レジュメ

2011年10月7日 お仕事
レジュメ
 シンポジューム用のレジュメだけ出来上がった。

 中身無しの包装紙だけみたいだが、

裸で、何にも着せてないよりは良い。

 中身がスカスカというのも困るのは困るが、それでも中身も包装紙も無いとなるとやっぱりまずいが、

まずさの3割引にはやっとたどり着いた。

 あとはそのまずさを少しづつ6割引、7割引くらいまで減らすように、

残された2日間、頑張らなくっちゃならない。

 我が愛する『がんばれたぶち君』が、久しぶりにバッターボックスに立って、

バットの振り方が分からない、という1シーンがあったが、

バットの振り方も分からないまま三振になってしまってもマズイので(出張旅費をもらっている)、

昼を食べてちょっと眠いが、頑張るとしようか。



 ※ と書いたあと、大学院生からスカイプ攻撃を受けて、数時間のマン・ツー・マン授業になった。

 我が家の子供たちはお父さんをまるで頼りにしていないが、少なくとも外の学生、院生たちは、少しだけでも頼りにしてくれるので、多少は仕事をした気になり、その分、気が晴れる。

※※ 夜になってふと加川良 偶成 を聞いてしまった。
仕事上のことなど 
 若干滅入る話だが。 

 今回のエクスへの訪問は学生の交換協定が実際に動き始めて、さまざま発生している解決しなければならない具体的な問題の調整のための訪問ということが主な仕事だった。

 そのために3泊4日が必要だったわけだが、その他に個人的お付き合いを含めての訪問にしてしまったわけだ。

 個人的な側面では、昔からの知り合いなので、会うことだけで大きな成果が上がるのは当然で、他方で、本来の仕事の面では、はっきり言って何だか良く分からないままうまく話を丸め込まれた感じがしないでもない。

 教員サイドの話は分かる。そしてそれはそれで大きな成果があって、9月に講義をしに来るように頼まれた(ただし、今回は無報酬:来年日本から呼んであげるからと。これもうまく丸め込まれたのかもしれないが)。

 ただし、今まで会ったことの無い事務サイドの人たちとさまざまな話ができた、そしてそれが今後の実務的な問題解決の手助けになることだけ、確認できればいいのかな。

 あとは学部長との食事が残るだけ。

 あ。もう一つ大きな問題が残っていて、帰りに寄ろうと思っていたリヨンのホテルが取れない。これも大変な仕事だな。

 あ~あ。
副学長
 今日は元副学長、女性で日本のフランス関係者で知らない人はいない、と言うほどの方にお会いしてきた。

 これで今回渡仏してやらなければならない公式な仕事は一応終わって(後はエクス行きのみ) 、気が楽になった。

 副学長先生は、「今、中国との関係も非常に緊密化が進んでいて、半分中国、半分が日本くらいよ」と仰っていたが、世界は日本抜きで動いている。いわゆるジャパン・パッシングである。

 義弟が世界××医学会の日本招致委員として奔走していたが、中国に取られてしまった、と正月に嘆いていた。

 アジアの極がまさしく中国となりつつあることを、副学長のミッションそのものも示している。

 ちなみに中国は人口が日本の10倍なので、一人当たり日本人の1/10働けば同等で、今や怠け者になってしまってちっとも働かない日本人よりもよっぽど勤勉に働く(日本では勤勉などと言う言葉はいまや死語になりつつあるのではないか)。
 
 差が開くばかりかそのうち背中が見えなくなってしまうだろう。

 さて、すでに書いたと思うが、この副学長先生にはわが大学とストラスブール・エクスマルセイユの3角学生交換協定(ヨーロッパ法修士課程)の締結に当たって、今回受け入れ担当となっていただいている教授を責任者として指名していただいたことがなっしーにとっての最大のご恩である。

 とても優秀な先生であるだけでなく、とても細かく気配りをしてくださる最高の先生だが、別件で、街でたまたま話しかけられた学生が、「あ、あの冗談を一つも言わない先生ね」と笑っていたが、たしかに冗談は仰らないような気がする。

 また、なっしーは、今経過観察中の病気があって、今日はこの副学長先生に、医者の紹介だけでなく、予約まで取っていただいた。

 あとはすでに述べた、ただ本を読むことと、すこし自由に見て回ることが残された仕事になる。

 あ、9月再開後の授業にも出席しなきゃならないか。

 ※面白くなくてごめんなさい。個人的diarynoteとしてもこれ使わせていただいてますのでお許しください。
午前4時
 ふっと眠りかけて30分ほどうとうととしただろうか、そこで目が覚めてしまった。

 身体を動かしていないせいか身体が眠りを要求しないようで、仕方がないので本を読み、今、徒然なるままに、パソコンに向かい始めたところだ。

 明日はエクス行きのチケットを買いに駅に行く。急遽、2日に昼食のセッティングをしたいがどうか、というメールが来た。

 フランスというところはどうも、こういうことが良く起こる。チケット急いで取らなくて良かった。

 この前、といっても数年前だが、エクスからこちらに来た時も、急遽こちらに呼ばれてきた。

 寝台列車で往復だった。

 その時、今の受入れ教授を紹介されて、それからのお付き合い。あの寝台車がなかったら、今ここにはいなかったのだ。

 縁は異なもの味なもの。

 3月だったが、寒かった。

 今回は進行方向が逆だが、何か良い事あるか知らん?

 いや、良いことよりも良い夢を見るためにベッドに入るとしよう。

 まだ、真っ暗だというのに、小鳥がさえずり始めた。

 入れ替わりにzzZ zzZ zzZ しますよ、小鳥さん。

 あぁ、もう5時になろうとしている。

 … … …

 で、7時には起き上がってしまった(^^;

不肖の弟子

2010年4月19日 お仕事
不肖の弟子
なっしーには二人のかけがえのない恩師がいる。

その内の一人の恩師が常々仰っていた

「人間一生に3本論文を書けばいいんだ。ヤギに食わせた方がいいような論文(=長いだけ)を書くなよ」と。

細かい、小さいのはともかく、自分でこれが、と書いたといえるのは、2本だけか。そろそろ3本目を用意しなければならない。

先生も論文数は少ない。

しかし、一つ一つの概念が、一言一言が、ここにこうして入り込まなければならない、と言う風に配置されてそこにある、そんな論文ばかりである。
まるで、枯山水の庭園のようだ。

その恩師が、留学に行かれたとき、受入れ教授の研究室を初めて訪ね、
「Guten Tagと言った後、二言目が出なかったよ。向こうもおったまげたろうな」
とよく笑われていらっしゃった。

「留学ってのは病気にならないで帰ってきたらそれで十分なんだ」とも。

先生の、この「Guten Tag」の留学の後書かれた論文は、直接留学そのものの成果とは、必ずしも思えないが、すばらしいものばかりだ。

先生の論文が出なかったのは、理由がある。

実は先生の研究テーマ(なっしーのテーマでもある)で、それまで誰も信じて疑わなかった概念について、コペルニクス的転回ともいえるパラダイムの転換をもたらしてしまった一つの論文が出たからだ。

なっしーは、転換後の研究者だが、実はあの転換は間違っていたのではないか?と思っている。

それをどのように組み立てたらいいのか、もう20年ほど、悩んでいる。

成果の出ないままで。

成果を出せないと、もうどうでも良くなってしまって、悪循環である。

今回持ってきている研究テーマの二つ(実践的テーマと理論的テーマ)の内の片一方(理論的)がそれだ。

ただ、どうやらフランスでも実践的アプローチが主流になってしまっているようだ。残念なことに。

何とか過去の議論をもう一度掘り起こして総ざらいしてみたい、少なくともこのテーマに関する全文献のコピーを持って帰るつもりである。

先生からは「やりたいはいいから、やりましたの報告をしに来い」とニコニコしながら仰る声が聞こえそうだ。

残念ながら数年前、亡くなられたが。

教授来訪

2010年4月11日 お仕事
教授来訪
 午後、受入れ教授が宿舎に来訪された。

 本当はこちらが出向かなければならないところだが、わざわざいらして、バカンスで子供の世話ににかかりっきりだったと、謝罪された。

 フランスでは、とりわけ9月に離婚が激増するそうだ。

 夏のバカンスに不満を持った奥さんが三行半を突きつけるからだという。

 バカンスは、夫であり男親である者にとって人生最重要の課題なのだ。

 その辺の事情は良くわきまえている積もりだし、向こうもそれをなっしーが知っていることはご承知だ。

 「申し訳なかったが、この間ストラスブールは探訪できたか?」

と尋かれ、もちろん、カテドラルには数回、プティット・フランスにも3回行くなど、観光を堪能したと答えた。 

 さて、先生はリュックの中から数冊の本を出され、とりあえずこの辺りから読み始めれば、とおっしゃって渡してくれた。
 
 もちろんほとんどが日本でも入手できるものだし、見た(読んだ)ことのあるものばかりだ。荷物として送ったがまだ届いていないものの最新版もあった。

 ただ、基本的にはこちらで新しいものを買って帰るつもりだったので、ありがたいことだ。

 どんなテーマで研究をしたいのか?ときかれたが、少なくともフランスの最近の事情はまるでフォローできていないので、一般的な関心事しか話せなかったが、これで何とか船出できる予感が満ち満ちて来た。

 その後、若い研究者や同僚研究者の名を数名挙げ、今後手助けしてくれそうな人を紹介してくれた。

 ストラスブールやその他、リヨン、エクス、パリ等で予定されているシンポジュームのいくつかについても説明していただき、参加しようと誘って頂いた。

 これ、昔からどういうわけか指導教授に恵まれるなっしーの面目躍如たるところか。

 1時間半ほど話し、このくらいが限界か、と思われるあたりで向こうも気を利かせてくれ、火曜日、11時、先ほど紹介していただいた若手の先生の授業の場で再開することを約してお別れすることになった。

 玄関まで送ると、先生は、チェーンで鉄柵にぐるぐる巻きにしてあったvelo(チャリですね)にまたがって、帰って行かれた。

 ほかの人にとっては「それが何?」という、それこそ何と言うことのない午後の一コマだろうが、なっしー自身にとっては貴重な、かけがえのない一日だったことを、ここに記しておきたい。

 ワインが手許にあれば、乾杯!というところだが、なっしーにはその習慣がないので、とりあえずvolvicで乾杯することとしよう。

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