってみたら、あれ、なんだったんだろうね、と言うのが、自覚的か無自覚的かはともかく、みなの中で共有されている。

 非常に貧しかった日本が(また、中国はじめアジアの急成長を遂げ始めている諸国もそのスタート台に立っている)、内包した爆発的なエネルギーを燃焼させながら急激に成長して来たここ50年ほどの間では、まだまだその余波が残っていて、いまだ多くの人々が一攫千金を夢見、また実際に起こっている。

 そして短期的な莫大な利益を生むためのさまざまな手段が講じられ、そして何人かの短期的成功者を生むのだろう。

 いわば成金社会だ。 

 アメリカも、衰えたりと言えども、まだまだ、そうした雰囲気が残っている。

 アジアは、ビッグバンの、その戸口に立っている。

 ただ、日本では、他方で、一部にいわばもうどうにもならないという厭世観も漂い始め、希望を失ってしまった大量の「喪失郡」、「喪失予備郡」が大量に生み出されつつある。

 これに対して、ヨーロッパ社会は、「そんなことやったって、結局落ち着くところに落ち着くんだよ」という諦め、悟りのようなものがあって、

 無理をしない。

 ゆっくりやっていけばいいじゃないか。

 と言った価値観と言うか気分と言うかそんなものが共有されているのではないか、と推測しているがどうだろう。

 ※ 写真はパリCDG空港近くの人口200人のコミューンにある小さなホテルのもの

朝食(パン、セリアル、コーヒー・紅茶、ミルクなど。果物も)付き65€

初雪

2010年4月26日 エッセイ
初雪
昔、すごく素敵なSさんという同級生の女性がいた

何度か一緒に映画を見たり、お酒を飲んだりした

ある女流詩人の姪で、それこそ手のひらにひらひら落ちてきた降り始めの雪のように、ちょっと触ると、いや触らなくてもとけてしまうような感性の女性だった

当時、彼女には付き合っているカレがいて、恋愛相談も受けたりしていたが

ある時、一緒に酒を飲んで駅に向かう途中

 「なっしー君。好きだよ」

 「でも、なっしー君て、私を空気みたいにしか思ってないよね」

 って言われ、街角でコートの上からちょっとだけ力をこめて抱き合ってわかれた

それが彼女と会った最後で、2人ともその前の年の3月に大学を退めていた

 なっしーは別の大学に入り直したが

 その後のSさんの消息は、まるで分からない

しばらく電話をかける勇気が無く、何週間か経ってかけたら通じなくなっていた 

 何年かに一度、ふっと思い出して会ってみたいと思う
 
クライマーズ・ハイ
 映画でも小説でもない。ただ言葉を借りただけだが、取り敢えず小説は大変面白かった。

 全く独りで生活していると、拘禁症状というか(心理学を知らないのでどう表現するのかわからないが)、気分、気力、体力、精神状態 さまざまな側面で振幅が大きくなる。

 それもかなり大きな振幅のような気がする。

 今日も一歩も外に出ていない(部屋からも。ちなみに万歩計は10歩。それでもしっかり歩行を10歩したんだ)。

 メール以外他人との対話は無い。テレビも電話も無いので、まさしくフランスのプレスリーだ。

 今、隔離実験中のなっしーを実験道具に使ってみたい心理学者はいないだろうか?

 行動ごとの、とりわけ、他人との会話がなされた時の変化、メール(ブログ)を書いているとき、本を読んでいる時、食事を作っている時、食べる時、図らずもかなり隔離された実験室・実験動物がここにあり、ここにいるんだが。

 それはさておき、

 ある先輩の先生で、自らこの隔離状態を作り出し、立派な業績をあげた人がいる(大きな業績をあげる人は多かれ少なかれ同じようなんだろうが)。

 朝5時に起きて、コーヒーを飲んで新聞を抱えて大学に行く。食事は途中で買ったパンを、研究室で食べる。

 開門と同時に研究室に入り、12時に食事。夕方7時まで本を読んで帰宅する。

 通勤中は新聞(と途中で買ったパン)しか持たない。

 これに尽きる。

 現代版カントですね。

 さて、この先生は、すれ違っても、挨拶は交わすが視線は交わさない。

 目線はいつもどこか遠くを見ている。電車から窓の外を見ているような視線だ。

 本を読むときは色鉛筆を持って、何度も何度も、ぶつぶつ声に出しながら読み、線を引きながら読む。
 
 そしてノートに几帳面に書き込む。

 大きさの異なるスケジュール帳を3冊持っていて、スケジュールを決める時も、ぶつぶつ声に出して確認しながらそのすべてに書き込んで、もう一度皆に確認する。

 それも何度も何度も繰り返しながら。

 研究室で、隣の人が長電話をしていると、最初は咳払いだが、それでも続けていると壁をどんどんと蹴飛ばすそうだ。

  これってリーダーズ・ハイの状態を一生続けているって事ですよね?

 なっしーは一流の研究者になるには、余りにも普通過ぎる。

 でも、それで良いな。2・5流で(←3・5流だという声が聞こえる)。
一寸早かないかい?
 今日で授業終わりだ。来週試験だそうで、4月に入って3週間が終わったばかり。

 早々のバカンス体制というか、バカンス前の一踏ん張り。
 
 日本でも1月早々に授業が終わって、4月の新学期とはいえ、少なくともここではたっぷり4ヶ月、1ヶ月は確実にこちらの方が長い。

 3と4の差は大きい。3/12と4/12は4分の1と3分の1の差だ。

 りんごで比べても一目で分かる大きさの違い。

 うらやましいな。
 
 以前日記に書いた滞在許可証は、大学のほうで対応するから大丈夫と言われたが、グランド・バカンスに入る年度末、本当に大丈夫なのかな?と、ふと心配になった今日の午後でした。

 ま、フランスでは何とかするといわれると絶対何とかなる確信はある。

 多少慌てなければならないことは時々あるが。

 5月には懐かしのエクスに呼ばれているので、ちょっと地中海を見に行ってきます。
 
 そうか。

 授業の予定を聞いてから返事しようと思っていたが、そんなところにフランス人が手抜かりあろうはずがない。

 これも3日から5日まで来てくれといわれたので、正味3日必要かと確認したら、必要なのは1日だけ。何なら4日の夜帰ってもいいよ、と言われた。

 さすが!。おそらく10分か20分で話が終わって、日本で言うところの

 「ままま。ぐいっと」かな?

 でもついでに5日くらい過ごして来ようか? 

 5年ぶりくらいのエクスだから。

picasa

2010年4月22日 エッセイ
picasa
 picasaというソフトで写真の管理をし始めた。

 パソコンが新しくなって早くなったので、処理できるようになったからだ。

 3000枚くらいの写真を取り込んだら、「顔をスキャンするが良いか」と訊かれ、「はい」と答えたところ、結局数時間かかったが、全部スキャンした。
 
似た顔を集めてあって、この顔はこの人と指定すると、個人別にどの写真にその人が写っているかを集めていく(タグをつける)のだ。

 すごい。

 薄暗いところ、めがねをかけていたりはずしたり、大きく写っているならともかく集合写真の中からでも探してくる。

 データが集まれば集まるほどその精度が上がってくる。

 中には知っているけど名前を忘れた人がいて捨てていたのだが、Aさん、Bさん、Cさんで良かったことに途中でふと気づいたが(名前はいつでも修正できる。ただ、なっしーのことだからAさんがいつの間にかBさんになっているという危険がないわけではない)、それこそ後の祭りだ。

 もう一度スキャンすればいいんだろうが。

 民生品でこれだけの精度なのだから、外国でテロリストが捕まったり、日本でも車で逃亡してもすぐ追い詰められてしまうのは当然だ。

 車のナンバー照会は当然として、おそらく顔写真でも追跡されているのではなかろうか。

 ただ、これは犯罪の事後的追及にしか使ってはならない。

 予防には使えないだろうし、たとえ使えたとしても使ってはならない。
 
 悪いことをしようとしているという『噂』があって、その噂の人の行動は刑事が後をつけなくとも街角の防犯カメラが追跡してくれる。

 一人ひとりに電波発信機をつけてモニターするのと同じことが、技術的にはカメラ(写真)を通して可能である。

 どこそこの地点にM(らしい人)がいる。

 30分後どこそこの地点にM(らしい人)がいる、といった形で個々人が知らないうちにその行動が顔写真の分析によってすべて監視されるのである。

 既犯者(特に性犯罪者)に電波発信処置をつけさせるところもあるようだが、これは大変微妙な価値判断が必要とされる。

 まして逮捕歴ある、違反歴ある者にすべてこうした電波発信装置の埋め込みなどという処置をしてしまうとなると、される側の心身の負担も過酷過ぎる。

 だが、高性能監視カメラでやろうと思えばすぐできるところまで来ている、としか思えない民生品(無料ソフト)の精度の高さである。

 そしておそらくさまざまなところでそれは実際に稼動しているのではなかろうか。

 というより、その技術のお下がりが無料ソフトとして与えられているのだろう。

 水清くして魚住まず。

 いや無味無臭の水よりも山や清流の水のほうが美味しい。

 ただ高原の水が美味しいのは、一方で木や草や土を通して浄化されるのはもちろんだが、木や草や土の中を通りながら小さな小さな微生物や栄養分をふんだんに吸収しているからでもある。

 蒸留水の中では草も小さな魚も微生物も生きていけない。

 だからといって犯罪が多い社会が望ましいわけではない。

 総監視社会はもう現実のものとなっているだろう。

 ただ、安全社会の構築は、あくまで事後的抑止策の徹底的な構築(逃げ得は許さない)によってなされるべきある。
…当局は空港ソースを述べた。
テレビが映らなくて、しかも、宿舎に籠もり切り、出かけるのは観光だけ、という生活を送っていて、火山噴火で航空機がほとんどストップというのも、日本の友人からのメールで知った。

気持ちと身の回りが少しずつ整理されるにしたがって、日本のニュースはネットで仕入れるんだ、ということが分かってきて、舛添離党ももう知っている(えへん)。

ところがフランスで何が起こっているかはほとんど知らないまま、3週間過ごしてきたが、先日パソコンをリプレイスして(おかげで過去の(いや最近のもだ)いくつか重要なメールが消えている)、これも少しずつ使い方に習熟してきた。

余りにもできることが多すぎて、おせっかい焼きのパソコンでは、自分がやりたいことがどうすればできるのかがわからない。

それが何とかできるようになってきたわけだ。

1週間ほどかかって(ストラスブールの地図が段々分かってきたのと同じですね),


googleブラウザーを中心にセッティングがほぼ完成してみると(gooは使い勝手が悪い=少なくともなっしーの使い方には馴染まない)、いろんなことができる、当たり前だが。

とりわけフランスのニュースを(もちろんgooデモできたんだろうが)フランス語で読めることに気が付いたわけだ。

いまさらながら。

で、ためしに空港再開の記事を開いて、翻訳というところをクリックしてみると

*******
ロワシー空港は - 長距離便90%短く、中距離、すべての企業結合、1つの100%水曜日ロワシーシャルルドゴール空港から始まる保証され、当局は空港ソースを述べた。
*******

という、すばらしい翻訳が得られた。

ところで空港ソースってどんな味がするんでしょうね?

秋山祐徳太子さん、もしくは老人力の再確認。
 なっしーは、今では善良なる市民として選挙にはほとんど毎回投票に行くが、若かった頃は行ったことがなかった。

 やがて子供が生まれ、子供を連れて選挙に行くと風船がもらえるというのを聞いて、子供孝行に選挙に行ったのが始まりだ。

 記念すべき初投票は、当時埴谷雄高にかぶれていて、彼に倣って、ああ、忘れてしまったが、確か「観世音菩薩」と投票用紙に書いた。

 当時、目黒区に住んでいて、東京都知事選と衆議院選(東京三区)のどちらか、おそらく両方に、秋山さんが聖徳太子の恰好のポスターで出馬された(ネットを見ると都知事選2回。ポスターは聖徳太子ではないようだが。その名前から、記憶の中で聖徳太子のポスターが偽造されたのだろうか)。

 観世音菩薩も良いが、所詮無効票だ。

 これ(秋山票)なら反対票として生きる(といっても死に票ではある)。

 単なる無効票よりは、確固たる反対票としての意義がある、と思ったかどうかはともかく、2回か3回秋山さんに投票した(ような気がする)。

 神奈川の方に引っ越してから、余り投票したくなる候補者がなく、不満を感じつつも、一度投票というしょうもない、かどうかは分からないが、そのしょうもないことに身を持ち崩してしまったのだから、後は野となれ山となれだ、と思いながら現在まで投票を続けてきた。

 秋山さんには、その後は長らくお目にかかっていなかったが、ある時、三多摩地区の選挙ポスターでお目にかかることがあって、東京ならこんな田舎でも(多摩地区の皆様大変失礼いたします)秋山さんに投票できるのに、とうらやましく思ったものだ

 ただ、これもwikiでは、立候補は都知事選の2回だけのようなので、これも違うポスターのようだが、では、あのポスターは一体何だったんだろう。

 バスの中から見たのだが。

 その秋山さんに『老人力』の中でも何回も再会できて、ここ暫く「るんるん」な気分なのである。

 そして、この文でも分かるとおり、なっしーの老人力も確実に進歩していることも、改めてわかった。

 ところで、本物の秋山さんはお元気なんだろうか?

※シュール・レアリズムですね。この文章。
地産地消
所変われば品変わる、で美味しいものを食べるというのは、その土地で採れるものをその土地で食べるのに尽きる。

地産地消。旬のものを旬に食べる。

たとえば日本の野菜は今、大部分中国からの輸入もので、たとえば有名料亭のものも、その料亭ご指定の仕様(品種、気候管理、農薬等の種類、使用可否等も含めて)で栽培された中国産が多い、らしい。

日本よりも品質管理が厳重であるとも聞いたことがある。

こうした工夫もあって有名レストランや有名料亭の料理も、われわれ大衆が、ちょっと手を伸ばせば届くところに降りてきているのだとは思う。

ただ、その地に育った物が、その地で一番大量に採れる旬の時期に採られ、新鮮なうちに食べる、と言うのが、本当は一番美味しいはずだし、贅沢な話である。

京都の料亭の料理を食べたければ京都に足を運べば良い。

ただ、困ったことに、いまでは、京都の料亭は、単に京都出身の料亭に過ぎず、もはや地産地消の”京都”の料亭ではなくなっている可能性が大きい。

いや、ひょっとしたら、地産地消ではなく、珍しい時期に珍しいものを提供することで、その名声を得ている、得ていたのかも知れないが。

いずれにしても、そもそも手の届かないところにあるのが本物の一流の料亭でありレストランである。

そんなところで庶民が気楽に食べられるはずもないので、手が出るところはそこそこに…と言うことではあろう。

いずれにしても、手を伸ばせば届く範囲にあるのは、元高級料亭で、元高級レストラン(ではあっても払った以上に満足感がある料亭・レストランは確実にある)。 

ただ、残念なことに手が届かないところが本物であるとは限らないことである。


トンカツのこと
昨日パン屋で買って来たパン(パンドミー=いわゆる食パン)が、今朝はもうからからになっていて、ちょっと口で噛み切れないほどの硬さだ。

昨日はあんなに美味しかったのに。本当に一日でガチガチになる。とりわけ切っておいてたりすると、ちょっと厚いかきもちのようになる。もちろん粘りはなく、がさがさ、ぱりぱりだが。

以前エクスに滞在していた時のこと。

パン粉をスーパーで探しても売っていない。

お肉がこんなに安くて美味しいのにトンカツが食べられない。

時にはフライも食べたいなあ、と言いながら暫く我慢をしていたが、ある時知り合いにパン粉をどこで買うんだと聞いて大笑いされた。

パンをおろし(金)でこするんだよ、と。

それから、無事とんかつやフライが食べられるようになり、同時に、フライやカツはこの乾いた空気が作り出したものだ、と言うことにも気づいた次第。


3回目の日曜日もしくは「言うは易く行うは難し」
50回のうちの3回をどう考えるかだが、実感としては後47回しかないと言う感じだ。

このほぼ3週間で何をしたか、というとほとんど何もしていない。

できていない。

最初の数日はもっぱら観光。平行して身の回り品の購入。

日常生活が少しずつ軌道に乗ってきたところで、バカンス明け。

授業にも出た。

前回のようにまるでちんぷんかんぷんと言うのとは違う。

大学を案内してもらって、とりわけ図書館が利用できるようになったこと。

外からアクセスできると教授から言われたが、それは図書館システムとは別のシステムで動いていて今のところ出来ない。

教授は何も知らないで当然できると思っているのが、実は事務管理上出来ないというのは日本でも何度も経験している。そしてこの壁が案外高いはず。

ただ日本と同じで、やろうと思えばその壁を乗り越えること自体は何とかなるんだが。

ところで、上達曲線が示すように、最初はほとんど上達しないが、一定の蓄積ができるとその後急上昇して上達する。

堰に水が少しずつ溜まっていき、十分溜まると堰を超えて水が流れるようになるのと同じだ。

そのスタートだから仕方がない、と納得させることはできないわけではない。

問題は堰を越えるだけの水が溜まるかどうかだが。

ただ、今、やることは決まっている。それをやるだけ。

3冊の本を読む。

そして、文献収集だ。

たったこれだけのことができれば良いので、早く取り掛かれ、と言うことだが、

言うは易く行うは難し。

なっしーに常に付きまとう最大の強敵がここにいる。

(日記を書くより本を読めと言う声が聞こえる)
写真を削除するつもりで
さっき書き直したばかりの日記を削除してしまった。

まあ、どうでもいい文章なので(そんなの載せるな!)良いとして。

もう、ずっと昔の話だが、ある高名な先生が、上下2冊本のうち、下巻の原稿を(確か山手線の)電車の中に忘れたそうだ。

上巻だけでも大変な名著とされているが、とうとう下巻は出版されなかった。

もう、一度原稿を書く気力が湧かなかったそうだ(と思っていたら、上巻出版後20数年後に出版されていました-もう何年も前;そういえば出たと言う話を聞いたような気が、…しないでもない。読んで無いや)。

ちょっと書きなぐった駄文でも(と言うか駄文だから?)書き直す気がしないので、その先生の気持ちはとてもよく分かる。

消費増税で法人税安く?
谷垣が言ったらしいが、耳を疑うと言うか目が点になった!

消費税は所得税とのバーターのはずで、消費税を上げて法人税を安くというのは、企業の税金分を消費者・国民が(所得税とあわせて)二重に負担することだ(もちろん価格転嫁されてて今でも負担はしているけれど)。

所得税は働けば働くほど税負担が増えるという変な仕組みで、消費税は贅沢をすれば、その分負担しなさいよ、ということでこれは理にかなっている。

ただ、生活必需品(その範囲の線引きは技術的には難しいが)、とりわけ食料品は当然非課税にするべきだが。

もちろん、民主党のおかしな現金ばら撒き政策は間違っている。

子供手当ては、教育に回らないでレジャーに使われる。おそらく。

もちろん生活補填にまわされれば、それはそれで一定の意義はあろう。

ただし、たんなる消費刺激策や生活補填にしかならない『子供手当て』が、将来の国民に負担を強いるだけの価値があるかは疑問だ。

子供手当ての財源分は、子供の生活環境を改善する、すなわち教育環境やら(たとえば義務教育の少人数教育化)、子供の成長を助けるさまざまな体育施設やスタッフの充実などに当てるべきで、家計にばら撒く必要は無い。

これに対して、消費税で法人税をまかなうという主張は根本的に間違っている。

わが国の企業が、なぜ、国際競争力を失っているのか?

それはコストが高いからだ。

ごくごく単純化すれば、物価水準が高すぎ、人件費が高すぎるからだが、世界的に見て非常に高所得のわが国民は豊かなのか?

そうではない。人件費以上に物価(様々な生活コスト)が高いからだ。

そして、なぜ物価が高いかというと、これも(批判があろうが)非常に単純化するならば、土地価格が不当に高いからだ。


建替えもできない戸建て住宅、リフォームもできないほど構造が柔なマンションが数千万で売られている。

年収500万の家庭が、10年間飲まず喰わず死んだ状態でやっと手に入るほどの住宅価格である


工場等規制法は間違っていただろうが、豊かな自然環境と豊かな生活環境が両立・共生する、新しい国土環境生活空間の設計図を見せてほしい。

小沢や鳩山や、労組のだら幹による今の民主党政権にはこの新しい社会を展望する能力は無い。

予想されたこととは言え、民主党の、物取り主義、ばら撒き政策には、本当にがっかりした。

ただ、政権交代がどれだけの意味があり、どれだけ無力かも良く分かった。

可能性はまだある(自民には無い!)。

へたをするとこの次はみんなの党やら舛添になだれ込むぞ。

まあ、それも(それの方が)良いかもね。民主の一部と合流してね。






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