『トルコのもう一つの顔』 小島剛一 (中公新書)
 著者はストラスブール在住のトルコ語、もっというとトルコの少数民族言語の研究者で、

近著『漂流するトルコ』

(http://www.amazon.co.jp/%E6%BC%82%E6%B5%81%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E2%80%95%E7%B6%9A%E3%80%8C%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%86%E4%B8%80%E3%81%A4%E3%81%AE%E9%A1%94%E3%80%8D-%E5%B0%8F%E5%B3%B6-%E5%89%9B%E4%B8%80/dp/4947702680)

が大評判だそうである。

 ひょんなことで知り合いになり(小さな町ですからね)、この『もう一つの顔』は著者から献本頂いた著書である。

 遠い国トルコが突然身近になったのは前回のフランス留学の時で、何人ものトルコ人留学生と知り合いになり

(恐らくそのうちの何人かは今や高官や大臣になっているだろう)、

また、貧乏所帯の我が家は、比較的安く済ますことができるシシカバブのサンドイッチが大好きで、公園でいつもこれをほおばっていた。

 日本でトルコ料理がブームになるずっと前から、我が家では一大ブームであり、帰国後も美味しいトルコ料理が食べたい食べたいといつも言っていた。

 『トルコのもう一つの顔』が出版されたのはちょうどその頃(91年2月)で、もしその時これを知っていれば、家族みんなで1度か2度トルコに足を運んでいたかもしれないが、

言語学をやりたいと思っていなかったわけではないナッシーは、諦めたことを今になってよかったと思うのではなく、その時思ってしまっただろう。
 
 この著書はトルコ国内の少数民族言語の研究体験を綴ったものだ。
 
 ただし、これは
 
 好きとか憧れとかいった次元ではない、もっと突き動かされるような衝動と、それを結実させる大変な努力と才能、

心技体一体となった困難な作業が必要だと言うことが思い知らされてしまう体験談で、

トルコに憧れていた、なんて恥ずかしくて口に出せなくなってしまう衝撃的な体験談だ。
 
 消えていってしまった、わが国にもかつてあったであろう言語と文化に思いを馳せ、

非才は非才なりに、多少できるようになった『標準』フランス語が、もうちょっと上手く読み書きできるようになるよう努力するとともに、

せっかく持ち帰ったのに書棚の飾りになってしまっているプロヴァンス語の文法書と辞書で、老後の楽しみを豊かにするくらいのことはしたいものだ。 

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