3月11日(アムステルダム)
2011年3月11日 日常 コメント (2)友人宅で朝食を取っているときに電話で地震の第1報が入った。
東京で震度8。
すぐに8.8だという情報が入ってきて、いや、それはマグにチュードだったという情報も入って来て、錯綜している。
東京で数十人の怪我、死者も多数らしいと言うことが伝えられ、
そのうちどうやら三陸沖の地震の巣での地震らしいということも分かって来た。
あわててネットでニュースを見たが、東京直下型で東京が廃墟に、という感じではない。
三陸沖だとまた多くの亡くなった方が出るだろうな、
とご冥福を祈りながらアムステルダムに向かった。
運河沿いのホテル。小さなホテルだが、50ユーロ台のホテル。
荷物を置いてさっそく街歩き。
まず、近くのカフェで昼食を済ませた、
そのあと運河沿いに散歩し、西教会の所で友人と別れ、単独行動。
例によって帰り道がわからなくなり、大慌て。
とりわけすぐ近くの広場にやっとの思いでたどり着いたのだが、広場から出る道がわからない。
近くの若い男性に聞いて、やっとホテルに。ネットで日本の状況確認。
カミさんへのメールも通じ、家族はお台場で留め置きになった末娘を除いてみんなそれぞれ自宅、もしくは職場に泊まり込みだそうで、無事が確認できた。
お見舞いのメールもたくさん来ているが、部屋が寒く(暖房がなかなか温まらない)、風邪をひきそうなのでそのままベッドにもぐり込んだ(19時ころ)。
夕食抜き。
3時過ぎに目を覚まし、先ほどからネット確認。メール確認。そしてDN書き込み。
今日の目標はゴッホ美術館。1つ入ると半日つぶれるので、
後はクルーズに乗ることができるかどうかが問題だが(どうも乗り場が遠い)、風邪も大丈夫そうだし、今日アントワープに帰ることにしよう。
コメント
離れているとご心配でしょうね。
私は都心で仕事しておりますが、交通機関が全く動かなかったので、歩いて帰りました。
色々な国が支援を申し出てくださっているとのこと、ありがたいですね。
何か夢を見ているような感じです。ただ、ニュースは友人の口からしか入ってこなかったので、今(14日18時、日本時間で15日2時以降)、ネットでニュースを振り返ってみて改めて爪痕の大きさに驚いています。