あら、きれいな手をしているわね。
2012年7月27日 日常 長男がまだ、2、3歳だった頃、25年くらい前だろうか、
新宿の似セタン・デパートで買い物をしての帰り、駐車場から降りて少し走ったところで、
バーンと銃で撃たれたような音が後ろの方でした。
びっくりして車を停めたが、
リアウインドウが粉々に割れ落ちて、ガラスが後部座席に散らばっていた。
暴力団の抗争の流れ弾が当たったのかと思ったほどで、
正直びくびくしながら家に帰った。
駐車場に車を停めて、片づけをしていたら、
近所で時々立ち話をしたり、時にはお宅に呼ばれてお茶をごちそうになったりしていた奥さん(60前後くらいだろうか)に、
『ぺぺちゃん、何やってんの?』と訊かれて事情を話した。
穂積ペペに似ているというので、その奥さんからペペちゃんと呼ばれていた。
『ええっ?! それ大変なことじゃない? 家においでよ、ちょっと私が何とかしてあげるから』、
とお宅に呼ばれた。
目黒区の高級住宅街に150~200坪くらいの『犬小屋』を持っていて、その犬小屋に招かれた。
下北には1000坪以上の人間の住む家があるんだそうだ(残念ながらその人間の家には行ったことはない)。
『1さん自動車』の車だった。
奥さんはさっそく『1さん自動車』に電話をしたが、
休日だったので、出社している中で部長クラスが一番上(事実かどうかはわからない)だった。
『あなたじゃ話できないから、月曜日に話の分かる人用意しておいて、また電話するからね』
ということでその日はこれで終わった。
『走っていて窓が砕ける車って、欠陥車だよね。前が割れてたら大変だよ。大事な子供を乗せるのに、そんな危険な車やめて、ロールスロイスにしなよ。
ロールスロイスだったら、中東の砂漠の真ん中で車が動かなくなったって、
ヘリコプターで助けに来てくれるし、
あんたも大学教授なんだからさ(まだ専任講師だった)』
と言われ、
『いや。そんな怖いことやめてくださいよ。僕はまあ、正直なところ修理代くらいは向こうがサービスしてもいいと思うけど…。』
と答えた。
当時は消費者問題も少しやっていたし、そうでなくても法律の専門家として、
一定の責任はメーカーに取ってもらっても良いとは思うが(実際はなかなか難しい)、
それ以上は請求すること自体難しい。
『あら、欲が無いのね。でも私に任せて』
と言われて分かれた。
詳細は省くが、取り合えず修理は無料、それにプラスして若干の慰謝料(迷惑料)で決着が着いた。
その後、その奥さんの事業活動等で、
ちょっとした問題が起こったときコンサルタントみたいなことはしたが
(もちろんお抱えの弁護士がいるので、弁護士の仕事のチェックみたいな感じで相談を受けた。要するにセカンドオピニオン)、
何度か家族で食事をごちそうになったりしていた。
横浜に引っ越してからも、電話で何度か無料の法律相談は受けたりしていたが、
その後お付き合いは途絶えてしまった。
この間、友人が陶芸をやっていて、
『文部大臣賞はダメだけど、それなりの賞を上げるね』、
と言ってそれなりの賞を取らせてもらったり(有名陶芸家の名前を冠にした賞)、
銀座で2,3回個展を開いてもらったりした。
厳しいな、と思ったのは、その友人との初対面の時、
『あら、陶芸家なのにきれいな手をしているわね』
と言われたことだった。
新宿の似セタン・デパートで買い物をしての帰り、駐車場から降りて少し走ったところで、
バーンと銃で撃たれたような音が後ろの方でした。
びっくりして車を停めたが、
リアウインドウが粉々に割れ落ちて、ガラスが後部座席に散らばっていた。
暴力団の抗争の流れ弾が当たったのかと思ったほどで、
正直びくびくしながら家に帰った。
駐車場に車を停めて、片づけをしていたら、
近所で時々立ち話をしたり、時にはお宅に呼ばれてお茶をごちそうになったりしていた奥さん(60前後くらいだろうか)に、
『ぺぺちゃん、何やってんの?』と訊かれて事情を話した。
穂積ペペに似ているというので、その奥さんからペペちゃんと呼ばれていた。
『ええっ?! それ大変なことじゃない? 家においでよ、ちょっと私が何とかしてあげるから』、
とお宅に呼ばれた。
目黒区の高級住宅街に150~200坪くらいの『犬小屋』を持っていて、その犬小屋に招かれた。
下北には1000坪以上の人間の住む家があるんだそうだ(残念ながらその人間の家には行ったことはない)。
『1さん自動車』の車だった。
奥さんはさっそく『1さん自動車』に電話をしたが、
休日だったので、出社している中で部長クラスが一番上(事実かどうかはわからない)だった。
『あなたじゃ話できないから、月曜日に話の分かる人用意しておいて、また電話するからね』
ということでその日はこれで終わった。
『走っていて窓が砕ける車って、欠陥車だよね。前が割れてたら大変だよ。大事な子供を乗せるのに、そんな危険な車やめて、ロールスロイスにしなよ。
ロールスロイスだったら、中東の砂漠の真ん中で車が動かなくなったって、
ヘリコプターで助けに来てくれるし、
あんたも大学教授なんだからさ(まだ専任講師だった)』
と言われ、
『いや。そんな怖いことやめてくださいよ。僕はまあ、正直なところ修理代くらいは向こうがサービスしてもいいと思うけど…。』
と答えた。
当時は消費者問題も少しやっていたし、そうでなくても法律の専門家として、
一定の責任はメーカーに取ってもらっても良いとは思うが(実際はなかなか難しい)、
それ以上は請求すること自体難しい。
『あら、欲が無いのね。でも私に任せて』
と言われて分かれた。
詳細は省くが、取り合えず修理は無料、それにプラスして若干の慰謝料(迷惑料)で決着が着いた。
その後、その奥さんの事業活動等で、
ちょっとした問題が起こったときコンサルタントみたいなことはしたが
(もちろんお抱えの弁護士がいるので、弁護士の仕事のチェックみたいな感じで相談を受けた。要するにセカンドオピニオン)、
何度か家族で食事をごちそうになったりしていた。
横浜に引っ越してからも、電話で何度か無料の法律相談は受けたりしていたが、
その後お付き合いは途絶えてしまった。
この間、友人が陶芸をやっていて、
『文部大臣賞はダメだけど、それなりの賞を上げるね』、
と言ってそれなりの賞を取らせてもらったり(有名陶芸家の名前を冠にした賞)、
銀座で2,3回個展を開いてもらったりした。
厳しいな、と思ったのは、その友人との初対面の時、
『あら、陶芸家なのにきれいな手をしているわね』
と言われたことだった。
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