そんなところにこそ
久しぶりに大学に行った。
 
授業の合間に、先生と久しぶりに話をした。

もちろん最初の言葉は『家族は大丈夫?』だった。

ところで、今回の地震についてのフランス政府の発表は、

日本と同じく、初めは

『大したことない。日本の技術で十分に制御できる範囲の事故だ』

との発表だったそうだ。

 日本人は、どちらかと言うと自分ではドイツ人的と思っている節があり、

確かにそんな感じもしないでもないが、大変にフランス的なところがある。

 まあ、日本人的とかフランス人的と言った形で表現しきれない部分があるが、

権力者が隠し立てをして、コソコソ私腹を肥やしたり、コネ第一主義のやり方が

あまりにも日本的=フランス的だ。

 ところが、今の日本社会は、非常にアメリカン。

 暴力的と言ってもいいほど超合理的な

(というのは理にかなったという意味ではなく、非人間的と言う意味で使っている)

社会関係であって、

もう一度牧歌的な時代に帰りたいとつくづく思う。

 で、そのフランス政府が日本政府と同じ対応をしているというのを知って、

思わず笑ってしまった。

 もちろん苦笑いである。

バブルおよびバブル崩壊後の超アメリカン社会が残した爪痕は大きい。

 嘘で塗り固めた原発行政が残した負の遺産が、バブル崩壊後の疲弊した日本社会にもたらしたものは、あまりにも悲しい。

 スーパーの行列に行儀よく並び、仕事もないのに会社に出る日本人と、

バブルに酔い痴れ、札束をばらまいていた日本人が同じ民族なのか、

などとふと思ってしまった。

 それにしても、これからどうすればいいんだろう。どうなるんだろう。

 毎日を一日ずつと言うのは正しいのだけれど、予想された事故なのに、

その時になんとかすれば何とかなるさ、

と自分も含めてみんな思っていた。

 社会そのものの仕組みが変わらざるをえない、そんな時を迎えてしまった。

 まだ、早い、と思っている内に、

新しい社会が、既成事実でグニャグニャと出来上がってしまうのは、

避けなければならないのではないか。

 現場が大混乱している時にのんきな話のようだが、

そんなところにこそ悪魔が潜んでいる。

 悪魔の芽を見逃さないように。

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