寝転がって本を読む。
2013年7月5日 日常 コメント (4) 眼鏡は大きな矛盾を抱えている。
見えないから眼鏡を使うのに、我が眼鏡は脚が生えていて歩いて何処にでも出掛けていく。
眼鏡に出掛けられてしまうと、眼鏡無しで眼鏡を探すと言う大きな矛盾に直面するのだ。
置くところを決めれば良いと言うのは眼鏡を知らない人の言う事だ。
いや、若い人の言うことか。
年を取ると、本を読むのに眼鏡は必要無い、
いや、少なくとも無くても十分読めるので、外してついぽいっと置いてしまう。
本に飽きて、冷蔵庫に飲み物を探しに行き、
キッチンに洗い物が重なっていたのが目に入り、
洗っている内にちょっとトイレに。
と、宅配便が来て、判子を探す。
そうなると眼鏡は脚を使ってどっかに行ってしまう。
母さん。僕のあの帽子どこに飛んでいったんでしょうね、
と言った感じで眼鏡が無くなる。
ド近眼の頃は、幸いにも家の中をうろつくのにも眼鏡が必要だったが、
最近は近眼は近眼だが近眼としては幼稚園児か、精々小学生。
老眼は中学生位の老眼で、家の中は眼鏡無しでなんとかなる。
と言うよりむしろ眼鏡は邪魔になる。
が、外に出るとそうは行かない。遠近に加えて乱の三位一体、いや遠近乱呆の四天王(ちょっと使い方を間違っている?)は外ではそれなりに苦労する。
信号が見えない。景色はぼやっとしか見えない。
すれ違う人が誰か分からない。
で、万事休す。先日実際にこの眼鏡無し一日(もちろん仕事に行き母の見舞いにも行った)を経験したが、
生きた心地がしなかった。
首にぶら下げればという人がいるが、
それは眼鏡を知らないか、寝転がって本を読む楽しみを知らない人の言い草だ。
こうして大きな矛盾を抱えた毎日が過ぎていく。
見えないから眼鏡を使うのに、我が眼鏡は脚が生えていて歩いて何処にでも出掛けていく。
眼鏡に出掛けられてしまうと、眼鏡無しで眼鏡を探すと言う大きな矛盾に直面するのだ。
置くところを決めれば良いと言うのは眼鏡を知らない人の言う事だ。
いや、若い人の言うことか。
年を取ると、本を読むのに眼鏡は必要無い、
いや、少なくとも無くても十分読めるので、外してついぽいっと置いてしまう。
本に飽きて、冷蔵庫に飲み物を探しに行き、
キッチンに洗い物が重なっていたのが目に入り、
洗っている内にちょっとトイレに。
と、宅配便が来て、判子を探す。
そうなると眼鏡は脚を使ってどっかに行ってしまう。
母さん。僕のあの帽子どこに飛んでいったんでしょうね、
と言った感じで眼鏡が無くなる。
ド近眼の頃は、幸いにも家の中をうろつくのにも眼鏡が必要だったが、
最近は近眼は近眼だが近眼としては幼稚園児か、精々小学生。
老眼は中学生位の老眼で、家の中は眼鏡無しでなんとかなる。
と言うよりむしろ眼鏡は邪魔になる。
が、外に出るとそうは行かない。遠近に加えて乱の三位一体、いや遠近乱呆の四天王(ちょっと使い方を間違っている?)は外ではそれなりに苦労する。
信号が見えない。景色はぼやっとしか見えない。
すれ違う人が誰か分からない。
で、万事休す。先日実際にこの眼鏡無し一日(もちろん仕事に行き母の見舞いにも行った)を経験したが、
生きた心地がしなかった。
首にぶら下げればという人がいるが、
それは眼鏡を知らないか、寝転がって本を読む楽しみを知らない人の言い草だ。
こうして大きな矛盾を抱えた毎日が過ぎていく。
コメント
テレビを見るときは近眼鏡、新聞や本を読む時は眼鏡を外し、PCと事務処理の時は老眼鏡。
そうそう、テニスと登山は近眼鏡で、外出の時は遠近両用。
全く、幾つ眼鏡があれば良いんだか・・・って感じです。
同類がいらして、ちょっと嬉しい!
我が家にも、眼鏡がゴロゴロしてます。(笑)
ちなみに、私も読書の時は眼鏡を外します。
裸眼の方がよく読めます。
これこそまさしくマル認ですが、こちらの方も10年くらい助走期間があるそうですね。もう助走からホップしようとしている頃ですね、私は。