田舎育ち

2011年4月10日 日常
田舎育ち
 なっしーは田舎者。

 隣近所の濃密な人間関係をずっと見ながら育った。

 いやでいやで仕方がなかった。

 以前書いた気がするが、どこそこの嫁の出所はどこそこで、

そこのおじいさんがちょっと問題があってなどなど。

 丸裸どころかレントゲンで体の中を覗かれるような感じ。

 一人一人の来歴、性格、性情、能力、過去、現在が地域社会みんなに共有される。

 それが都会に出た一番の理由だ。

 農業地帯だ。

 商品作物も数多く栽培している。

 もちろん米も。

 ところで、農家は自家消費用の作物は別に作る。減(できれば無)農薬で。

 農薬が嫌なのだ。米や野菜を作っている人が怖がっている。

 農薬をふんだんに使わなければ、きれいな商品としての米も、野菜も作れない。

 もちろん規制があって、規制の範囲で作っている、はずだ(と信じたい)。

 だが、作っている当事者が怖くて食べられないほど農薬漬けの商品作物としての米、野菜。

 虫が食った跡が全くないきれいな野菜。

 少なくとも、そこは虫が住めないほどの農薬が残っているはずだ、恐らくあるだろう規制の範囲内で。 

 少しくらい虫が住めるくらいの方が人にやさしいのではないか?


 放射能の規制値範囲なので、安全ですよ。

 本当にそうなんだろうか?

 放射能の垂れ流しが無いことを前提に作られた規制値なのではないか?

 これからは放射能の垂れ流しが起こりうることを前提の規制が必要なのではないか?

 いや、すでに織り込み済みだったとしたら、それもすごいことだけど。

 もちろんどこどこ産のキャベツを、どこどこ産のほうれん草を毎日毎日食べ続けることは無いかもしれない。

 残留放射能は、一つ一つの野菜では安全かもしれないが(大いに疑問があるが)、

残留放射能の規制が無い世界の方がずっと良い。

 原発は少なくとも安全ではない。

 原発の安全性と称するものは、まるで絵に描いた餅だった。

 規制値が要らない、要するに原発がない社会を作る必要がある。

 今まで原発につぎ込んだ金を、全く別のもっとクリーンな、もっと安全な電力のためにつぎ込めば、何とかなる。

 どうせ、急速な人口減社会が数十年後に来る。

 その時には電力は余る。原発も要らない、どうせその時には。

 原発を売ろうとしたって、こんなミソを付けた日本の原発を買物好きがどこにいるだろうか?


 電気はこまめに消すことから始めることにしよう、とりあえず個人的に。
 
 

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