以前から不思議でしょうがなかったのが、

『駆け込み乗車はおやめ下さい』

だ。

 ヨーロッパ全体がどうかは知らないが、

私が知ってるヨーロッパの列車は、基本的には発車ベルが無いまま、

すう~っと滑るように発車する。

 到着の時もあれ?いつ停まったんだろう、と言う感じで停まる。

 停車駅の案内はある。

 ○○駅と素っ気なく一回だけ駅の名が告げられる。

 初めて旅行した時は自分がどこにいるのか分からなくて困った。

 時刻表でおおよそ自分がいる場所は分かるが、長距離列車は何しろ停まらない。

 しかも通常は大幅に遅れる。

 時刻表は頼りにならない。いや、言うまでもなく時刻表は正確だが、運行がでたらめなのだ。

 一人での列車の旅はそうでなくとも緊張する。

 荷物に気を張り、食事の心配をし、

現在地に気を張って、そして知らないところで、知らない言葉での旅行になる。

 今考えれば、誰も予定通りに着くことを期待していないんだから、

遅れようが早く着こうがどうでも良いことだ。

 遅く着いたってホテルは何とかなる。

 途中で降ろされたって、何とかなるはずだ。 

 ケ・セラ・セラ。

 遅れたって、早かったって、乗り継げなくたって、もっと堂々としていれば良かったのだ。

 そして、

日本に帰って来た。

 帰ってみると、列車は時間通りに動くが、

アナウンスがうるさくてうるさくて仕方がない。

『次はどこそこです』

が前の駅を発車したときと到着時の最低2回。

 アナウンスする時にも最低2回は連呼する。

 やれ、扉に手をつくな、停まるまで待て、荷物に気をつけろ、左の扉が開く、押し合うな などなどなどなど…。

 院生だった頃、昔の判例をぱらぱらめくっていた時に、

列車と乗客との間で何か事故(接触事故?確か)があって、鉄道会社に責任が認められた事例があった。

 その責任の根拠が、駅の案内放送がなかった事だった、と記憶している。

 曖昧で申し訳ないが、

 少なくとも、その(判例を読んだ)時、案内放送が煩くって仕方がない理由はこれか、と思ったのは間違いない。

 罪作りな裁判官だ。

 100年後に禍根を残してしまった。

 ところで、駆け込み乗車はおやめください、だが、

これは実は駆け込み乗車をやめさせようとしているのではない。

 乗りたい人は駆け込んでください、そうでない人はゆっくり歩いてね、

そして

乗りたいと思って駆け込む人が途絶えたところで扉を閉めます、と言う宣言なのだ。

 言うことと言いたいことがまるで違うなんて、大人ってイヤだな。

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