2日前に面会に行った時は驚異の回復力で、

救急搬送直後とはまるで違い、身体も気力も回復していて、

呼び掛けにも的確に反応していた。

 身体全体に生気が戻って来たようだった。

 が、中一日置いた今日(17日)はまるで違う。

 母がホームに戻った後、救急時の対応についての合意文書の作成になった。

 終末期を淡々と迎える方向で合意がなされていく。

 祖母、叔父、父、かみさんとその最後に立ち会ったが、

ふとそのそれぞれの状況を思い出す。

 が、かみさんの時しか本当の悲しさはなかった、

そんな気がする。

 我ながら冷たい人間だと思うが、

罪滅ぼしか、義娘には、

『僕の時にも同じように判断して』

と頼んでおいた。

 子供達はかみさんの子供で、

優し過ぎて、淡々と判断出来ないような気がするからだ。

 ※ 中国では、お葬式にプロの泣き役を動員して式を盛り上げるそうなので、どこにでもしらっとした人間はいるんだろう。
 ただ、『好き』と言うのは生殖(セックス)と結び付いているだろうから、そんなに高度な感情とは思えないが、この『悲しみ』って言う感情は一体なんだろう?
 動物(動く生き物)は生きていくために平気で仲間を食用にするはずなので、仲間を失って悲しむという感情は、生産力が上がって、生きる事に『余裕』が出来て初めて生まれる感情であることは間違いないと思われるのだが。

コメント

ミハーハハ
2013年6月18日9:38

私も母が救急搬送された時延命治療はしませんでした。常々母がああいうのはいやねぇと言っていたからです。
結局意識が戻らないままその日の晩菜亡くなりました。午前中にテレビの話など楽しそうにして、アンパンを美味しいと食べていたのがうそのようでしたが、延命しなかったことに後悔はありません。

すみません、自分のことばかり書いて。

nassie
2013年6月18日19:03

 いえ。コメントありがとうございます。
 救急搬送の直後には、年令から言って恐らくこのまま意識が戻らず、最悪の方に向かう可能性が高いだろうと言われ、覚悟しましたが、その後奇跡的に回復し、もっと良くなるかと思ったのですが、一進一退ながら少しずつ坂を下っている感じです。
 職場でも、ちょっと難しい案件が持ち上がって、泣きっ面に蜂のようでもありますが、騒乱志向性の高い私としては、気が紛れて丁度良い感じです。
 関係者(私も含めて)はすったもんだやっていますが。

witch
2013年6月19日1:48

父は97歳で自宅での入浴中に脳梗塞を起こし、意識を取り戻さないまま数日で亡くなりました。
何歳であろうと、一人の人間が消えてしまうのは寂しいものです。
nassieさんの優しい気持ちが伝わってきて、ウルウルしています。

nassie
2013年6月19日7:02

 いや自分でも冷たいと思いますが、かみさんとの差の1/3でも1/4でも良いから譲ってくれれば、と思ってしまいます。自分の分を譲れば良いのに。

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