明日できることは今日するな
2012年5月7日 日常 コメント (2) 妻はイタリアが好きでイタリア映画が好きで結婚する前、してからも何度も一緒にフェリーニやヴィスコンティを見に行っていた。
そもそも知り合ったのも妻が小さな小さな映画会社で働いていた時だった。
妻は映画そのものが好きで、何らかの形で撮る、作ることをしたかったようだが、
その映画会社は、その時はもう作品を作っていなくて、過去の作品の管理をしているだけの状態だった。
そしてしばらくして会社ものが消滅した。
その後彼女は出版社に転じ、マンガの編集を中心にやっていた。
大物漫画家の挿絵の原画が何枚か我が家の壁に懸っている。
田舎育ちで高度な都市文明に接したことがなかったなっしーは、
ローマに蛮族が征服されるかのように、妻の尻にしかれてしまっていた。
知り合った当時、なっしーは2つ目の大学の学生だったが、
その後大学院に進んだ時に結婚し、就職した年の夏に長男が生まれた
(恩師になんと計画性のない奴だと笑われた)。
子育てが始まってからは一緒に映画を見に行ったことはほとんどない。
下の娘の手が離れてからは、年に1,2回見に行かないわけではなかったが、
その後、こちらが忙しくなってしまって一緒に映画を見るなどということはなくなってしまった。
昨日、長女が来て(1日か2日おきに亡き母に会いに来ている)、
『お母さん、イタリアに行きたいって、言ってたよ。
連れて行ってあげたかったね』、と。
『じゃあ、Y君(長女の相方)がロンドンにいる間に、
お母さんと一緒に、家族みんなでイタリア旅行に行こうか』
という話になった。
でも、元気な時に一緒に行っておくんだった。
2年前に早世したなっしーの1番の友人
(教え子の法曹が300人以上、ひょっとしたら500人以上?いる恩師が『こんな優秀な奴見たことない』とおっしゃっていた。妹の相続と土地が絡む複雑で厄介な問題も彼女に頼んで最終的に解決してもらった。最後の最後は別の人が仕上げたが)
が、
『明日できることは今日するなをモットーに生きるんだ』
と言っていたが、
やっぱり今日しておかないと明日では遅いこともある。
※ そういえば初デートは『映画に行こうよ』と誘ったのに、食事をしただけで映画を見なかった。
最初から最後まで嘘のつきっぱなしになっちゃわないように、来年は絶対にイタリアに行くぞ!
そもそも知り合ったのも妻が小さな小さな映画会社で働いていた時だった。
妻は映画そのものが好きで、何らかの形で撮る、作ることをしたかったようだが、
その映画会社は、その時はもう作品を作っていなくて、過去の作品の管理をしているだけの状態だった。
そしてしばらくして会社ものが消滅した。
その後彼女は出版社に転じ、マンガの編集を中心にやっていた。
大物漫画家の挿絵の原画が何枚か我が家の壁に懸っている。
田舎育ちで高度な都市文明に接したことがなかったなっしーは、
ローマに蛮族が征服されるかのように、妻の尻にしかれてしまっていた。
知り合った当時、なっしーは2つ目の大学の学生だったが、
その後大学院に進んだ時に結婚し、就職した年の夏に長男が生まれた
(恩師になんと計画性のない奴だと笑われた)。
子育てが始まってからは一緒に映画を見に行ったことはほとんどない。
下の娘の手が離れてからは、年に1,2回見に行かないわけではなかったが、
その後、こちらが忙しくなってしまって一緒に映画を見るなどということはなくなってしまった。
昨日、長女が来て(1日か2日おきに亡き母に会いに来ている)、
『お母さん、イタリアに行きたいって、言ってたよ。
連れて行ってあげたかったね』、と。
『じゃあ、Y君(長女の相方)がロンドンにいる間に、
お母さんと一緒に、家族みんなでイタリア旅行に行こうか』
という話になった。
でも、元気な時に一緒に行っておくんだった。
2年前に早世したなっしーの1番の友人
(教え子の法曹が300人以上、ひょっとしたら500人以上?いる恩師が『こんな優秀な奴見たことない』とおっしゃっていた。妹の相続と土地が絡む複雑で厄介な問題も彼女に頼んで最終的に解決してもらった。最後の最後は別の人が仕上げたが)
が、
『明日できることは今日するなをモットーに生きるんだ』
と言っていたが、
やっぱり今日しておかないと明日では遅いこともある。
※ そういえば初デートは『映画に行こうよ』と誘ったのに、食事をしただけで映画を見なかった。
最初から最後まで嘘のつきっぱなしになっちゃわないように、来年は絶対にイタリアに行くぞ!
コメント
これが私の生き方なんですが、改める必要がありそうです。明日が必ずあるという保障ないですものね。
奥様は感受性の豊かなかただったのですね。
私事ですが、夫と付き合うきっかけになったのは感動したイタリア映画の話で盛り上がったからということを思い出しました。です。(ベルナルド・ベルトリッチ監督、1900年、)