『明日の記憶』を見た。

記憶補助装置だったかみさんがいなくなってからのなっしー氏は、とりわけひどい。

記憶補助そうちが保護に取り扱ったんだろう。

朝起きると食事が用意されていて、着るものと持って出る物が用意されていて、

食事を済ませ、着替えをして、何もかもがごそっと入ったカバンを持って出ればよかった。

子供の数が増えるに従って、自分でやらなければならないことが少しずつ増えて行ったが、

今はは何もかも、全部自分で用意しないと出掛けることすら出来ない。

かみさんから『本当に大丈夫?』と聞かれていたのはかみさんが亡くなる数年前のことだった。

かみさんがその母を残して亡くなってから、そろそろ2年になる。

義母と2人だけの1年数ヶ月は、地獄とは言わないが、それはしんどかった。

その義母が亡くなって半年ちょっと経った。

義母には申し訳ないが、この半年は、気分の上での開放感、ゆとりははっきりと感じることができる。

ただこの2年の間に進んだ身体的、精神的な衰え、要するに体力、能力(脳力)の衰えは、

これもはっきりと感ぜられる。

何もかもおんぶに抱っこだったので気づかなかっただけかもしれないが、

身の回りの必要なことを忘れ、物がなくなり、同じものを2重に買い、なのにそれがまたなくなる。

ただ、主人公よりも10歳以上年を取っているので、まあこんなもんさと諦めてもいいんだが、

なんとか騙し騙し定年まで数年勤め上げて、そのあとは南の島で過ごすことにしよう。

が、主人公とちょっと違って問題がある。

かみさんがいない上にカナヅチなのだ。

猫に小判、金づちに大波。

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