BMW欲しくない? その4 (ストリート・ヴューで見たい)
2010年12月26日 日常 コメント (2)『パスポート持ってるよね? 今度外国旅行に行こうよ。 昨日帰ってきたばっかりなんだけどさ』
パッケージツアーのドタキャンで穴が開いた時のヤツなので、ただ同然。
ただし、
『明日から一週間なんて旅行だから、先生みたいな暇人じゃないとダメだから』
と言われたが、結局一度もチャンスがなかった
(ドタキャンパックのタダ乗り海外旅行で休講というのも流石にちょっと(^^;))。
学生の就職面接の役員面接(それも名前を聞くとよだれの出そうな業界トップ企業の)
も頼まれてやるそうで、お気に入りの教え子を頼んだことがあった。
その時はちょっと手遅れだったようで、
全部をすっ飛ばして本物の最終役員面接にいきなり呼ばれた(流石にご本人は不参加だったようだ)
。
東大生ばかりで、1人か2人の旧帝大生と慶応がいたそうで、もちろん落ちた。
本当は落ちないはずの最終面接なんだろうが、中抜きの本人は
『良い経験になりました』と笑っていた。
『最近の子はダメね』と言うのがその奥さんの口癖で、
『尊敬する人は』
って聞くと
『お父さんです』
なんてのが最終面接まで来ちゃうんだもの、日本はもうおしまいだね、
と仰っていたがその予言通りになった。
『お父さん族』がいま第一線で働いているわけで、まあダメなのは当然だろう。
ただ、当時は『管理者養成学校』なんていうおかしなものが流行っている時代で、
体育会系、根性系の人事政策が主流だった。
幹部候補生をカリフォルニアの砂漠に放り出して、サバイバルゲームを経験させる、
と言うようなことも行われていた時代だ。
がらっと変わって、昨今の『MBAブーム』もどうかと思うが
(ひょっとしたらもうそれも過去の物語?)
世の中の潮目が変わるちょうどその頃だった。
ハンセン病の療養施設を頻繁に慰問、訪問されていて、物心両面での支援を欠かさない人だった。
『染らないのに、外に出られないし、出ない、どうすればいいんだろうね』
とぽつんと仰ったことがある
(『先生には無理だから連れて行かないけど』とも言われた)。
会社も数多く経営していたが
どうやら旧財閥系メイン企業の一つとの取引が中心だったようだが、全方位外交だった。
コンビニも何店舗か経営していたし、
ワープロの基本ソフトの設計とか、コンピューターシステムの販売、
メンテナンスなど、新しい事業も当然やっていた。
障ガイ者だけで、自立支援というよりもお金は出しているが、
まさしく自立して、責任を持って店舗経営をさせる(裏では大分手を回していたが)、
そういう商売もなさっていた。
そして、その小さな店舗が、ネット検索で見つからない。
経済環境が激変している。
恐らくこの奥さんのような形の商売のあり方はもはや時代遅れだろうし、そうでなくとも、かなりのお年だった。
googole mapで空から見ると『犬小屋』らしき建物は写る。
これこそストリート・ヴューで見たいんだが。
まあ、行って見ろってことか。
※ 卒業生(ロースクール学生)によるハンセン病の施設訪問の報告を聞いた事がある。立地条件そのものが施設の『あり方』を物語っている。すさまじいショックを受け、これがきっかけで『弁護士になりたい』、と本気で思ったそうだ。学生時代は、憲法、とりわけ生存権を巡る憲法訴訟の研究をした。現場主義なので、訴訟になったその現場を見ないと気がすまなくて、日本中旅行したと笑っていた。この学生の近況は把握していないが、今頃はきっと良い仕事をしていることだろう。
※※ BMWシリーズはこれでおしまい。竜頭蛇尾?(というよりタツノオトシゴの頭にミミズのしっぽかな?) 確かにその通り。
ただ、なっしーにはまるで縁のない世界を、たっぷり見せてもらった。うまく伝えられないけど、いい経験だった。
ここまで来るのに物凄く苦労した、と仰るのは何度か聞いた。その苦労をエネルギーにし、貧しい日本が裕福になって行き、世界経済の重要な一翼を担うようになる、それと軌を一にして上昇して行く、行った、そんな時代のそんな人だったのかな。いわばミニ田中角栄、ミニ小佐野賢治型。
一つの時代が終わって、次の時代がもう終わろうとしている。
コメント
今日のお写真、好きです♪
ありがとうございます。