こっちの水は甘いぞと台風君に言っていたのに、知らん顔して他所の方に逃げて行って、しかも大急ぎの駆けっこで走り去ってしまった。

 まあ釣り損なった魚は大きいというが、もう逃げられた台風君は大きかろうが小さかろうが、

縁がなかったとあきらめ、1限の授業をやった。

 とは言うものの前回の復習をちょっとのつもりで話し始めた所が、復習どころか同じことをやってしまった。

 3歩進んで2歩下がるなら良いが、2歩数んで3歩、4歩下がってしまう。

 セメスター+週2というのはちょっとつらい。

 やることがいっぱいあるのであれば良いんだが、こちらがあまり得意な分野でないことも手伝って、

やっぱりうまく行かない。

昔々の話だが、 大学院を出て就職した時にその就職先に専門分野が重なる先輩がいて、

指導教授から、まあ、専門が重なるが2年交代くらいで交代しながらやったら良いんじゃないか、といわれ、

不得意ながら大きなくくりでは同じである、◯◯学A、◯◯学Bと言った形でを担当した。

 2年経ち、3年経ち、我慢に我慢して雌伏5年(くらい)。

 「先生から、2〜3年交代くらいでやれば良いんじゃないか、と言われていたので、そろそろ」

と言ったところ、

「かんべんしてよ。おれ出来ないよ」と言われてしまって、それ以来、その話を2度と持ち出せなかった。

 断わられた時にもう自分のやっていた研究分野を捨て、違う分野、

例えば憲法で言えば人権をやっていた人が統治機構をやる、民法の物件法をやっていた人が契約をやる、と言った感じで、

外から見ると同じ憲法、同じ民法ではあるが、

それは理論構成から分析手法からまるで違うと言えば違うものだ。

 で、隣人同士であるのはその通りなのだが、まるで自分にとっては別世界に行った。

 学会報告もB分野でやったし、論文もB分野で書いた。

 そうやって、雌伏20年。

 転職して(転職場。職業を変えた訳ではない)、今のところに移ったとき、

B科目担当のつもりで移ったのだが、科目担当を決める時、ある大物の先生が、

ナッシー君はA科目だろう、と仰って、それ以来、A科目担当になってしまって、

B科目をやりたくてもやれない。

 20年も講義をやっていると、というかやっていないというか、同じ科目でもやっぱりやり慣れたものがやはりやりやすい。

 学問的にはひょっとしたらA分野の方が深いかもしれないのだが(いやその通りなのだが)、

学問としてやるのと講義とはやはり違う。

 講演をするというのであればAであろうがB、Cであろうが、

ある一つのテーマで60分話すのであればそれはそれなりに準備をすれば良いだろうが(などと言っているようでは人を満足させる講演などできないだろう)、

20回一つのテーマで話し続けるというのは、やはり簡単ではない。

 で、そうやって、あと数年間か。悶々と過ごす訳だ。

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