朝、長男が向こうの次女と、長女がその長男と同級生だったエクス=マルセイユ大学の教授のお宅に「今エクスにいる」と電話をしたところ、すぐにお昼を一緒にと誘われ、赴いた。
去年だったか、ご長男が日本に来られて、今大阪にいると言う連絡が来た。
長女と2人で会いに行って、日帰り奈良旅行をしたばかりだ。
東京から日帰りで奈良旅行ができると言うのも驚きだったが、彼は道頓堀の例のカニの近くの多少怪しげな英語が飛び交うホテル街の中の外人バックパッカー相手のホテルに泊まっていて、もう10日位過ごしていると言うのにもちょっとびっくりした。
と言うのは、当時、幼稚園の年中、年長組だったが(長女と2年間一緒だった)、言葉も余りはっきりしない引っ込み思案だった子が、そんなところで生き生きと生活していると言うのが、かつてのイメージとまるで違っていたからだ。
ちなみにこのお宅では、なっしー家で次女がエクスで生まれた時、両親が見舞いがてらフランスに来て、父が帰った後も母がもう少し洗濯と料理でもすると言って居残ったのだが、
「せっかくフランスに来たのだからフランス料理を一つ覚えて帰りたい」
と言い出して、プロヴァンス料理、スープ・オ・ピストを教えて頂いたそのお宅だ。
ご主人はイギリス人だが奥さんは生粋のプロバンス育ち、プロバンス語保存運動をなさっている英語の先生だ。
さて、話は戻るが、12時半にと誘われて、15分遅れで行ったがなかなか食事が始まらない。
1時半頃だろうか、アメリカ人の若い女性が現れ、それから1時間近くあれこれ話をして、食事が始まったのが2時半か3時前、それからたっぷり時間をかけて食事をして、ちょっと散歩に行こうとセザンヌのアトリエまで、歩いて行き、ゆっくり見物した。
さあ、お別れかと思ったら、セザンヌ縁のサント・ビクトワールを見ようと、何ヶ所か車で訪ねた後、サント・ビクトワールがすぐ近くに見えるビモンのダムまで行って、先ほど(8時少し前)帰って来たところだ。
縁があると言えば、長男と一番の仲良しだったもう一人のフランス人のご家族があった。
そこには長女と誕生日が全く同じ女の子がいて、その家族がセザンヌが亡くなったその当のアパートの住人で、医者のご主人がそこで診療所を開いていた。
郊外に家をもたれていて、ほとんど毎週のように子供たちが呼ばれる、本当に家族ぐるみのお付き合いだった。
その郊外の家が今日行ったビモンダムから余り遠くないところにあったのだ。
しかも今日御招待を受けた奥さんと、そのもう一人のなっしー家の大親友だった奥さん同士も仲良しだった(今は交流がなくなってしまったと、今日仰っていた)。
ところで、なっしーもそのセザンヌが亡くなった部屋を見せたもらったし、友人夫婦がドイツから遊びに来た時、その部屋に泊まらせてもらったこともある。
ただ、そのアパートに一泊した友人の奥さんは、セザンヌが出てきそうで一睡もできなかったと仰っていたが…。
さて、今日は、ご招待されたお宅に、小さな和紙でできた和綴じのメモ帳のようなものをお土産に持って行ったが、それが恥ずかしくなるようなもてなしを受け、これを書いている今も大変幸せな気分だ。
ちなみに今日は長女の誕生日。長女に代わって大きな誕生日プレゼントをもらってしまったようだ。
ごめんね。 Yちゃん。 お父さんが代わりに誕生日プレゼントを貰っちゃったみたいだよ。
去年だったか、ご長男が日本に来られて、今大阪にいると言う連絡が来た。
長女と2人で会いに行って、日帰り奈良旅行をしたばかりだ。
東京から日帰りで奈良旅行ができると言うのも驚きだったが、彼は道頓堀の例のカニの近くの多少怪しげな英語が飛び交うホテル街の中の外人バックパッカー相手のホテルに泊まっていて、もう10日位過ごしていると言うのにもちょっとびっくりした。
と言うのは、当時、幼稚園の年中、年長組だったが(長女と2年間一緒だった)、言葉も余りはっきりしない引っ込み思案だった子が、そんなところで生き生きと生活していると言うのが、かつてのイメージとまるで違っていたからだ。
ちなみにこのお宅では、なっしー家で次女がエクスで生まれた時、両親が見舞いがてらフランスに来て、父が帰った後も母がもう少し洗濯と料理でもすると言って居残ったのだが、
「せっかくフランスに来たのだからフランス料理を一つ覚えて帰りたい」
と言い出して、プロヴァンス料理、スープ・オ・ピストを教えて頂いたそのお宅だ。
ご主人はイギリス人だが奥さんは生粋のプロバンス育ち、プロバンス語保存運動をなさっている英語の先生だ。
さて、話は戻るが、12時半にと誘われて、15分遅れで行ったがなかなか食事が始まらない。
1時半頃だろうか、アメリカ人の若い女性が現れ、それから1時間近くあれこれ話をして、食事が始まったのが2時半か3時前、それからたっぷり時間をかけて食事をして、ちょっと散歩に行こうとセザンヌのアトリエまで、歩いて行き、ゆっくり見物した。
さあ、お別れかと思ったら、セザンヌ縁のサント・ビクトワールを見ようと、何ヶ所か車で訪ねた後、サント・ビクトワールがすぐ近くに見えるビモンのダムまで行って、先ほど(8時少し前)帰って来たところだ。
縁があると言えば、長男と一番の仲良しだったもう一人のフランス人のご家族があった。
そこには長女と誕生日が全く同じ女の子がいて、その家族がセザンヌが亡くなったその当のアパートの住人で、医者のご主人がそこで診療所を開いていた。
郊外に家をもたれていて、ほとんど毎週のように子供たちが呼ばれる、本当に家族ぐるみのお付き合いだった。
その郊外の家が今日行ったビモンダムから余り遠くないところにあったのだ。
しかも今日御招待を受けた奥さんと、そのもう一人のなっしー家の大親友だった奥さん同士も仲良しだった(今は交流がなくなってしまったと、今日仰っていた)。
ところで、なっしーもそのセザンヌが亡くなった部屋を見せたもらったし、友人夫婦がドイツから遊びに来た時、その部屋に泊まらせてもらったこともある。
ただ、そのアパートに一泊した友人の奥さんは、セザンヌが出てきそうで一睡もできなかったと仰っていたが…。
さて、今日は、ご招待されたお宅に、小さな和紙でできた和綴じのメモ帳のようなものをお土産に持って行ったが、それが恥ずかしくなるようなもてなしを受け、これを書いている今も大変幸せな気分だ。
ちなみに今日は長女の誕生日。長女に代わって大きな誕生日プレゼントをもらってしまったようだ。
ごめんね。 Yちゃん。 お父さんが代わりに誕生日プレゼントを貰っちゃったみたいだよ。
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