ご存じフィレンチェのアルノ川に架かる橋で、土産物店や宝飾店などが階上部分に並んでいる。
15年くらい前だったろうか、学生の卒業旅行に付き合って一度訪れたきり、イタリアには行っていない。
この時泊まったホテルで、「この次の留学はイタリアにしたい」と言ったら
(ウンベルト・エーコにかぶれていて、個人的にはイタリアがマイブームだった)、
「イタリアはとてもじゃないが勧めない。フランスが良いよ」と言われ、
その後イタリアとは縁遠くなってしまった
(当時は手形をやっていたので、イタリアに行きたかったのは本当だ)。
さて、10年ほど前のことだ。
エクスで2ヶ月ほど過ごし、その帰りにパリに10日ほど滞在した。
エクスでは知り合い(所有)のアパートを借りて住んで、
何やってるんだ、わざわざフランスに来て、と言われながら、
毎日アパートの庭にパソコンを持ち出して、1本原稿を書いた。
帰国の際10日ほど資料集めを兼ねてパリで過ごす。
エクスの知り合いから、
パリに行くなら友人がB&Bをやっているのでそこでどうだと言われ、
世話になる事にした。
モンパルナスの近くで、直ぐ近くにパスツール研究所がある。
一帯は嘗ての画学生のたまり場だった所だ。
街を歩くとミロの作品がいくつか街角や公園に立っている。
泊まったB&Bは5階建てくらいのアパート(日本式に言うとマンション)の1室だった。
2棟手前のアパートでは藤田嗣司がコンシエルジュ(守衛)をしていたそうだ。
ところでB&Bだが、これが大変だった。
未亡人画家が住んでいるアパートの居室部分(要するにその画家さんのベッドルーム)を借りると言うことだ。
リビングはその未亡人が夜はソファーで眠り、昼間は来客が来るので使用禁止。
風呂と台所は使って良いのだが、これが本当に大変だった。
給湯栓の蛇口は真っ直ぐこちらに向かって直角に止める。洗剤はこの向きで、ここに置く。
塩はここ。砂糖はここ、バターはここ。
冷蔵庫の一番上の棚は使って良いが、他はダメ。
買って来た飲料水は高さの順に左から並べておくこと等々等々等々 … …。
いたたまれ無いので、昼は毎日美術館と本屋巡り。夜も外食だ。安いものばかり食べた。
美術館に疲れると大学の図書館に行く(本末転倒!!!。ただ、とても貴重な本のコピーがとれた)。
ルーブルもほとんど毎日通った。オルセーも、オランジュリーも、ピカソ美術館やらロダン美術館などなど。
一番好きな中世美術館(クリューニューhttp://www.musee-moyenage.fr/)がカルチェラタンにあって、
何度も行った。もちろんついでに大学図書館にも行った
(なお、このクリュニューにある有名な貴婦人のタピスリーhttp://www.musee-moyenage.fr/homes/home_id20393_u1l2.htmのレプリカが札幌の『ホテルモントレ』にある)。
B&Bが、息が詰まりそうなので、近くに良いホテルが無いかと探し回った。
その時に見つけたのがホテル・ポンテ・ヴェッキオ。
ちょうどエッフェル塔が正面に見える坂の左手。昔の画学生のためのアパートを改装してホテルにしたものだ。
ゆるい坂道に沿った2階建ての木造でとても気に入った。
値段ははっきり覚えていないが、マダムのアパルトマンの居候が50フラン@1泊だったろうか(1フラン20円前後だったかな?)、
ホテルは250フラン@1泊くらいだったと思う。
10日で2000フラン差かぁ(少なくとも数万円)。
諦めることにした。
諦めた日の夕食はちょっと高い物をレストランで食べたが、食べたのが何だったか覚えていない。店構えは覚えている、と勝手に思っている。
そして帰国の日。いつも使う夜中発の成田行き。
荷物を整え、最後にルーブルに行こうと出かけた。
その行きがけの地下鉄の中でスリに遭って、見事に財布をすられた。
ただ、財布の中には現金は空港までのタクシー代(実際にはバスを使う)と食事代くらいしか入れてなかったので、一番の高額被害は2万円ほどの財布だった。
ただB&Bで倹約した分の何割かはここで盗まれてしまった。
残念だが
(実はスーツケースが本の重みで42㎏にもなっていて、追加チャージで残りの倹約分も吐き出した。ホテルを替えなくて良かった、結果として)。
で、ホテル・ポンテ・ベッキオだが、数年後パリに来る時に泊まろうと思ってネット検索をしたのだがどうしても見つからなかった。
本物のポンテ・ヴェッキオ共々どうやら縁が無いようだ。
※ 写真の右の方にぽつんと写っているのがひょとしたらモンパルナスタワーかな?この近くで居たたまれない10日を過ごした訳だ。
連日雨の寒い9月だった。街を歩いていたらブランキだか誰だかが(これじゃ情報として何の価値もない)、いつもたむろっていたという(掲示が出ていた)カフェがあった。
※※ 財布は保険で返ってきた。ただクレジットカードのストップが、土曜日の夕方だった為もあって大半だったらしい。
なお、カミさんによるとJカードが群を抜いて対応が良かったそうだ。Dは貧乏人を相手にしないのか、???だったようだ(10年も経って大阪で敵を取られてようなものだ。ただ、Dカードにとって幸いなことに、ここには読者はほとんどいない)。
※※※ フランスの警察に行って被害届を出すと言う貴重な経験も出来たし、活字でしか知らなかった供述調書(proces-verbals)の本物がどういう物かも確認できた。それにしても鮮やかな手口だ。
地下鉄から降りようとしたら、乗ってくる少年がいて、あ、ごめんなさいと、こちらが左右に動くのに合わせて向こうも鉢合わせのように動き、その間に後ろ(というか出口の所にいたらしい)にいた別の男がバッグを開けて持っていく、という手口で典型的なやり口だそうだ。
エクスに2年住んでいたし、パリにも何回も来ているのに、スリに遭ったのは初めてだと警察で言ったら、「今まで、よっぽど運が良かったんだねえ」と言われてしまった。
これが言えるようにならないとフランスでの生活は難しいんだろうな、と思う。
15年くらい前だったろうか、学生の卒業旅行に付き合って一度訪れたきり、イタリアには行っていない。
この時泊まったホテルで、「この次の留学はイタリアにしたい」と言ったら
(ウンベルト・エーコにかぶれていて、個人的にはイタリアがマイブームだった)、
「イタリアはとてもじゃないが勧めない。フランスが良いよ」と言われ、
その後イタリアとは縁遠くなってしまった
(当時は手形をやっていたので、イタリアに行きたかったのは本当だ)。
さて、10年ほど前のことだ。
エクスで2ヶ月ほど過ごし、その帰りにパリに10日ほど滞在した。
エクスでは知り合い(所有)のアパートを借りて住んで、
何やってるんだ、わざわざフランスに来て、と言われながら、
毎日アパートの庭にパソコンを持ち出して、1本原稿を書いた。
帰国の際10日ほど資料集めを兼ねてパリで過ごす。
エクスの知り合いから、
パリに行くなら友人がB&Bをやっているのでそこでどうだと言われ、
世話になる事にした。
モンパルナスの近くで、直ぐ近くにパスツール研究所がある。
一帯は嘗ての画学生のたまり場だった所だ。
街を歩くとミロの作品がいくつか街角や公園に立っている。
泊まったB&Bは5階建てくらいのアパート(日本式に言うとマンション)の1室だった。
2棟手前のアパートでは藤田嗣司がコンシエルジュ(守衛)をしていたそうだ。
ところでB&Bだが、これが大変だった。
未亡人画家が住んでいるアパートの居室部分(要するにその画家さんのベッドルーム)を借りると言うことだ。
リビングはその未亡人が夜はソファーで眠り、昼間は来客が来るので使用禁止。
風呂と台所は使って良いのだが、これが本当に大変だった。
給湯栓の蛇口は真っ直ぐこちらに向かって直角に止める。洗剤はこの向きで、ここに置く。
塩はここ。砂糖はここ、バターはここ。
冷蔵庫の一番上の棚は使って良いが、他はダメ。
買って来た飲料水は高さの順に左から並べておくこと等々等々等々 … …。
いたたまれ無いので、昼は毎日美術館と本屋巡り。夜も外食だ。安いものばかり食べた。
美術館に疲れると大学の図書館に行く(本末転倒!!!。ただ、とても貴重な本のコピーがとれた)。
ルーブルもほとんど毎日通った。オルセーも、オランジュリーも、ピカソ美術館やらロダン美術館などなど。
一番好きな中世美術館(クリューニューhttp://www.musee-moyenage.fr/)がカルチェラタンにあって、
何度も行った。もちろんついでに大学図書館にも行った
(なお、このクリュニューにある有名な貴婦人のタピスリーhttp://www.musee-moyenage.fr/homes/home_id20393_u1l2.htmのレプリカが札幌の『ホテルモントレ』にある)。
B&Bが、息が詰まりそうなので、近くに良いホテルが無いかと探し回った。
その時に見つけたのがホテル・ポンテ・ヴェッキオ。
ちょうどエッフェル塔が正面に見える坂の左手。昔の画学生のためのアパートを改装してホテルにしたものだ。
ゆるい坂道に沿った2階建ての木造でとても気に入った。
値段ははっきり覚えていないが、マダムのアパルトマンの居候が50フラン@1泊だったろうか(1フラン20円前後だったかな?)、
ホテルは250フラン@1泊くらいだったと思う。
10日で2000フラン差かぁ(少なくとも数万円)。
諦めることにした。
諦めた日の夕食はちょっと高い物をレストランで食べたが、食べたのが何だったか覚えていない。店構えは覚えている、と勝手に思っている。
そして帰国の日。いつも使う夜中発の成田行き。
荷物を整え、最後にルーブルに行こうと出かけた。
その行きがけの地下鉄の中でスリに遭って、見事に財布をすられた。
ただ、財布の中には現金は空港までのタクシー代(実際にはバスを使う)と食事代くらいしか入れてなかったので、一番の高額被害は2万円ほどの財布だった。
ただB&Bで倹約した分の何割かはここで盗まれてしまった。
残念だが
(実はスーツケースが本の重みで42㎏にもなっていて、追加チャージで残りの倹約分も吐き出した。ホテルを替えなくて良かった、結果として)。
で、ホテル・ポンテ・ベッキオだが、数年後パリに来る時に泊まろうと思ってネット検索をしたのだがどうしても見つからなかった。
本物のポンテ・ヴェッキオ共々どうやら縁が無いようだ。
※ 写真の右の方にぽつんと写っているのがひょとしたらモンパルナスタワーかな?この近くで居たたまれない10日を過ごした訳だ。
連日雨の寒い9月だった。街を歩いていたらブランキだか誰だかが(これじゃ情報として何の価値もない)、いつもたむろっていたという(掲示が出ていた)カフェがあった。
※※ 財布は保険で返ってきた。ただクレジットカードのストップが、土曜日の夕方だった為もあって大半だったらしい。
なお、カミさんによるとJカードが群を抜いて対応が良かったそうだ。Dは貧乏人を相手にしないのか、???だったようだ(10年も経って大阪で敵を取られてようなものだ。ただ、Dカードにとって幸いなことに、ここには読者はほとんどいない)。
※※※ フランスの警察に行って被害届を出すと言う貴重な経験も出来たし、活字でしか知らなかった供述調書(proces-verbals)の本物がどういう物かも確認できた。それにしても鮮やかな手口だ。
地下鉄から降りようとしたら、乗ってくる少年がいて、あ、ごめんなさいと、こちらが左右に動くのに合わせて向こうも鉢合わせのように動き、その間に後ろ(というか出口の所にいたらしい)にいた別の男がバッグを開けて持っていく、という手口で典型的なやり口だそうだ。
エクスに2年住んでいたし、パリにも何回も来ているのに、スリに遭ったのは初めてだと警察で言ったら、「今まで、よっぽど運が良かったんだねえ」と言われてしまった。
これが言えるようにならないとフランスでの生活は難しいんだろうな、と思う。
コメント
それから、私もパリの地下鉄の駅でスリにあいました。(違う手口だけど、やっぱり巧妙。)
娘の拙いフランス語(英国の高校生程度)で被害届を出しにフランスの警察に行ったのですが、待ち時間も長かったし、やっと順番が回って来たかと思ったら、係りの人が他に(もっと緊急な?)用が出来て消えちゃったり…。その日はほとんどつぶれてしまいました。
それなのに、それなのに…、英国に帰って来て保険会社に請求すると、それだけのユーロを持っていたと証明する物(両替した時の領収書やATMでポンドを引き出したときのレシートetc)とお財布を買った時のレシートを提出しろって言うんです。
そんなこと言われたって、ユーロはしばらく前にイタリアへ行った時の残りだし、お財布は、けっこうお値段のするものだったけどプレゼント…。
ほぼ一日をパリの警察署で潰したのにも関わらず、何も返って来ませんでした。(涙)
あれ以来、パリに行くと(って言うかヨーロッパどこでもですが)、ハンドバックはがっしり抱えて、スリが寄ってこないようなオーラ(笑)を出そうと心がけています。
警察は直ぐ処理してくれました。リボリ通りからちょっと入ったところの警察でした。暇だったんでしょうね。私も気をつけてはいるんですが、何か他に気を取られちゃうと、リュック開けっ放しで歩いていたり、やっぱりありますね。最高の防御策は持たないことで、これは持ちたくても持てないのでひとりでに実践されています。
残念なことに、数年前、イタリアンに変わっていました。いつだったかパリに住んでいるという若い男の人にそこで会って、同じようなことを仰っていました、日本が恋しくなるとここに来るって。