夏休みが終わってから宿題をし始めて、何とか担任の先生の我慢の限界ぎりぎりに提出する。

 そんなやり方が生き方そのものとなって今日に至っている。

 でないと集中力が働かないのだ(←単なる言い訳)。

 追い詰められ、火事場の馬鹿力に頼って生きてきた。

 が、馬力が無くなったと言うか、気力が萎えたと言うか、

何もやる気がなく、締め切りが過ぎ、限界を通り越し、

もうどうにもならなくなる頃からよっこらしょと腰を伸ばし始める。

 そんな風に落ちていく1年半だった。

 冬場。寝坊すると暖房がなく、窓のシャッターが下りたままの真っ暗なダイニングで、義母がじっと座って待っているところに目を覚ましたばかりで起きて行く。

 数回これを経験すると、義母のその何も言わず座って待っている姿がトラウマになって、

明け方真っ暗な内に、義母が起きる前に、湯を沸かし、

暖房をつけ、トーストを焼く。

 焼く前にマーガリン(ネオソフト以外のマーガリンは受け付け無い)をつけ、

トーストする。

 あとはゴールドブレンド。

 もちろん電器でない普通のポットにお湯を入れておくと1日そのポットで間に合う。

 これが母子家庭の朝だった。

 正直何度か、どうしてかみさんと替わってくれなかったんだ、と思った。

 良き婿を演じ、健気で優しい父親を演じ続けた1年間だった。

 ただ、義母の、申し訳ありません、長生きしてしまってと言う言葉は、

義母の本心であったことは本当だろう。

 ケアマネージャーが、このままだと二人(母と私)共に倒れてしまう、と最優先でホームを見つけてくれ、入所出来ることになった。

 が、結果として、ホームで1ヶ月経つか立たないかで脳梗塞で倒れ(年令から言って恐らく意識が戻らないだろうと言われた)、

奇跡的に意識が回復し、介護も可能な施設に移る事が出来た。

 後は神様が決めると自分で思えるようになって、

出来るだけ日を空けず、少なくとも空白を3日にしないように心掛けた。

 そして介護に入って1ヶ月。

 母が永眠した。

 とても長い一年のようでもあり、とても短い1年だったような気もする。

 自分は矢張り家で死にたいと言う義母の声が未だ聞こえるようだ。

 

コメント

yasai
2013年7月24日19:10

僕の 父も母も家で死ぬと頑張って病院を避けて家で逝きました
死に場所も有るのでしょうね 

nassie
2013年7月24日21:31

 義母は早死にになっても良いから家でと言っていましたが、病院に行ったために早死にになったかも知れません。ただ、私は一番家族が手が掛からない形を選んで貰いたいと思います。

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