1年経った。
去年の4月23日。
入院中のかみさんが、若い時(恐らく子供の時)からずっと続けていた手帳のメモを取りながら、
あれをして、これを持って来てと指図する、
その指図がなくなって数日経っていた。
あんなに鮮明だった意識、意志が急に衰えたと思ってほんの数日。
ふーっと息を吸ったように思われた。
いや、吐いたのかも知れない。
それきりだった。
その1回忌の法要の日、
今の『家で親を看取る』(NHK)を見ている。
自分でも、延命治療は要らない、と言う文書を書くつもりだ。
その前にこれからの数年か、10年か20年ほどをどう生きるか、
本気で考えなければならないが、
今までと違う生き方が出来るはずは無い。
結局、無駄をなくす以外に無いが、
無理をする必要も無い。
今日、子供たちと墓の事、家や土地の事を話した。
書斎も必要なので、1LDKは欲しいな。
まだまだ最後の事まで考える必要は無いかと思うが、
少なくとも、いずれ訪れるそこまでの道筋は考えていたおかなけば。
そういう年になった。
去年の4月23日。
入院中のかみさんが、若い時(恐らく子供の時)からずっと続けていた手帳のメモを取りながら、
あれをして、これを持って来てと指図する、
その指図がなくなって数日経っていた。
あんなに鮮明だった意識、意志が急に衰えたと思ってほんの数日。
ふーっと息を吸ったように思われた。
いや、吐いたのかも知れない。
それきりだった。
その1回忌の法要の日、
今の『家で親を看取る』(NHK)を見ている。
自分でも、延命治療は要らない、と言う文書を書くつもりだ。
その前にこれからの数年か、10年か20年ほどをどう生きるか、
本気で考えなければならないが、
今までと違う生き方が出来るはずは無い。
結局、無駄をなくす以外に無いが、
無理をする必要も無い。
今日、子供たちと墓の事、家や土地の事を話した。
書斎も必要なので、1LDKは欲しいな。
まだまだ最後の事まで考える必要は無いかと思うが、
少なくとも、いずれ訪れるそこまでの道筋は考えていたおかなけば。
そういう年になった。
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