ちょぼちょぼのちょっと下
2010年7月27日 日常 コメント (5)
Aさんとこのお嫁さんは、どこそこの出身で、父親が何をしていて(あんまり出世してなくて)、母親の出所がどこそこで、そこのおじいさんはどういう人で(鼻つまみ)…。
そういう人間関係が煩わしくて、都会に出て、出身の街とは無関係のところで働き、暮らし、お互いまるで過去を知らない今の妻(あ、過去の妻がいるわけではありません)と結婚した。
今さら田舎に帰る気は全くないんだが、今の日本は人間関係が非常に希薄な感じがする。
もちろん仕事場での人間関係、住んでいるところの人間関係などなどそこそこにはあるのだが、
スーパーや、コンビニでの買い物が主体になり、
町内会、子ども会の活動も停滞したり、無くなったり、
学校が進学一辺倒になって行ったりしていくと、
また、仕事上も業績主義がはびこって来ると(落ちこぼれてます)
極く少数の勝者と、数多くの落伍者が生まれ、
個人も孤立し、家庭もまた孤立して行く。
農村型社会構造から、都市型社会構造へと変化していく過程で起こって来てしまう、孤立化現象が、極度に進みつつある気がする。
近所の乾物屋さんのおじさんが、引越しに車を出してあげるよ、と見ず知らずの外国人に親切に言い、
昨日は薬局で、
「う~ん。あの先生(お医者さん)はよく分かっていないんだよね」
と言いながら、(ちょっとごにょごにょと…いや、フランスはこの『ちょっとごにょごにょ』がもの凄く多い)処方を処理してくれた薬剤師さん、
顧客の数が限られ、個人と個人がはっきり見える対面販売であればこそのふわっとした温かみがある。
今、(日本で)住んでいるのは、古くからの街で、古くから住んでいる人たちが大部分の、ちょっとタイムスリップした都会の中の田舎街だ。
去年、妻が入院した時に、娘2人が家事を取り仕切ったが(当時大学生と高校生)、
「Sさんち(肉やさん)のお肉凄くおいしいね、料理の仕方いっぱい教えてもらっちゃったよ」
「Kさんちの野菜は凄く歯ごたえがあって味が濃いよね」
などと、スーパーではなかなか経験できない経験をしたみたいだ。
そして近所の方も、代わる代わる、結構頻繁に夕食のおかずを持って来てくれたりした。
なんだか一昔前の、濃過ぎない、薄過ぎない非常に恵まれた所にたまたま住んでいるようだ。
20年前に、エクス=アン=プロバンスで生活していた時に、末娘の誕生に合わせて母が来仏し、2ヶ月ほど滞在したが、田舎に住んでいる母が、
「昔の日本みたいだね」
と言っていた。
マルシェで見ず知らずの人から
「女の子が生まれたんだって?うちの子のお下がり着てもらえる?」
と、声をかけられて、
「ありがとう。家はこの坂を上って行って…」
と、説明し始めると
「いや、どこに住んでるか知ってるから」
買い物を済ませて、家に帰ると、玄関先に子供服の入った段ボール箱が置いてあった。
20年経って、改めて、ここストラスブールも、昔の日本みたいなそんな気がする。
ただ、みんながみんなのんびりして、国全体として沈んで行くのが本当にいいのか、議論の余地はあるだろうが、
1人の勝者の後ろに累々たる屍と言うのよりは、
全体としてちょぼちょぼで、全体として沈むんだったらそれで良し、とつくづく思う。
少数の、がんばる人にはがんばって機関車になってもらって、
多くの人はそれに引っ張られる客車や貨物車になって(お荷物になったりして)、
それなりに、そこそこに役割を果たして行くのが、あるべき社会の姿として望ましいのではないか。
今の日本は、皆んなが機関車になりなさい、皆んなが皆んな全力で走って、走れない人はレールから下りなさい、下りた後は知らないよ、という感じがしてならない。
激しい生存競争と、強烈な上昇志向。
ただ、実は多くの人がレールから降りてしまって、鬱々とした、なんともいえない不満を抱え込んでいる。
ヨーロッパ型の対極にあるアメリカ型社会構造になってしまっているようだ。
ほとんどみんなが、ちょぼちょぼで、ひょっとしたらちょぼちょぼのちょっと上かちょっと下までに国民全体が入ってしまう、と言うのがとても居心地が良い。
狭い日本、そんなに急いでどこへ行く?
※ 長すぎ!!!! 書き足しているうちにこんなになっちゃいました(^^;
※※ 学部時代の恩師に、中国料理美味しいよ、ベトナム料理も美味しいよ、一緒に食べに行こうと言われ、今、高度成長真っただ中の中国と、まさにその入り口のベトナムとに深くかかるようになってしまいました。中国、ベトナムは、なんだか、かつて見た景色そのもの。
かの国で、あんまり頑張らなくって良いんだよ、とちょっと悪い教育をしていますが、頑張ってしまうんですよね、彼らは。
そういう人間関係が煩わしくて、都会に出て、出身の街とは無関係のところで働き、暮らし、お互いまるで過去を知らない今の妻(あ、過去の妻がいるわけではありません)と結婚した。
今さら田舎に帰る気は全くないんだが、今の日本は人間関係が非常に希薄な感じがする。
もちろん仕事場での人間関係、住んでいるところの人間関係などなどそこそこにはあるのだが、
スーパーや、コンビニでの買い物が主体になり、
町内会、子ども会の活動も停滞したり、無くなったり、
学校が進学一辺倒になって行ったりしていくと、
また、仕事上も業績主義がはびこって来ると(落ちこぼれてます)
極く少数の勝者と、数多くの落伍者が生まれ、
個人も孤立し、家庭もまた孤立して行く。
農村型社会構造から、都市型社会構造へと変化していく過程で起こって来てしまう、孤立化現象が、極度に進みつつある気がする。
近所の乾物屋さんのおじさんが、引越しに車を出してあげるよ、と見ず知らずの外国人に親切に言い、
昨日は薬局で、
「う~ん。あの先生(お医者さん)はよく分かっていないんだよね」
と言いながら、(ちょっとごにょごにょと…いや、フランスはこの『ちょっとごにょごにょ』がもの凄く多い)処方を処理してくれた薬剤師さん、
顧客の数が限られ、個人と個人がはっきり見える対面販売であればこそのふわっとした温かみがある。
今、(日本で)住んでいるのは、古くからの街で、古くから住んでいる人たちが大部分の、ちょっとタイムスリップした都会の中の田舎街だ。
去年、妻が入院した時に、娘2人が家事を取り仕切ったが(当時大学生と高校生)、
「Sさんち(肉やさん)のお肉凄くおいしいね、料理の仕方いっぱい教えてもらっちゃったよ」
「Kさんちの野菜は凄く歯ごたえがあって味が濃いよね」
などと、スーパーではなかなか経験できない経験をしたみたいだ。
そして近所の方も、代わる代わる、結構頻繁に夕食のおかずを持って来てくれたりした。
なんだか一昔前の、濃過ぎない、薄過ぎない非常に恵まれた所にたまたま住んでいるようだ。
20年前に、エクス=アン=プロバンスで生活していた時に、末娘の誕生に合わせて母が来仏し、2ヶ月ほど滞在したが、田舎に住んでいる母が、
「昔の日本みたいだね」
と言っていた。
マルシェで見ず知らずの人から
「女の子が生まれたんだって?うちの子のお下がり着てもらえる?」
と、声をかけられて、
「ありがとう。家はこの坂を上って行って…」
と、説明し始めると
「いや、どこに住んでるか知ってるから」
買い物を済ませて、家に帰ると、玄関先に子供服の入った段ボール箱が置いてあった。
20年経って、改めて、ここストラスブールも、昔の日本みたいなそんな気がする。
ただ、みんながみんなのんびりして、国全体として沈んで行くのが本当にいいのか、議論の余地はあるだろうが、
1人の勝者の後ろに累々たる屍と言うのよりは、
全体としてちょぼちょぼで、全体として沈むんだったらそれで良し、とつくづく思う。
少数の、がんばる人にはがんばって機関車になってもらって、
多くの人はそれに引っ張られる客車や貨物車になって(お荷物になったりして)、
それなりに、そこそこに役割を果たして行くのが、あるべき社会の姿として望ましいのではないか。
今の日本は、皆んなが機関車になりなさい、皆んなが皆んな全力で走って、走れない人はレールから下りなさい、下りた後は知らないよ、という感じがしてならない。
激しい生存競争と、強烈な上昇志向。
ただ、実は多くの人がレールから降りてしまって、鬱々とした、なんともいえない不満を抱え込んでいる。
ヨーロッパ型の対極にあるアメリカ型社会構造になってしまっているようだ。
ほとんどみんなが、ちょぼちょぼで、ひょっとしたらちょぼちょぼのちょっと上かちょっと下までに国民全体が入ってしまう、と言うのがとても居心地が良い。
狭い日本、そんなに急いでどこへ行く?
※ 長すぎ!!!! 書き足しているうちにこんなになっちゃいました(^^;
※※ 学部時代の恩師に、中国料理美味しいよ、ベトナム料理も美味しいよ、一緒に食べに行こうと言われ、今、高度成長真っただ中の中国と、まさにその入り口のベトナムとに深くかかるようになってしまいました。中国、ベトナムは、なんだか、かつて見た景色そのもの。
かの国で、あんまり頑張らなくって良いんだよ、とちょっと悪い教育をしていますが、頑張ってしまうんですよね、彼らは。
コメント
地方中核都市というのが日本では住みやすいんでしょうね。
ただ、日本は国全体としてもの凄く生活のスピードと言うかテンポというか、が速い(早い)気がします。
ここでは現役で2CVが走っています。「ミゼット」が現役で走っているような感じですからね。
エンジンかけるときも、ウイウイウイ、ノンノンノンノンノンと言って走り始めると聞いています