去る者日に疎し
 当初は悲しくとも、人が去ってしまったなら、少しずつ記憶も遠くなり、悲しみも薄らいでくるということを言うのだろう。

 ただ、身近なものがいなくなった時は少し違うのではないか。

 とりわけ急にいなくなった。

 もちろん入院中に

『ひょっとしたら』

という予感のようなものがなかったわけではない。

 ただ、近所に空き巣が頻発しているので注意をするように、とか、

電車で掏摸が、と言われていても自分のことのように思えないのと同じで、

苦しそうにしている妻を見ても、死が現実のものとは思われなかった。

 急に容態が急変しても、当然またすぐ回復すると思っていたのだが、

本当にあっけなく亡くなってしまった。

 その後はバタバタとセレモニーが進み、本当にいなくなったという実感がわいてきたのは1週間か2週間ほど経ってからだ。

 街を歩いていると、一緒に買い物をした時のことを思い出す。

 電車に乗ると、一緒に乗ったときのことを思い出す。

 何かする度にあんなことがあった、こんなことがあった、こんな話をした、あの時叱られたなあと、次から次へと思い出すのだ。

 愛犬との朝晩の散歩のとき、

『ほら、○○君。そんなことするとお母さんに叱られるよ。お母さん悲しむよ』

と心の中で言い聞かせると、きょとんとしてこっちも見ている。

 『お母さん、いなくなっちゃんだよ。お母さんどうしてるかなあ。 君のこと、心配してるかな、お父さんの言うことちゃんと聞かなくっちゃかなくっちゃ駄目だよって言ってるかもよ』

と、話しかける。

 そして、いつも最後に

『お母さん、いなくなっちゃったんだよ』

とぎゅっと抱いて立ち上がる。

 きょとんとしている風に見えるが、全部わかっているに違いない。

 とても感受性の鋭い犬だから。

 去る者、日々に疎くなるのではない。日々に益々親しである。

コメント

ミハーハハ
2012年5月22日12:48

先ほども父の部屋の片づけをしていて何度も何度も両親の思い出に浸っていました。
わかっていてもたちどまってしまいます。それでいいですよね。

nassie
2012年5月23日23:54

まだ、日が浅いせいでしょうか何かする度に妻のことを思い出します。講義中にもふと思い出したりして、戸惑ってしまいます。一度休講すると復帰できなくなりそうで、休まないで続けていますが…。

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