叔母の葬儀が営まれた。

 何グループかの葬儀が、同時というか平行というか進行していく。

 まるで大学の講義が、

民法の教室の隣で英文学、その隣で15分違いで自然科学史と体育理論。

 廊下を挟んで刑法と哲学みたいな感じだ。

 しかも窓もドアも開け放たれて、

中の講義が丸見え。

 隣の部屋どころか直ぐ隣で野辺送り、お骨上げもが

同時平行で営まれる。

 恐らく食事時間を同一時に設定しているからだろう。

 が、厳粛な葬儀がまるでスーパーの陳列棚だ。

 開け放たれた厳粛さが、かえって違和感をもたらす。

 いっそ盆踊りのように、みんなで輪になって踊った方が良い。

 あっという間に、通夜、葬儀、初七日法要が終了。

 余り美味くない仕出し弁当を食べて、追い立てられるようにして、

葬儀場を後にした。

 何だか近い者で手を合わせて貰って、そのまま筏か小舟に乗せ、

川か海に流して貰いたくなった。

※ 教育ビジネスも同じことが進行中ですね(-_-;)。

コメント

Mythril
2011年10月15日22:13



セレモニー


ですよね…



チベット?では鳥葬があって…若い頃に週刊誌か何かでカラー写真を見たような…。


セレモニーも主宰する者にとっては結構気苦労があったりしますよね…


nassie
2011年10月15日22:58

Mythrilさん:川喜田二郎「鳥葬の国」講談社学術文庫(1992年)を読んでこんなの良いなと思ったことがあります。
どうせ無に還るんだったら、一人でひっそりと、というのが好きです。

nassie
2011年10月15日22:59

Mythrilさん:川喜田二郎「鳥葬の国」講談社学術文庫(1992年)を読んでこんなの良いなと思ったことがあります。
どうせ無に還るんだったら、一人でひっそりと、というのが好きです。

nassie
2011年10月15日23:02

また2度押しが起こってしまった(>_

saeko
saeko
2011年10月17日12:58

こんにちは。

少し、お話とはずれてしまうかもしれませんが、
父が亡くなったときに、母はもう、介護の必要な身体で、
葬儀にも車椅子でした。
その時に、葬儀社の方々が、ものすごく親切で
何度も、自宅まで足を運んでくださり、母の様子まで心配してくださいました。

でも、私たち家族は、かえってそれがお母様の時もお願いします、と
言われているような気がして、皆で苦笑してしまいました。

なんか、最近はベルトコンベアーに乗せられて全てが流れていくような
そんな世知辛さを感じてしまうことが多いです。

nassie
2011年10月17日17:49

saeさん:
同じ葬儀場で以前叔母の家族の葬儀が営まれたときは、建物も古く、手際も今回のように整然としていませんでした。参列者の方の何人かが、前の方が趣があってよかったね、と仰っていました。
やはり寂しい、うら悲しい方が葬儀らしくて良いんだと思いました。

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