『日本の歴史をよみなおす(全)』(ちくま学芸文庫) 網野善彦 著
2010年7月7日 読書 コメント (3)
こんな面白い日本史があったのか、と思う。
が、このスケールの大きい書物を上手く評価、紹介するのは手に余る。
本当はこの文章を読まないで直接読んで欲しいところだ。
この『日本の歴史をよみなおす(全)』は、正編、続編の二冊の『よみなおす』を合本にしたものだが、もともとはある出版社内で内輪に話したものを活字化したもので、易しい語り口である。
正編の方は、「文字」、「貨幣」、「賤視」、「天皇」など歴史上重要なキーワードを歴史縦断的に捉え、
続編の方では、日本は海に囲まれた孤立した、貧しい農業社会で、とりわけ明治以降ヨーロッパの近代産業を取り入れて先進国の仲間入りをした、という我々が持っている思い込みを、『正史』からこぼれた資料を基に捉え直そうとしたものだ。
われわれは、江戸時代において水吞百姓が人口の7割を占めると聞くと、吞まず食わずの農民が人口の7割もいるのかと思ってしまう。
ところが、本来、水呑とは課税対象としての石高、すなわち課税対象の農地を持たない人のことであり、百姓とは農民も含んで様々な職業の人を言うのだとすると、
先ほどの水呑百姓7割というのは、《課税対象の農地》を持っていない人が人口の7割いる、という事を意味するに過ぎない。
例えば商業、漁業、廻船業、鉱業、養蚕、製陶、織布、要するに課税対象の田を持っていない、本業が他にある人たちが(本当の吞まず食わずの人を含んで) 、人口の7割を占める訳だ。
飲まず食わずの農民が7割いる、というのとは社会そのものの評価ががらっと変わってしまう。
この思い込みというか思い違いは、土地を課税の対象とし、その土地を基礎に全ての「国民」を把握しようとした班田収授法以来の律令国家体制の伝統から、正史の資料には土地と農業しか残ってこなかった事に原因がある。
しかも、その律令国家体制は、13~15世紀にかけて完全に崩壊してしまうが、その後も、農地を基礎にした『書類上』の農本主義的国家体制が存続した事によって、実態としても農本主義国家が存続したとの思い込みが起こってしまったのだと本書で指摘されている。
では、律令国家体制が崩壊してしまった、13世紀以降の我が国はどのような社会だったのか?
実は日本列島は、一方では農業国家であったのもその通りだが、国内的にも対外的にも、海・川という大きな交通路をも持った大交易商業国家の一面も兼ね備えていたのである。
対外的には、北は樺太からロシアへ、西はもちろん朝鮮半島もしくは中国へと繋がる海の道を通じて(実際はもっと広く交易が行われていたらしい)。
国内的にも、通常の陸の街道だけではなく、川の道、海の道、また山の道をも通じて、米以外の農業生産物、絹や陶器、鉱業生産物や、外国から持ち込まれた商品など様々な物資が運ばれ、それらが市で取引され、さらに手形によって決済される、こうした農本国家とは異なる商業国家の側面も併せ持ち、両者のせめぎ合いからその後重商主義へと向かって行った社会であった。
そして、この社会変動が《正編》で取り扱われるいくつかの重要観念の内実を大きく変えさせる原動力ともなったのである。
例えば非人という言葉も、もともとは差別的なニュアンスを含んだものではなかったが、それが差別的なものとなっていくそのメカニズム、聖別から差別へのメカニズムが分析されて、さらに農民や女性その他に対する蔑視も同時に起こってくることも示されている。
いずれにしても、ここではうまく紹介しきれないので、是非ご一読を。
が、このスケールの大きい書物を上手く評価、紹介するのは手に余る。
本当はこの文章を読まないで直接読んで欲しいところだ。
この『日本の歴史をよみなおす(全)』は、正編、続編の二冊の『よみなおす』を合本にしたものだが、もともとはある出版社内で内輪に話したものを活字化したもので、易しい語り口である。
正編の方は、「文字」、「貨幣」、「賤視」、「天皇」など歴史上重要なキーワードを歴史縦断的に捉え、
続編の方では、日本は海に囲まれた孤立した、貧しい農業社会で、とりわけ明治以降ヨーロッパの近代産業を取り入れて先進国の仲間入りをした、という我々が持っている思い込みを、『正史』からこぼれた資料を基に捉え直そうとしたものだ。
われわれは、江戸時代において水吞百姓が人口の7割を占めると聞くと、吞まず食わずの農民が人口の7割もいるのかと思ってしまう。
ところが、本来、水呑とは課税対象としての石高、すなわち課税対象の農地を持たない人のことであり、百姓とは農民も含んで様々な職業の人を言うのだとすると、
先ほどの水呑百姓7割というのは、《課税対象の農地》を持っていない人が人口の7割いる、という事を意味するに過ぎない。
例えば商業、漁業、廻船業、鉱業、養蚕、製陶、織布、要するに課税対象の田を持っていない、本業が他にある人たちが(本当の吞まず食わずの人を含んで) 、人口の7割を占める訳だ。
飲まず食わずの農民が7割いる、というのとは社会そのものの評価ががらっと変わってしまう。
この思い込みというか思い違いは、土地を課税の対象とし、その土地を基礎に全ての「国民」を把握しようとした班田収授法以来の律令国家体制の伝統から、正史の資料には土地と農業しか残ってこなかった事に原因がある。
しかも、その律令国家体制は、13~15世紀にかけて完全に崩壊してしまうが、その後も、農地を基礎にした『書類上』の農本主義的国家体制が存続した事によって、実態としても農本主義国家が存続したとの思い込みが起こってしまったのだと本書で指摘されている。
では、律令国家体制が崩壊してしまった、13世紀以降の我が国はどのような社会だったのか?
実は日本列島は、一方では農業国家であったのもその通りだが、国内的にも対外的にも、海・川という大きな交通路をも持った大交易商業国家の一面も兼ね備えていたのである。
対外的には、北は樺太からロシアへ、西はもちろん朝鮮半島もしくは中国へと繋がる海の道を通じて(実際はもっと広く交易が行われていたらしい)。
国内的にも、通常の陸の街道だけではなく、川の道、海の道、また山の道をも通じて、米以外の農業生産物、絹や陶器、鉱業生産物や、外国から持ち込まれた商品など様々な物資が運ばれ、それらが市で取引され、さらに手形によって決済される、こうした農本国家とは異なる商業国家の側面も併せ持ち、両者のせめぎ合いからその後重商主義へと向かって行った社会であった。
そして、この社会変動が《正編》で取り扱われるいくつかの重要観念の内実を大きく変えさせる原動力ともなったのである。
例えば非人という言葉も、もともとは差別的なニュアンスを含んだものではなかったが、それが差別的なものとなっていくそのメカニズム、聖別から差別へのメカニズムが分析されて、さらに農民や女性その他に対する蔑視も同時に起こってくることも示されている。
いずれにしても、ここではうまく紹介しきれないので、是非ご一読を。
コメント
自分も今、別の作者ではありますが日本史に関する本を読んでいます。穢れという考え方など知らなかったことが多く、こういった類いの本を探しては読むのが趣味に?
調べてみたらこの本も大変惹かれるものがありましたので、探してみようと思います。
ではでは失礼しました。
ぜひ手に入れて読んでみますね。
ミハーハハさん
ツンドクになっていた本を1著者1冊ずつで持って来た内の1冊です。受験生時代に読んでいれば日本史が好きになったかもしれないんですが、
『良い国作ろうキャバクラ幕府』だけでは、ふ~んてなもんで、「で、それがどうしたの」になっちゃって、歴史の面白さ伝わりませんね。
何しろ覚えることが苦手で。