瀬戸内生まれなので雨は比較的遠い存在だ。
ただ、子供のときの記憶と言えば、
小学校の3、4年の頃だろう、渡り廊下と校舎の間の中庭に大きな紫陽花があって、
そこに雨が降りしきっている光景、
紫陽花にざーっと降った雨が流れていて、キラキラ光っていた、ように思い出される。
今研究室の前の小さな丘に雨が降りしきっていて、ふと昔々のことを思い出している。
子供の頃の記憶には、あんまり良い記憶が無いのだが、
山に入って集落ごとに分かれてやったチャンバラ合戦とこの紫陽花がたった2つの良い思い出だ。
記憶に残っている様々な出来事、風景、ボケ始めているとはいえ、そういった記憶が無い訳ではないが、
もう一度みたい、もう一度あの頃に戻りたいと思うのはこの2つだろう。
後は忘れても良い、いやむしろ忘れたい記憶に過ぎない。
父方の祖父母は広島の山の中から出て来た。
祖母は尼子の残党で、今も続く(また従兄弟が跡を取っている)家系ではあるが、
なんだか怪しい墓が家のすぐ裏の山
(というよりその山に麓から10〜20メートル登ったところに家がある)
に残っていて、
歴史家やら、考古学者やら人類学者やらが開けさせてほしいと何度も尋ねてくるそうだ。
母方は、対馬から京城に移り住み、第二次大戦後引上げて来た家族で、
母は両親が早くなくなったため、年の離れた従姉妹に育てられた。
その母の従姉妹は引上げて来た後もずっと独身を通し、我が生家の近くで過ごしていた。
母方の伯父は、
『何しろ宗家の家臣だった訳だから、半分以上は大陸の血を引いているに違いない』、
と口癖のように言っていた。
今、年を取って少し暇になり、残された寿命が短くなりつつあると感じるようになると、
馬鹿らしいとは思いながら自らの出自を確かめたい、というより知りたいと思うようになって来た。
こんなしょうもない奴の出自を辿ってみても何がある訳ではないが、
この『しょうもない』由来を探すのも、ちょっとしたしょうもない趣味の一つかもしれない。
ただ、今から思ってみて、なんだか田舎にいたときの孤立感
(2度とここには帰ってこないぞとずっと思っていた)
というのは、この異邦人的出自が多少影響しているのかもしれない。
何れにしても、ずっと異邦人であるかのようなよそ者感を感じながら大きくなった。
高校を卒業して東京に出て来た時
(父親が関西の方の大学を卒業していたので、そこに行け(=合格しないと行けないけどね)と何度も言われていた)、
なんと晴れやかな気分になったことか。
後少しで定年だ。
定年後の老後はどこか外国で過ごしたいと思っているが
(大学院生に話すと、外国人留学生皆んなが、私のところに来て下さいと誘ってくれる(が当然リップサービス?))
ひょっとしたら、生まれた田舎どころか、生まれた国もあんまり好きじゃないのかな?
ただ、どうやったら、どんな国でビザが取れるんだろう。
団塊の世代が定年を迎え、また塊になってしょうもない老後を過ごし始めているだろうが、
そこにもう一個小さな石が紛れ込む。
ただ、子供のときの記憶と言えば、
小学校の3、4年の頃だろう、渡り廊下と校舎の間の中庭に大きな紫陽花があって、
そこに雨が降りしきっている光景、
紫陽花にざーっと降った雨が流れていて、キラキラ光っていた、ように思い出される。
今研究室の前の小さな丘に雨が降りしきっていて、ふと昔々のことを思い出している。
子供の頃の記憶には、あんまり良い記憶が無いのだが、
山に入って集落ごとに分かれてやったチャンバラ合戦とこの紫陽花がたった2つの良い思い出だ。
記憶に残っている様々な出来事、風景、ボケ始めているとはいえ、そういった記憶が無い訳ではないが、
もう一度みたい、もう一度あの頃に戻りたいと思うのはこの2つだろう。
後は忘れても良い、いやむしろ忘れたい記憶に過ぎない。
父方の祖父母は広島の山の中から出て来た。
祖母は尼子の残党で、今も続く(また従兄弟が跡を取っている)家系ではあるが、
なんだか怪しい墓が家のすぐ裏の山
(というよりその山に麓から10〜20メートル登ったところに家がある)
に残っていて、
歴史家やら、考古学者やら人類学者やらが開けさせてほしいと何度も尋ねてくるそうだ。
母方は、対馬から京城に移り住み、第二次大戦後引上げて来た家族で、
母は両親が早くなくなったため、年の離れた従姉妹に育てられた。
その母の従姉妹は引上げて来た後もずっと独身を通し、我が生家の近くで過ごしていた。
母方の伯父は、
『何しろ宗家の家臣だった訳だから、半分以上は大陸の血を引いているに違いない』、
と口癖のように言っていた。
今、年を取って少し暇になり、残された寿命が短くなりつつあると感じるようになると、
馬鹿らしいとは思いながら自らの出自を確かめたい、というより知りたいと思うようになって来た。
こんなしょうもない奴の出自を辿ってみても何がある訳ではないが、
この『しょうもない』由来を探すのも、ちょっとしたしょうもない趣味の一つかもしれない。
ただ、今から思ってみて、なんだか田舎にいたときの孤立感
(2度とここには帰ってこないぞとずっと思っていた)
というのは、この異邦人的出自が多少影響しているのかもしれない。
何れにしても、ずっと異邦人であるかのようなよそ者感を感じながら大きくなった。
高校を卒業して東京に出て来た時
(父親が関西の方の大学を卒業していたので、そこに行け(=合格しないと行けないけどね)と何度も言われていた)、
なんと晴れやかな気分になったことか。
後少しで定年だ。
定年後の老後はどこか外国で過ごしたいと思っているが
(大学院生に話すと、外国人留学生皆んなが、私のところに来て下さいと誘ってくれる(が当然リップサービス?))
ひょっとしたら、生まれた田舎どころか、生まれた国もあんまり好きじゃないのかな?
ただ、どうやったら、どんな国でビザが取れるんだろう。
団塊の世代が定年を迎え、また塊になってしょうもない老後を過ごし始めているだろうが、
そこにもう一個小さな石が紛れ込む。
コメント
いや タイのほうが
いやいや親日は 台湾が一番とか
インドネシアは日本人が好きです とか
尊敬されて 申し訳ない気がします
あとは可能性としては中国かな?
ただ中国は移り住むのは難しいんでしょうね?
山田長政の国も良い国らしいですが、言葉も伝手もないし…。