不本意ながら

2013年6月9日 日常
 DNから何の回答、釈明が無いまま復帰するのは甚だ遺憾だが、

記録媒体として重宝(何時でも何処からでも書ける。書き直しも出来る)な事から、

泣く泣く軍門に下る事となった。

 義母が救急搬送されたのだ。6月6日のこと。

 講義が終わって、ここのところ再開していた遠回り帰宅中に、

その連絡が入った。

 ただ、今日明日どうと言うことは無さそうなので、病院に行っても面会は出来ないし、説明は義兄と長男の嫁さんが受けたとの連絡だった。

 翌6月7日、 面会は午後2時から。

 右半身不随。ずっと眠ったきり。呼び掛けても何の反応もない。

 神経の通っている左手を擦りながら、

時折『お婆ちゃん。なっしーですよ』と呼び掛けていたら、小一時間経った頃にふとこちらを向いて、眼をあけ、

涙を流した。

 前日ずっと詰めていた長男の嫁さん、隣の義兄夫婦からは、

まるで反応が無いと聞いていたので、

本当にびっくりする出来事だった。

 6月8日 K大での研究会だが、いく気がせず、義母の見舞いに行った。

 前日のように必死で生き延びようと言う感じはなかった。

 が、起きている時はうっすら眼をあけ、また眠る時は眠り、

淡々と日を送っているようだった。

 途中から長女が合流したが、長女も落ち着いたようだねと言っていた。

 最初の説明では(これはなっしーは受けていない)、3日くらいで急性期の症状が落ち着き、その後快方に向かうか悪化するかが分かれて来る、

が、年齢から言うと(2週間余りで107才)、悪い方に向かう可能性の方が高いと説明を受けたそうだ。

 まあ、今となっては淡々と受け入れる他無い。


 ※ DNを赦した訳ではないし、軍門に下った訳でも無い。
 どこか良いメディアを探すし、何処かで良いサイトが有れば丸ごと引っ越しをする積もり。そのためにも過去のlogをメディアに吸い上げておかなければ。ただ、それが出来ていれば消えたってなんてことないのに。
 この間義母の事で何も出来ず、しかもそれを記録したいと思っての苦肉の策の復帰。スマホで書くことを止めるのが一番か?
 ipad? kindle? Digitaly divided personここにあり。
 


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