『「お墓」の誕生』 岩田重則(岩波新書) 
 「お墓」のあり方の変遷を通して死者を祀ることの意味、その変遷を取り扱ったもので、大変面白かった。

 お盆の迎え火、送り火と墓参り、先祖供養の中にも重層的なさまざまな意味合いを持った行為が行われていて、もはやそれを行っている者にとってもはっきりとした意味づけが見出せないようなものが多く含まれている。

 先祖祭祀といえばもうひとつは墓であるが、これにもさまざまな形態があって、風葬、土葬、火葬といった死者の弔い方と、その死者への祭祀の対象としての墓のあり方との関連もなかなか一筋縄では整理できないものがあるようだ(著者は一定の結論を出している)。

 そして、現在われわれがごく普通のことと感じているであろう、火葬+先祖代々の墓(+カロウト=納骨室)と言う形態の死者の祀り方は、極々最近の出来事で、石塔形態の墓すらそう古いものではない。この新しい「墓」の形態は、従来の民俗的事象としての先祖、死者祭祀のあり方とはかなり離れた祭祀の形態であり、しかも非常に政治的色彩の強い事象であるといった指摘は大変興味深い。

 いずれにせよ興味ある民俗事象の読み解きを通じて先祖祭祀のあり方を取り扱ったもので、紹介されている事象そのものが大変興味深いし、その読み解きも大変面白い。

 ところで、なっしーが子供の頃には、まだ土葬が残っており、お棺の上に少しずつ土をかけ、少しずつお別れしていくという悲しさ、寂しさを感じることがあったが、今の火葬は、いかにも事務的で、いや、それはそれであっけらかんとしていいとも思うが、そのことが我々の死生観に対しても大きな影響を与え、あっけらかんとした重大事件が引き起こされる遠因の一つになっているのかも知れない、などと本筋とは違う感想を持ちながら読んだ。

 ただ、これはおそらく逆で、人の「死」すなわち、人の「生」を『二つとありえない』重大なものと感じないようなあっけらかんとした我々の死生観が、そうしたあっけらかんとした「お別れの形態」を好み、それが一般化するのだろうけれど。

 著書として、全体の構成が少し甘いような気がしないでもないが、また、なっしーが経験してきたことから言うと、捉え方が違うのではないか、と思う部分も無いではないが(ただ、なっしーの体験はごく一部の地域のごく限られた一時代の個人的体験でしかないので、一般化はできない)、最近とても面白いと思った本である(出版は2006年)。

コメント

お気に入り日記の更新

日記内を検索