前日薦められた取り合えずリヨン1周、乗り降り自由のグランド・ツール・リヨンのバスに乗ることにした。
オフイス・ド・ツーリスム(公設の旅行案内所・フランス旅行では、まずここに行くことが必須)でチケットを買う。
学生かと聞かれて、いやいやと答えたが、もう友人には孫が数人いるのがいる人間に向かって学生?と言うのはお世辞が過ぎる、
と思っていたら、
その日の夕食で、席に案内される時に、Ici, jeune homme.
(「おにいさん(もしくは坊や)。この席でどう?」と言った感じだろうか)と言われてしまった。
さて、グランド・ツール・リヨンに戻るが、9時半から45分おきにバスが出発することになっている。
25分頃、その観光案内所のすぐ裏にある停留所に行って、バスを待った。
来ない。
10分待っても、15分待っても、来ない。
遅れてくるのは普通の(と言うか良くある)ことなので、なかなか停留所を離れられない。
ただ、後で考えれば始発なのでもっと早い決断が必要だっただろうが。
25分くらい経って、さすがにおかしいと思って案内所に行ったら、先ほどの担当者が、こちらの顔を見るなり、
「あ、ごめんなさい。ちょっと技術上の問題が生じて(A cause d’un probleme technique, because of a technical problemeですね)、第1便はキャンセルになってしまって…」
おそらく運転手が「急にお腹が痛くなった」り、
雨だし寒いからどうせ客がいないからという技術上の問題なんだろうが、寒い中
を待たされた客の方はたまらない。
しつこいようだが良くあることではあるのだが。
1周1時間半のうち、1時間以上、乗客はナッシー一人、途中で年齢証明書を示してタダで乗ったイタリア人老夫婦と、1周目最後から2つ目か3つ目で乗ってきたアメリカ人夫婦2組だけだったので、9時半のバスを走らせてもナッシー一人切りだったろう。
午後は旧市街を歩き回った。
朝、オフィス・ド・ツーリスムに一度行っているので、街の大きさの感覚と構造がなんとなく分かって来始めていたが、取り合えず地図を見て、ノートルダムのバジリカが午後の主要目標となった。
ソーヌ沿いに下って行って、まずリヨン・ペラーシュ駅で帰りの列車のチケットを買った。
ペラーシュ駅はかつて街の中心であったが、幹線列車がリヨンパルデュー駅中心に移っていき、とりわけTGVがパルデューを通ったので、丁度上野駅と東京駅との関係のような感じになって来ているらしく、町全体も人がワサワサ動いているといった感じではない。
ふっと休まる感じだ。
さて、地図を見ながら今度はソーヌの反対岸を上流に向かって歩く。
川岸から一本離れたところに裏道があるのを地図で見つけて入ってみたら、一部車が通行禁止になっている石畳、狭い道、古い建物に小さなレストランや、極々小さなみやげ物、楽器店や、ワインカーブなど、ああっと驚くようなナッシーの大好きな町並みが出現。
ぱちぱち写真を取りまくった。
ふと頭の上を見るとケーブルカーが2本、数分おきに通っていく。
地図を見るとバジリカに行けるようだ。
その駅の前のレストランで若いギャルソンと客が話していたので、
「これはどうすればいいんだ? チケットはあそこの地下鉄の売り場?」
と聞いたら、
「そう、そこで買って乗れば頂上まであっという間に連れて行ってくれる」
と言われ、多少苦労しながら地下鉄との共通時間券(最初の改札から2時間有効)を買って、一本の方に乗った。
一つしかない途中駅で降りたら、朝のあの寒かったバスで案内された、古代劇場の遺跡の前だった。
朝、もう一度来たいなあ、でもおそらくこれが最後になるだろうなあ、などと思っていたその古代劇場が目の前に出現。
思いもよらない素敵なプレゼントに大感激。
今回のリヨン訪問はこれだけで十分元が取れると思いながら、しばし時間を忘れて佇んでいた。
エクスの北の方にオランジュという街があって、ここにはものすごく立派な古代劇場が残っている。
それに比較して、未だ、修復途中で、荒々しい遺跡がそのまま目の前に出現したので、本当に時間を忘れてしまった。
ケーブルカーを降りて来て、また先ほどの裏道を通っていたら、リューベロンの写真が張ってあって、ワインを売っている店があった。
リューベロンはエクスの北のほうにある山地で「プロバンスの贈り物」の舞台にもなっている。
思わずそのリューベロンの写真の写真を撮ってしまった(あぁ、もう一度南仏ドライブしたいなあ)。
夕方、今回世話になっているかつての教え子のOさんとその友人と3人でコーヒーを一緒に飲んだが、
Oさんが、「南仏の、ここが良い、あそこが良いっておっしゃるんですよ。私はその土地の名前も知らないけど」とそのフランス人に伝えたところ、Oさんを置いてきぼりにして彼と意気投合した。
いったん話し始めると、あそこもここもと言う形で次々に思い出が思い出を引っ張り出して来る。
Oさんには申し訳ないながら、彼と2人で昔の思い出にふけってしまった。
いずれにしても映画「プロバンスの贈り物」はぜひご覧下さい。
寒かったので、その後ホテルに帰って下着を2枚増やし、シャツも1枚増やして、午後の戦闘態勢を整えた。
※写真はガラス越しに撮ったリューベロンの風景写真です。よく見えませんが…。
オフイス・ド・ツーリスム(公設の旅行案内所・フランス旅行では、まずここに行くことが必須)でチケットを買う。
学生かと聞かれて、いやいやと答えたが、もう友人には孫が数人いるのがいる人間に向かって学生?と言うのはお世辞が過ぎる、
と思っていたら、
その日の夕食で、席に案内される時に、Ici, jeune homme.
(「おにいさん(もしくは坊や)。この席でどう?」と言った感じだろうか)と言われてしまった。
さて、グランド・ツール・リヨンに戻るが、9時半から45分おきにバスが出発することになっている。
25分頃、その観光案内所のすぐ裏にある停留所に行って、バスを待った。
来ない。
10分待っても、15分待っても、来ない。
遅れてくるのは普通の(と言うか良くある)ことなので、なかなか停留所を離れられない。
ただ、後で考えれば始発なのでもっと早い決断が必要だっただろうが。
25分くらい経って、さすがにおかしいと思って案内所に行ったら、先ほどの担当者が、こちらの顔を見るなり、
「あ、ごめんなさい。ちょっと技術上の問題が生じて(A cause d’un probleme technique, because of a technical problemeですね)、第1便はキャンセルになってしまって…」
おそらく運転手が「急にお腹が痛くなった」り、
雨だし寒いからどうせ客がいないからという技術上の問題なんだろうが、寒い中
を待たされた客の方はたまらない。
しつこいようだが良くあることではあるのだが。
1周1時間半のうち、1時間以上、乗客はナッシー一人、途中で年齢証明書を示してタダで乗ったイタリア人老夫婦と、1周目最後から2つ目か3つ目で乗ってきたアメリカ人夫婦2組だけだったので、9時半のバスを走らせてもナッシー一人切りだったろう。
午後は旧市街を歩き回った。
朝、オフィス・ド・ツーリスムに一度行っているので、街の大きさの感覚と構造がなんとなく分かって来始めていたが、取り合えず地図を見て、ノートルダムのバジリカが午後の主要目標となった。
ソーヌ沿いに下って行って、まずリヨン・ペラーシュ駅で帰りの列車のチケットを買った。
ペラーシュ駅はかつて街の中心であったが、幹線列車がリヨンパルデュー駅中心に移っていき、とりわけTGVがパルデューを通ったので、丁度上野駅と東京駅との関係のような感じになって来ているらしく、町全体も人がワサワサ動いているといった感じではない。
ふっと休まる感じだ。
さて、地図を見ながら今度はソーヌの反対岸を上流に向かって歩く。
川岸から一本離れたところに裏道があるのを地図で見つけて入ってみたら、一部車が通行禁止になっている石畳、狭い道、古い建物に小さなレストランや、極々小さなみやげ物、楽器店や、ワインカーブなど、ああっと驚くようなナッシーの大好きな町並みが出現。
ぱちぱち写真を取りまくった。
ふと頭の上を見るとケーブルカーが2本、数分おきに通っていく。
地図を見るとバジリカに行けるようだ。
その駅の前のレストランで若いギャルソンと客が話していたので、
「これはどうすればいいんだ? チケットはあそこの地下鉄の売り場?」
と聞いたら、
「そう、そこで買って乗れば頂上まであっという間に連れて行ってくれる」
と言われ、多少苦労しながら地下鉄との共通時間券(最初の改札から2時間有効)を買って、一本の方に乗った。
一つしかない途中駅で降りたら、朝のあの寒かったバスで案内された、古代劇場の遺跡の前だった。
朝、もう一度来たいなあ、でもおそらくこれが最後になるだろうなあ、などと思っていたその古代劇場が目の前に出現。
思いもよらない素敵なプレゼントに大感激。
今回のリヨン訪問はこれだけで十分元が取れると思いながら、しばし時間を忘れて佇んでいた。
エクスの北の方にオランジュという街があって、ここにはものすごく立派な古代劇場が残っている。
それに比較して、未だ、修復途中で、荒々しい遺跡がそのまま目の前に出現したので、本当に時間を忘れてしまった。
ケーブルカーを降りて来て、また先ほどの裏道を通っていたら、リューベロンの写真が張ってあって、ワインを売っている店があった。
リューベロンはエクスの北のほうにある山地で「プロバンスの贈り物」の舞台にもなっている。
思わずそのリューベロンの写真の写真を撮ってしまった(あぁ、もう一度南仏ドライブしたいなあ)。
夕方、今回世話になっているかつての教え子のOさんとその友人と3人でコーヒーを一緒に飲んだが、
Oさんが、「南仏の、ここが良い、あそこが良いっておっしゃるんですよ。私はその土地の名前も知らないけど」とそのフランス人に伝えたところ、Oさんを置いてきぼりにして彼と意気投合した。
いったん話し始めると、あそこもここもと言う形で次々に思い出が思い出を引っ張り出して来る。
Oさんには申し訳ないながら、彼と2人で昔の思い出にふけってしまった。
いずれにしても映画「プロバンスの贈り物」はぜひご覧下さい。
寒かったので、その後ホテルに帰って下着を2枚増やし、シャツも1枚増やして、午後の戦闘態勢を整えた。
※写真はガラス越しに撮ったリューベロンの風景写真です。よく見えませんが…。
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