1年経った。

 今日でちょうど1年だ。

 遠い、遠い昔の出来事のようだ。

 地獄のような日が続いた。

 朝、目覚める。

 眠りから覚めると言うのではなく、

闇の世界から明かりの世界に移って行くと言う風に目が覚める。

 眠ったと言うほど眠った実感は無い。

 ただ、目が覚めた時、

自分が誰で、ここがどこで、今日がいつか、

それが分かるようになるのに暫くの間(ま)、何分かが必要だ。

 何月何日か、何曜日か、夕方なのか明け方なのか、

分からないまま朝を迎える。

毎朝その繰り返しだった。

 夜の間も眠れない。

 ずっと起きている。いや、微睡んでいる。

 昼間目覚めているときは、ひとりでに涙が出る。

 流石に他人の前ではそんなことは出来なかったが一人になると止まらない。

 眠ったかどうか分からないような眠りでも、

その眠りから目覚めた時、

ここがどこであるか

(要するに自宅のベッドにいると言うこと)が、

すっと分かるようになるのに3ヶ月程必要だった。

 かみさんがいなくなったと言うことが実感されるようになったのも、その頃だった。

 それまでは全てが夢のようで、まるで実感が無かった。

 ただ、3、4ヶ月経って、無我夢中が有我現実になってからの方が辛い。

 106歳の義母の世話がのしかかってくる。

 実感として、実態としてのしかかってくる。

 霧中の時はそれこそ夢中だった。

 が、朝、目覚め、階下に行くと、

義母がテーブルに座って待っている。

 じっと、何もしないで待っている。

 何かされちゃうと却って困る。何しろ106才だ。

 何度か自分で湯を沸かそうとした事があった。

 レンジが古くなっていて、火を点けるのに多少コツが要る。

 それがあるので義母の起床に遅れを取る訳には行かない。

 冬になっても義母が目覚める時間は同じだ。

 真冬の5時。

 義母が目覚め、トイレに行く音が聞こえる。

 その後は食堂のテーブルに座って待つ。

 これも辛い。

 夜も眠れるようになって来ていた。

 睡眠時間は精々4、5時間だが、眠ったと言う実感を得られるようになっていた。

 こうして1年経ったわけだ。

 ただ、経ってみるとほんの数日のような1年だった。

 ここまで書いた後、洗面所に行ったら水が出っぱなしだった。

 『気をつけて下さいね』と言ったところ、

『私は今日は洗面所に行っていません』

と言われた。

 97%はなっしーが犯人で無いと思うが、全く犯人の可能性が無いと言い切れないのがちょっと辛いが、

なっしーは確かに

『今日は絶対に洗面所に行っていません』。

コメント

ミハーハハ
2013年4月24日7:15

なっしー様おはようございます。
106歳のおかあさまは105歳でお嬢さんをなくされたのですね。
長生きもつらいものですね。なっしー様が異邦人となってさすらえる(しがらみなしで)ことにあこがれていらっしゃる気持ちよくわかります。でも、ナッシー様のお子様たちにとっては大事なおとうさまなんですよ。少しの元気を100倍に膨らませてお過ごしくださいね。

nassie
2013年4月24日9:31

義母は気丈な人で義父が亡くなった時も取り乱す事なく、私は分かりませんのでどうぞよろしくお願いいたします、とだけ言って頭を下げました。かみさんの時は流石に大泣きしましたが、その後は何も言いません。私が長生きで申し訳ありませんが、自分で死ぬ勇気が無いので許してくださいとは繰り返しますが。
私はそんな気力が無くて、先ず身体を動かして、周りを固め無いと何も出来ませんので、遠い所でふらふらと気を紛らわしながら生きて行くのが、凄く向いていると思います。
人見知りですけど、直ぐに気のあう友人が出来るんです。フランスにも数人引っ越して来いと言ってくれる友人がいますし。中国、ベトナムにも。
ただ、ちょっと知らない所で暮らして見たいのです、何年間か。直ぐに逃げ帰って来るでしょうが。

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