難しい問題だ。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011091590140239.html
刑事事件において時効が認められるのは、
犯人がその追われる恐怖にに苛まれ、ある種、間接的刑に服することと、
また、被害者およびその関係者の、
時の経過によって犯罪、および犯人に対する憎しみが薄れてくることを理由としている。
いや、私は絶対に許さない、と言う人、思う人々も多いだろうが、
犯人にも一つの人生がある。
いや、人生を突然プツンと途切れさせられた者のその人生はどうなのだ、
と言われれば返す言葉が無い。
ただ、ナッシーは、一個人としては後ろの立場に立つことは当然だ。
ただ、法律の専門家としては前の立場に立つ。
もちろん逡巡はあるが、おそらく研究者としてはそれが、
と言うのは時効制度は正しいと考える。
では、国に、国の犯罪行為に時効があるのか?
我が国も戦争犯罪を犯している。
我が国だけではない。
アメリカは元々原住民を殺しまくって成立した国だ。
いや、今存在している国々や民族は、
隣国、遠国、隣村、遠い村その他、要するに自分たちとは異なる民族、氏族、その他のグループの人々を、
殺し、追い払い、奴隷にし、
要するにそうした”戦争”に勝ったグループの子孫なのだ。
では国の戦争犯罪に時効があるのだろうか?
あるとすると被征服者、被害者はどうやって慰撫される?
ないとするとまるで(直接には)関係のない、征服者や犯罪者の子孫はどうやって償うのか?
時効制度は、常にこの矛盾の解決が求められるが、解決方法はない。
なんだか、割り切れないのは科学として法律学が未熟だからなんだろうか。
いや、法律学は学問ではない、ただ単に技術だ、という開き直りは許されるんだろうか?
※ この事件では未だ60年ほどしかたっていないので時効にはかかっていない、と言う判断もあり得ますが。 いずれにしても、やはりどこかで”法的”な責任は無くなると考えるべきなんでしょうね。
※※ ただし、道義的な責任はずっと残るはず。
我が国の中国や、東南アジアに対する責任。中国もヴェトナムに、ヴェトナムもさらに周辺諸国に対して…。
国も生き物もみんな生物連鎖の中の一つとして存在し、存在が許されるとするならば、できるだけ、環境・周囲に対して負荷をかけない、最低限の負荷で生き続けることが許されるのか、な?
わが身を振り返ると、余りにも環境に多大の負荷をかけているのだが。
妻のYに。ご免なさい。大学の学生諸君、ご免なさい。周りの先生方、ごめんなさい。
お隣のWさん、ご免なさい … … … …。
ああ、生きるのが面倒になって来ちゃう、などと開き直りを言って、皆さん、ごめんなさい。
※※※ 写真の右が中国、左がヴェトナムです(これも数年前の写真)。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011091590140239.html
刑事事件において時効が認められるのは、
犯人がその追われる恐怖にに苛まれ、ある種、間接的刑に服することと、
また、被害者およびその関係者の、
時の経過によって犯罪、および犯人に対する憎しみが薄れてくることを理由としている。
いや、私は絶対に許さない、と言う人、思う人々も多いだろうが、
犯人にも一つの人生がある。
いや、人生を突然プツンと途切れさせられた者のその人生はどうなのだ、
と言われれば返す言葉が無い。
ただ、ナッシーは、一個人としては後ろの立場に立つことは当然だ。
ただ、法律の専門家としては前の立場に立つ。
もちろん逡巡はあるが、おそらく研究者としてはそれが、
と言うのは時効制度は正しいと考える。
では、国に、国の犯罪行為に時効があるのか?
我が国も戦争犯罪を犯している。
我が国だけではない。
アメリカは元々原住民を殺しまくって成立した国だ。
いや、今存在している国々や民族は、
隣国、遠国、隣村、遠い村その他、要するに自分たちとは異なる民族、氏族、その他のグループの人々を、
殺し、追い払い、奴隷にし、
要するにそうした”戦争”に勝ったグループの子孫なのだ。
では国の戦争犯罪に時効があるのだろうか?
あるとすると被征服者、被害者はどうやって慰撫される?
ないとするとまるで(直接には)関係のない、征服者や犯罪者の子孫はどうやって償うのか?
時効制度は、常にこの矛盾の解決が求められるが、解決方法はない。
なんだか、割り切れないのは科学として法律学が未熟だからなんだろうか。
いや、法律学は学問ではない、ただ単に技術だ、という開き直りは許されるんだろうか?
※ この事件では未だ60年ほどしかたっていないので時効にはかかっていない、と言う判断もあり得ますが。 いずれにしても、やはりどこかで”法的”な責任は無くなると考えるべきなんでしょうね。
※※ ただし、道義的な責任はずっと残るはず。
我が国の中国や、東南アジアに対する責任。中国もヴェトナムに、ヴェトナムもさらに周辺諸国に対して…。
国も生き物もみんな生物連鎖の中の一つとして存在し、存在が許されるとするならば、できるだけ、環境・周囲に対して負荷をかけない、最低限の負荷で生き続けることが許されるのか、な?
わが身を振り返ると、余りにも環境に多大の負荷をかけているのだが。
妻のYに。ご免なさい。大学の学生諸君、ご免なさい。周りの先生方、ごめんなさい。
お隣のWさん、ご免なさい … … … …。
ああ、生きるのが面倒になって来ちゃう、などと開き直りを言って、皆さん、ごめんなさい。
※※※ 写真の右が中国、左がヴェトナムです(これも数年前の写真)。
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