なんと小物なんだろう
 ほかのことをやっていて、ふと恩師の事を思い出していた。

 一期一会というが、まさしく大学院受験が、その一期一会だったんだろう。

 問題を見てその意味が分からないのだ。思いもよらない(その時は)問題で、60分の試験時間の30分か40分くらい、

何が問題なんだろう、こんな場面で何が起こっているのだろう、と図に描いて、ああでもない、こうでもない、と考えているうちに、

『見えた!』

 恐らく実際に答案を書いたのは15分くらいだ。できた、という感触はあったが、出来ていた。

 面接で、何も言うことはありません、完璧な答案です、と指導教授から言われ(初対面)、陪席の先生からも研究者志望だよね、と確認されただけ。

 後はどんなことに興味があるかとか、雑談だけの5分か10分くらいの面接だった。

 誰にでもあることなんだろうが、今考えるとこういう劇的なことが3つか4つくらいだろうか、

そのどの一つが欠けても今が無い、ということは、3つのチャンスを何とかしたことで一生食っているという、なんとも恐ろしい話。

 数年前亡くなられたが、初めてお目にかかった当時の恩師は今のなっしーより10歳は若い。大物だったなあと思うと同時に、

我ながら自分はなんと小物なんだろうか、と…。

※写真が一晩たったラタトゥィユです。結構それらしくなってきたでしょ?美しくは無いけど。

 本当はコックさんになりたかったんですが、こちらでレストランに入って繊細で美しくて美味しい料理を(本当に美しいです。えっ?このおじさんが作ってんの?という感じのでっぷり太ったシェフですが、多くの場合は)食べると 、とてもじゃないが無理だったなと思います、ホントに。
 でも今と同じく”三流”のコックにはなれたかな? 三流じゃ食べていけないだろうけど(⇒学者は3流でも一応は食べていける、と言うことを意味してます、ちなみに)。

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