土俵のど真ん中での水入り。
長男夫婦が来た。

ちょっと片付けをという触れ込みで来たのだが、片付けと称するものをちょっとやって、

昼を一緒に食べ、帰って行った。

この前と言うか以前から、長女が同居しようと持ちかけて来ているのだが、それに対する答えは?

というのが来訪目的だった。

片づけはアリバイ作りだったわけだ^ ^。

その気はまるで無い、と返事をした。

大体建坪50坪のところに、そのまま放置して出て行った自分たちの置き土産をどうするつもりなのか。

それこそこっちが意向を聞きたいくらいだ。

と言っても残されているあれやこれやの置き土産については、

もう勝手に処分し始めているが、

長男の嫁さんもそれで良いと許可を得た。

横浜市は市長の個性からか、ゴミの回収に関しては、かつて知っていた東京都と比べてかなり、

ものすごくかなり、^ ^ 厳しい。

そんな状況下、回収されず置いて行かれないよう工夫しながらゴミ出ししている父親の苦労を知らないのかと言いたいくらいだ^ ^。

が、子供たちの物は全部廃棄処分するにしても、まだまだ残る。

まず、民芸家具(風)の、かみさんの嫁入り道具のタンス一式。

少なくともこれを処分する気は毛頭無い。

どうせもう研究などしないんだから本や資料なんかいらないのかもしれないが、

部屋が本箱だけの12畳ほどの書庫があり、

書庫同然に、氷柱が地面から 伸び上がったかのように、

床から横向きに寝たまま積み重ね上げられたあちこちの部屋にある本、本、本を

一体どこにどう収めるのか?

大学にもうなぎの寝床の研究室の両壁に、天井までの書棚にぎっしりと詰まった本があって、

ひょっとしたら軽自動車、いや少なくとも小型普通車が買えるくらい支払った外国雑誌のシリーズも

(19世紀前半部分が欠けているが、その後の100年分が揃っているもの)ある。

すごく貴重なのはこれくらいだが、そこそこ貴重な本も何十冊かはある。

勉強しなくなってはいるが、精神安定剤としての本はまだまだ必要だ。

貸しコンテナに蔵書をというわけにはいかないだろう。

で、どうする?

現状維持しかないと思うのだが、包囲網は狭まって来ている。

いや、向こうは狭めていると思っているだろう。

が、中々問屋は卸さないぞ。

まあ、定年になったら、退職金で世界一周でもして、横浜港に入港する直前に飛び込んでいいと思っている

(もちろん、それをやる気はないが、生きることに恋々とすることはない、はず^ ^。だが、いざとなるとみっともないくらい恋々としそうな気がしないでもない)

くらいなので、どうせ読まない本のことは考えなくとも良いのかもしれないが、

今日のところは土俵のど真ん中での水入り、か。

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