『Gくん』

2010年10月1日 日常
『Gくん』
 我が家ではゴキブリは人間の言葉が分かると信じられていて、

「ごきぶり」という音が発せられると自分のことが話されていることが分かってしまって、こそこそ逃げ隠れしてしまう、と考えられている。

 そこで、『Gくん』とか『Gが』と呼んでいて、

「昨日Gくん見かけちゃったよ、2階で」

と言うわけだ。

 世間では、G君ひとりの陰には30人のG君がいると言われていて、

今回検察にも『Gくん』が3人いたので、そうしてみると検察全体では、100人くらいのG君がいるに違いない。

 ただ、検察のような組織で、この3人のGくんが、本当に自分たちだけであんな判断したとは思えない。

 ひょっとしてこの3人のG君たちは『しっぽ』で、

頭と胴体はまだまだその辺でうろうろしているかも知れないが、

どうなんでしょうね(頭や胴体も少なくとも辞表くらいは出すでしょうね… 手や足は?  ああ、回りくどい)。

 ところで、検察にも裁判員裁判のような、国民参加のシステムが必要じゃないのかな?

裁判よりもずっとずっと難しいだろうけど。

 そして、裁判員裁判も、今は上手く機能しているようだが、

そのうち、もっともっといろんな問題が出てくるだろう。

 問題が出てくれば、直ちに手直しするとして、

 検察だけに任せない、裁判官だけに任せない、警察だけに任せない、政治家だけに任せない、

国民参加のシステムを作り上げていくことが必要なんじゃないかな?

 国は、と言うか、国も間違いを起こす。全知全能、完全無誤謬の神のような国や制度なんて、あったためしがないんだから。

 どうも日本人は龍安寺の石庭みたいな庭を好むが、この庭はただ眺めるだけ。

 見た目にきれいなだけの庭も制度もいらない。


※ただ、ホントいうと国民も間違いを起こすんですよね。戦前の日本だって下から支える力がないとあんな国家体制できるわけないし、マッカーシズムだっておんなじ。
一色に染め上げてしまわない、複線的な制度設計が必要なんですが、我が国民には(自分も含めて)あんまり似合わないんですよね、これが…。

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