40年ほど前、まだ大学が騒然としていた頃で、学園祭も、自主学園祭として騒然とした雰囲気の中で開かれていた。

 つてを頼って長谷川きよしさんに来て頂いてコンサートを開いた。

 自主学園祭、しかもクラスが主催。文字通りの手作りコンサートだった。

 大学が騒然としていたので、いつ機動隊が入って中止になるか分からない。

 もし中止になったら、女子学生は街に立つ、男子は日雇い、を合い言葉に準備した。
 
 当日、階段教室が満員になり、ほっとした事だけを覚えている。

 確か20万の出演料で、収支文字通りのプラマイゼロ。

 胸を撫でおろしたが、次の日に機動隊が入って学園祭は中止になった。

 すんでのところで、立ちん坊、日雇いを免れた。

 10年ほど経って、札幌で長谷川さんのコンサートがあって、

クラスメートがコンサート終了後長谷川さんに会って、その自主コンサートの話をしたところ、

『凄く良く覚えていますよ。あんな良いコンサートはめったにありません』

と誉めていただいたそうだ。

 大学の教員用の共同研究室で、

もう定年退職なさった大先輩のフランス語の先生がいらっしゃった時に、

ふとその話が出て、

『あれ、あなたがやったの? 本当に素晴らしいコンサートだったよ』

とここでも大絶賛だった。

 言い出しっぺではあったけど、みんなの力で実現した企画だが、

最近、やたらとあの時のクラスメートに会ってみたい気持ちがつのる。

 取り分け被爆2丗の女子学生がいたのだが、

今元気だろうか? 

コメント

yasai
2012年9月24日0:45

僕は被曝2世です
父母の死後に僕は広島に戻りました
軍医だった父は広島には戻りませんでした
10年ほど前に父77才 母72才でほぼ同時に逝きました
父母の骨を海に蒔きました

nassie
2012年10月3日18:19

yasai先生:この同級生の女子学生は、当時少しずつ体調が悪くなってきていて、動けるうちにできることは全部やるんだ、と頑張っていました。すごく気の合う人だったんですが、この後しばらくして大学に来なくなってしまいました。

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