水豊ダム
満州に行った。

母の叔父が建設に関わったダムを見るためだ。

だが実際に見に行ったダムと目的のダムを取り違えていた。

そこで急遽旅行日程を組み直したが、そのためいわゆる観光はぶっ飛んでしまい、

観光らしい観光は長白山だけになってしまった。

鴨緑江、ハルピン間を車で2往復する羽目になったが、

いずれにせよ、何しろ大叔父さんのダムが今回の旅の主要目的だ。

出直ししても母がいつまでも元気か分からない。

働き者の母ではあったが、隠居した今は相撲取りのような体格になって、

妹によると糖の垂れ流し状態だそうだ。

我慢して長生きするより、

美味しいものを好きなだけ食べて死にたいと言うのが糖尿病患者のお定まりだそうだが、

糖尿病は心臓病のようにころっと簡単に死ねるわけではなく、

真綿で絞められるように苦しむ病気だそうだ。

が、もう赤ん坊と、いや赤ん坊以上に何を言っても聞き入れない。

鴨緑江河口から、流れに沿い、時に流れから離れたりを繰り返しながら、

少しずつ山中に入り込んで行く。

鴨緑江の流れは、凄く早く、深い。

天竜川をこの前見たばかりだが、

河の幅は鴨緑江の方が狭く見えるが、河の流れはずっと早く深いように思われる。

ところどころ、うねるように波が立っている。

波の向こうは北朝鮮だ。

手を伸ばせば、届きそうだ。

こうして山行すること数時間。

ダム近くの山道に車を置き、歩いてダムに近づく。

と、銃を抱えた兵士に取り囲まれる。

何か中国語でまくし立てられる。

何を言われているのか分からないので、無視して進もうとしたら、

ガイドさんが、慌てて立ち塞がって、

『駄目です。ダムは軍事施設なので、近寄ると本当に撃たれます』

と言って、通せんぼをする。

ほんの1、2分の出来事だった。

すぐそこにダムがあるのに、もうどうしようもない。

少し引き返したどころにダムを見晴らすことが出来る場所があったので 、

そこで30分くらいだったろうか、ダムを遠くに望みながら、

母の叔父さん話しを拝聴した。

こうして子供の頃から繰り返し聞かされて来た叔父さんのダムとの遭遇はあっと言う間に、

淡々と終わった。

コメント

yasai
2013年8月30日21:30

日本人はダムを造ったんですね 鴨緑江に 知らなかった
ありがとうございます

yasai
2013年8月30日21:44

思い出した チッソのダムだ日本窒素が作った韓国窒素のダムだ
年を取ると イケマせんな



nassie
2013年8月30日22:24

おっしゃる通り窒素の水豊ダムです。母の叔父はこのダムを建設した間組の納入業者だったそうです。母は子供の頃に両親を亡くし、その叔父さんに色々世話になって大きくなったそうで、私も妹もこの叔父さんの造ったダムのことをいつも聞かされて育ちました。

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