助手論文を書いていたときは、3か月ほどベッドで寝たことがなかった。
みんなやるんだろうけど、毛布をかぶって机で寝た。
学会報告の種論文の時も同じような経験をした。
報告そのものはその種論文
(これも半年ほど殆ど寝ずに書いた)
の紹介だが、それでも原稿が出来上がったのは当日の午前5時。
それから簡単なレジュメを作って、徹夜でそのまま会場に行き、朝一番の報告時間を待つ。
聴衆は殆ど身内。
報告が終わって、し~んとして、
身内の大先生が、当たり障りのない質問をしてくれてなんとなく終わった。
ほとんど誰も知らない人を種にしたんだから、よっぽどの人じゃないとコメントできない。
ニッチな奴だ我ながら
(日本ではフランス法そのものの研究者が少ない上に、なっしーの分野では絶滅危惧種)。
もう30年くらいになる、のかな?
当日司会をしていただいたのは、同郷の大先輩の先生。
お世話になるばかりなのに恩返しができていない。
当日欠席されていた大物の先生が、
ご報告に参加できなかった不明を悔やみます、
などとおだてていただいたのが報告の数年後
(もちろんこの先生は種の元になった著作をお読みだったが、これをきちんと読んだ人はいないんじゃないか、とおっしゃってくれた。なっしーもきちんと読んんでいないが)。
いつも著作を送っていただくのに、でも、恩返しができていない(こちらが書いていないということです)。
指導教授には苦労を掛け、先輩方にも苦労を掛け、
親にも、家族にも苦労を掛け、同僚、後輩にも苦労を掛けたうえ、
3年も締め切りを渡過したまま、編集者にも苦労を掛けながら、
まだ原稿が終わらないという人生。
しかも簡単な単純な仕事なのに
(だから、とも言える…などと屁理屈を捏ねる。屁理屈は終わってからたっぷり捏ねろ、と編集者の顔がちらつく。胃が痛いだろうなと同情するが、こっちも痛い、本当は。穴があったら入りたいが、胃の穴に入る気もないし、入れないだろう、おそらく)。
仕事と宿題は何にも終わらないまま残しているけど、
ひょっとしたら人生はプツンと簡単に終わっちゃうかもね。
ま、それはそれとして、家族を放り出して、一人でのんきにヨーロッパ生活。
院生を大勢放り投げて、一人できままなヨーロッパ生活。
普通の人なら、さまざまな事情を考えてみて
(我々の世界では『事情に(←『に』デス)鑑(かんが)みて』
とかっこつけて言います)、
あきらめるのが普通なんだろうが、あきらめないというのが、我ながら凄い … ワガママ。
でも、こうしないと原稿終わらないんだもの(なんて終わってから言え!)。
それなのに筆が進まない。
馬力が(というか気力がというか責任感がというか)無くなったなぁ。
今日もパンを買いに出ただけだった。歩数計867歩。
※思い返してみると、修士論文締め切り直前に父親が危篤になって田舎に呼ばれ(その後回復して20年程それなりに元気に過ごした)それこそ3週間ほど眠らずに論文を仕上げたのが研究者としてのスタートだった。この時から綱渡りだった。
もう一つ、自分では覚えがないのだが、子供の時、大水で川を流され、50メートルほど下流で当時中学生だった近所の方が川に飛び込んで拾い上げてくれて助かったことがあるそうだ。その方はその後リューマチで家から一歩も外に出られなくなり、30才前後で亡くなられた。少なくとも2人分の人生を生きる義務があるのに、長さだけは1人前だが、中身は半人前だ。寂しいことに。
みんなやるんだろうけど、毛布をかぶって机で寝た。
学会報告の種論文の時も同じような経験をした。
報告そのものはその種論文
(これも半年ほど殆ど寝ずに書いた)
の紹介だが、それでも原稿が出来上がったのは当日の午前5時。
それから簡単なレジュメを作って、徹夜でそのまま会場に行き、朝一番の報告時間を待つ。
聴衆は殆ど身内。
報告が終わって、し~んとして、
身内の大先生が、当たり障りのない質問をしてくれてなんとなく終わった。
ほとんど誰も知らない人を種にしたんだから、よっぽどの人じゃないとコメントできない。
ニッチな奴だ我ながら
(日本ではフランス法そのものの研究者が少ない上に、なっしーの分野では絶滅危惧種)。
もう30年くらいになる、のかな?
当日司会をしていただいたのは、同郷の大先輩の先生。
お世話になるばかりなのに恩返しができていない。
当日欠席されていた大物の先生が、
ご報告に参加できなかった不明を悔やみます、
などとおだてていただいたのが報告の数年後
(もちろんこの先生は種の元になった著作をお読みだったが、これをきちんと読んだ人はいないんじゃないか、とおっしゃってくれた。なっしーもきちんと読んんでいないが)。
いつも著作を送っていただくのに、でも、恩返しができていない(こちらが書いていないということです)。
指導教授には苦労を掛け、先輩方にも苦労を掛け、
親にも、家族にも苦労を掛け、同僚、後輩にも苦労を掛けたうえ、
3年も締め切りを渡過したまま、編集者にも苦労を掛けながら、
まだ原稿が終わらないという人生。
しかも簡単な単純な仕事なのに
(だから、とも言える…などと屁理屈を捏ねる。屁理屈は終わってからたっぷり捏ねろ、と編集者の顔がちらつく。胃が痛いだろうなと同情するが、こっちも痛い、本当は。穴があったら入りたいが、胃の穴に入る気もないし、入れないだろう、おそらく)。
仕事と宿題は何にも終わらないまま残しているけど、
ひょっとしたら人生はプツンと簡単に終わっちゃうかもね。
ま、それはそれとして、家族を放り出して、一人でのんきにヨーロッパ生活。
院生を大勢放り投げて、一人できままなヨーロッパ生活。
普通の人なら、さまざまな事情を考えてみて
(我々の世界では『事情に(←『に』デス)鑑(かんが)みて』
とかっこつけて言います)、
あきらめるのが普通なんだろうが、あきらめないというのが、我ながら凄い … ワガママ。
でも、こうしないと原稿終わらないんだもの(なんて終わってから言え!)。
それなのに筆が進まない。
馬力が(というか気力がというか責任感がというか)無くなったなぁ。
今日もパンを買いに出ただけだった。歩数計867歩。
※思い返してみると、修士論文締め切り直前に父親が危篤になって田舎に呼ばれ(その後回復して20年程それなりに元気に過ごした)それこそ3週間ほど眠らずに論文を仕上げたのが研究者としてのスタートだった。この時から綱渡りだった。
もう一つ、自分では覚えがないのだが、子供の時、大水で川を流され、50メートルほど下流で当時中学生だった近所の方が川に飛び込んで拾い上げてくれて助かったことがあるそうだ。その方はその後リューマチで家から一歩も外に出られなくなり、30才前後で亡くなられた。少なくとも2人分の人生を生きる義務があるのに、長さだけは1人前だが、中身は半人前だ。寂しいことに。
コメント
知らない世界を垣間見る気がして、楽しく拝見いたしました。
>少なくとも2人分の人生を生きる義務がある
預かった人生なのでは、と思います。
そう思えるだけで充分全うしていらっしゃると思います。
誠実さが行間からあふれている気がしました。
ところで、差し支えなかったら、リンクさせていただいてもかまわないでしょうか。
時々いろんなことをふっと思い出して、嫌になるんですよね。いつも思っていたら、いい仕事ができるんでしょうが。
もちろんリンクフリーですので、どうぞよろしくお願いします。
部屋がきれいな時は、掃除が行き届くのに、ごちゃごちゃになると掃除をする気がしなくなるみたいなもので…。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。