『ウナギの先生って?』
 今朝、弟から珍しくメールが来た。

 『塚本先生がとうとうウナギの卵を発見されたそうですよ』と。

 塚本さんは、高校のESSの先輩で、何回も日本語禁止の(はずの)合宿でご一緒した。

 文化祭の英語劇では演出者として指導をしていただいた

(なっしーは端役だったので、直接にはあまり指導を受けていない=端役がよく似合うなっしー)。

 上京してからも、元ESSメンバーでよく集まって一緒に酒を飲み、

歌舞伎町あたりで放歌高吟をしていた。

 高田の馬場でチンピラに絡まれて袋叩きにして(されてではない)交番に行ったこともあった。

 向こうがチンピラで、向こうから絡んできて、こっちは学生証を持っているので

(意味を持ったのは塚本さんの学生証だが)すぐに放免になった。

 チンピラは可哀そうにパトカーで連れて行かれた。

 塚本さんは、駒場寮の薄汚いベッドのすぐ横に水槽を置いて、小さな熱帯魚を飼っていた。

 一匹一匹に名前を付けて、

 『おい、太郎。お前今日はちょっと元気ないぞ。

おお、おお。次郎。お前はいい子だ。たくさん食べろよ』

などと話しかけながら餌をやるのを横で見ていた。

 もう、40年か。

 5年くらい間が空くこともあったが、以前はコンスタントにお会いしていた。

 だが、最近はずっとお会いしていない。

 田舎の方では(いや全国的にだが)超有名人になられていたのだが、

田舎に帰ってもたいていとんぼ返りだし、ご無沙汰していた所為もあり、

ウナギの産卵場の話も、長い間知らないままだった。

 何年か前、教え子に

『ウナギの先生って、なっしー先生の先輩じゃないですか?』

と言われて、

 『ウナギの先生って?』

と聞き返したくらいだ。

 で、弟のメールだが

 『おばあちゃん(=母)がボケが進んで、あんまり近寄らないようにしています』

 実は弟も大変な難病を抱えている。

 塚本さんと一緒に東京で酒を飲んでいた同級生も数年前突然亡くなった。

 年を取るということはこういうことなのか。

 5年も経つと、なっしーもまたもや 

『ウナギの先生って?』

 と言っているかも知れないぞ。 

 いやいや、本当に他人ごとではない。   

 が、前を向いて歩くんだ (^’^)。

※ うわおー 14341だった。シンメトリの数字好きなんですよね(前にも書いた、はず)。明日良いことがありそうだ。

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