払った分の満足感
 来月日本の友人が訪ねてくる。

 そこでホテルの話をメールでやり取りしていて、「払った分の満足感は得られますよ」と自分で書いて、これは日本とずいぶん違う、と改めて思った。

 日本で、1万円払って大満足のこともあれば、ぼったくれ感がぬぐえないことも多い。

 また、同じホテルに同じように泊まっていて、同じような値段を払っていてもまるで料理が違ったり、料理が同じなのに値段が違う、と言うことも、結構多いようだ。

 個人客とパック旅行客とが混在し、たとえば企業だと提携旅館、提携ホテルがあったりするが、これも業者が入った提携であったり直接契約であったりで、結局いろんな客が混在しているため、さっき言ったようなことが起こるのではないか。

 娘がこの冬もパックでスキーに行って、

「板もウエアーもバスもリフトも込みで3泊(2+1)2万円ちょっとなのに、1泊8000万円のホテルだよ。馬鹿らしくって普通に泊まれないよね」

と言っていた。

 スキーパックは何度かあるが、パック海外旅行の経験がほとんど無いので(1度だけある)、なんとも言えないが、フランスでの今までの経験では50ユーロホテルは50ユーロホテルの、100ユーロホテルは100ユーロホテルの満足感が得られた。

 これはホテル料金はホテル料金で、料理は別、と言うところにもその大きな理由があろうが、

 それにしても泊まってみると、

 全体としてなんとなく辻褄が合う、不思議なことに。

 同行者がいる場合など、えっ? 部屋が狭くて同じ値段?と思うようなことも無いわけではないが、泊まった次の朝一緒に食事していると納得してしまうのが不思議だ。

おかしいのは数人で泊まっていて、部屋の料金表をみるとそれぞれ違うのに、みんな一緒でこれでいいよ、と一番安い部屋に合わせた統一料金になったことがある。

 これちょっと変だぞ、と思うが妙に納得してしまった(今は業者(とりわけネットを通じてのグループ化)が入ることが多いようなので、ありうるかな?)。

 こうした、何だか古い昔のことのようなおおらかさは、おそらくヨーロッパ社会が、非常にゆっくりと大きなうねりの中でしか変化しないという成熟社会だからなのではないか。

 なにかちょっとした事で大儲けをしても、50年、100年経ってみたら、あれ、なんだったんだろうね、と言うのが、自覚的か無自覚的かはともかく、みなの中で共有されている。

 非常に貧しかった日本が(また、中国はじめアジアの急成長を遂げ始めている諸国もそのスタート台に立っている)、内包した爆発的なエネルギーを燃焼させながら急激に成長して来たここ50年ほどの間では、まだまだその余波が残っていて、いまだ多くの人々が一攫千金を夢見、また実際に起こっている。

 そして短期的な莫大な利益を生むためのさまざまな手段が講じられ、そして何人かの短期的成功者を生むのだろう。

 いわば成金社会だ。 

 アメリカも、衰えたりと言えども、まだまだ、そうした雰囲気が残っている。

 アジアは、ビッグバンの、その戸口に立っている。

 ただ、日本では、他方で、一部にいわばもうどうにもならないという厭世観も漂い始め、希望を失ってしまった大量の「喪失郡」、「喪失予備郡」が大量に生み出されつつある。

 これに対して、ヨーロッパ社会は、「そんなことやったって、結局落ち着くところに落ち着くんだよ」という諦め、悟りのようなものがあって、

 無理をしない。

 ゆっくりやっていけばいいじゃないか。

 と言った価値観と言うか気分と言うかそんなものが共有されているのではないか、と推測しているがどうだろう。

 ※ 写真はパリCDG空港近くの人口200人のコミューンにある小さなホテルのもの

朝食(パン、セリアル、コーヒー・紅茶、ミルクなど。果物も)付き65€

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