そうですねぇ。
そろそろ店じまいを考えないといけない年になっているのに、
結局 どうにもならないまま、生きてきた証しを残し続けて、
残し続けてごみをためていく。
次の世代は、
その生きた証に染みついた思い出と言う価値。
極く私的で、個人的な価値を知らないものだから
(もちろん社会的には意味のない価値だ)、
ばさ~っと処分してしまう。それが出来てしまう。
そうやってこそ、初めてガラクタも整理されるんだろう。
何もかもきれいに。
台所もレストランのキッチンのように。
寝室はホテルの寝室。
本棚は図書館の書庫。
街はがさ~と取り壊され、近代化され、
風土も風景も、全く別物になってしまう。
ところが、そうやって取り壊され、棄てられた現実は、
個人的にも、社会的にも思い出を引きずって、そこに存在している過去の遺物。
わが国の、中国初めアジア諸国の街はモデルルームのキッチンのように、
味気なく、魅力がない。
個人的には過去の遺物だらけの、部屋。 壁。 廊下。 屋根裏収納場所。
どうにかならないものだろうか…。
残しつつ、利用しつつ整理出来ないものか?
いや、もう店じまいしてしまおうか。
ただ、原発の遺物は、店じまいだけではおさまらない。
※ やはりまずいので、改題しました。
そろそろ店じまいを考えないといけない年になっているのに、
結局 どうにもならないまま、生きてきた証しを残し続けて、
残し続けてごみをためていく。
次の世代は、
その生きた証に染みついた思い出と言う価値。
極く私的で、個人的な価値を知らないものだから
(もちろん社会的には意味のない価値だ)、
ばさ~っと処分してしまう。それが出来てしまう。
そうやってこそ、初めてガラクタも整理されるんだろう。
何もかもきれいに。
台所もレストランのキッチンのように。
寝室はホテルの寝室。
本棚は図書館の書庫。
街はがさ~と取り壊され、近代化され、
風土も風景も、全く別物になってしまう。
ところが、そうやって取り壊され、棄てられた現実は、
個人的にも、社会的にも思い出を引きずって、そこに存在している過去の遺物。
わが国の、中国初めアジア諸国の街はモデルルームのキッチンのように、
味気なく、魅力がない。
個人的には過去の遺物だらけの、部屋。 壁。 廊下。 屋根裏収納場所。
どうにかならないものだろうか…。
残しつつ、利用しつつ整理出来ないものか?
いや、もう店じまいしてしまおうか。
ただ、原発の遺物は、店じまいだけではおさまらない。
※ やはりまずいので、改題しました。
コメント
なっしーさんの日記と少し違ってきてしまうかもしれませんが、
私は、そう状態にある時期に、全ての過去を思い起こせるものを
捨て去ってしまいました。
後悔しなかったわけではありませんが、
結局、過去を思い出すことも出来ないし、
懐かしむ記憶のないものが身の回りにあるのが
少し辛かったのです。
でも、きっとなんだかんだと身の回りにおいておく方が
幸せなのかもしれないと、最近ちょっと思うようになってしまいました。
やはり、後悔なんでしょうか。
ただ、生まれ育った町が、めいっぱい変わってしまったときは
寂しかったですけれどね。
つい、あの時代は、ゆったりしていて、あったかかったよね、
なんて、思ってしまったりして。
ごめんなさい、長々書いてしまいました。
的外れなコメント、申し訳ありませんでした。