『時刻表2万キロ』(宮脇俊三)河出文庫他
2010年5月31日 読書 コメント (1)
今1冊だけ持ってきている他の著者の《時刻表物》を読んでいて、無性に読み返したくなった『時刻表2万キロ』。
実は持ってこようと思って置いてきたのだ。
伯父がJTBの前身に勤めていて、時刻表のお下がりを時々置いていってくれていた。
あ、この電車が、向こうに行ったら名前を変えて、この電車になって、また元の名前になって途中まで行って、帰って来て…、
と言う不思議な現象に気づいてしまい、まだ見ぬ都会の街並みを想像したり、
途中の海岸縁や、山間の景色を想像したりしながら、時間を過ごしていた。
小学校3,4年生の頃だ。
ただ、
「本を読む暇があったら、田んぼに肥料を運んで、草取りをしておいで」
という環境で、社会全体が、少なくとも都会と違って田舎では
『テツ』などということなど到底考えられないほど貧しかった。
本を読むことすら結構抵抗がある環境だ。
そのまま普通に高校・浪人・大学…(いや、結構紆余曲折はあったが)と進み、
大学院で研究者の端くれになったと自分で勝手に思っていた頃、妻が
「お勤めしながら国鉄の全線踏破した人がいるんだって」
と、新聞を読んで教えてくれたのがこの『2万キロ』の著者のことだった。
「ああ、勤め人でもやろうと思えば出来るんだ」
とは思ったが、妻食主義(自分でも奨学金を含めてそれなりに収入はあったが)の手前、
「自分もやりたいなぁ」
とは言い出せず、活字だけの全線踏破に終わった。
ちなみに『鉄子』の横見氏の全駅踏破も妻の新聞情報だった。
同じような妻食主義の大学院生がいて、
「先生も隠れ『テツ』だったんですね」
とうれしそうに言って
(彼にはそれなりにテツを実践するだけの経済的余力はある=今の若手は良いなあ…と思う)、
二人で時々こそこそっとその方面の話をしたりする。
帰国したらテツかチャリかウオーキングか、
(なんだか両立しそうな気はするが)、貧乏肉体派研究者の悩みは深い。
あ、テニスは外せないので、この4項が複雑に絡んだ関数式に、
果たして解は見つかるのだろうか。
稼がなきゃだめだな…。
実は持ってこようと思って置いてきたのだ。
伯父がJTBの前身に勤めていて、時刻表のお下がりを時々置いていってくれていた。
あ、この電車が、向こうに行ったら名前を変えて、この電車になって、また元の名前になって途中まで行って、帰って来て…、
と言う不思議な現象に気づいてしまい、まだ見ぬ都会の街並みを想像したり、
途中の海岸縁や、山間の景色を想像したりしながら、時間を過ごしていた。
小学校3,4年生の頃だ。
ただ、
「本を読む暇があったら、田んぼに肥料を運んで、草取りをしておいで」
という環境で、社会全体が、少なくとも都会と違って田舎では
『テツ』などということなど到底考えられないほど貧しかった。
本を読むことすら結構抵抗がある環境だ。
そのまま普通に高校・浪人・大学…(いや、結構紆余曲折はあったが)と進み、
大学院で研究者の端くれになったと自分で勝手に思っていた頃、妻が
「お勤めしながら国鉄の全線踏破した人がいるんだって」
と、新聞を読んで教えてくれたのがこの『2万キロ』の著者のことだった。
「ああ、勤め人でもやろうと思えば出来るんだ」
とは思ったが、妻食主義(自分でも奨学金を含めてそれなりに収入はあったが)の手前、
「自分もやりたいなぁ」
とは言い出せず、活字だけの全線踏破に終わった。
ちなみに『鉄子』の横見氏の全駅踏破も妻の新聞情報だった。
同じような妻食主義の大学院生がいて、
「先生も隠れ『テツ』だったんですね」
とうれしそうに言って
(彼にはそれなりにテツを実践するだけの経済的余力はある=今の若手は良いなあ…と思う)、
二人で時々こそこそっとその方面の話をしたりする。
帰国したらテツかチャリかウオーキングか、
(なんだか両立しそうな気はするが)、貧乏肉体派研究者の悩みは深い。
あ、テニスは外せないので、この4項が複雑に絡んだ関数式に、
果たして解は見つかるのだろうか。
稼がなきゃだめだな…。
コメント
小学六年の時に松本清張さんを読んで時刻表に目覚め、鉄道大好きになりました。
以前角川文庫(だったと思う)の広告に
本を読みたくて出る旅もある
というようなのがあって、
本を読んでいると何やかにや用事を言いつけるハハからのがれたくて、ひと駅分の切符で鈍行ぐるっとひとまわり、なんてことをやったもんです。
私のテツは急行の座席でうずくまって寝たり駅で何時間も朝をまっていたり、貧乏テツでした。あの頃はみんなそんなだったような・・・