ABBA

2013年2月25日 日常
ABBA
 これからラジオ深夜便で特集。

 じっくり聴きます。

 では。

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 3時にABBAが終わった。

 70年代にぐーっと引き戻される。

 ABBAと切っても切れない思い出がある。

 Kさんという友人がいた。

 正確に言うと友人の友人だ。

 彼はある大学でポルトガル語を学んだ。

 高校時代に英語のペーパーバックが辞書無しで読めるようになっていた。

 当時所謂ヘアヌードは厳格に規制されていた。

 愛のコリーダ事件以前の事だ。

 彼はヘアヌード写真(というよりざらざら紙にヘアも写った写真)を見たい一心で、

野放しのペーパーバックを次々と読んだそうだ。

 ペーパーバックの写真なので不鮮明極まり無いが、

当時の、不良少年で無い普通の田舎の高校生には貴重な写真だった。

 大学ではヌード写真付きペーパーバックで鍛えた英語の他にポルトガル語とスペイン語がほぼ自由にこなせるようになっていたが、

途中、学生運動にほんのちょっと関わり、留年したりした。
 
 母子家庭だったので、自分の学資だけでなく妹の学資も彼が全部出した。

 大学卒業後、昼は肉体労働、夜は女子高の夜警をして資金を貯め込んだ。

 この頃はなっしーも多少フランス語ができたので、彼から教えてよと言われていた。

 彼はその後身につけたフランス語、ドイツ語を含むマルチリンガル通訳として、テレビ局の取材の通訳としてアフリカに行き、

その数年後、ドイツの大学で数学で博士の学位をとってドイツで数学の教授をしていると聞いたのが20年ほど前のことだ。

 彼はABBAが大好きだった。

 Kさんはその歌も好きだったが、大根脚の当時の日本人女子大生と違ってすらっと伸びたABBAの二人のミニスカートの脚『が』大好きだった。

 なっしーは歌が好きだったがそのミニスカートの脚『も』
きだった。

 この『も』と『が』の微妙なモチベーションの差がスエーデン語へのモチベーションの差を生み、

語学力の越えられない差を生んでいる。
 
 ただ、数学はどうにもならない。


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