『ディスタンクション I 、 II』 P. ブルデュー (藤原書店)
2010年4月24日 読書 コメント (1)
ディスタンクションというのは英語のdistinctionで、ちょっと古いが、狐狸庵先生・遠藤周作の『違いがわかる』ゴールドブレンドの『違いが分かること』をさす。
要するに、好きになるか嫌いになるかの問題なのだが『好きになる』というのは他の事を捨てて、その物、その事が好きになるわけだ。
では、なぜ好きになるか。
それはその対象のことがよく分かるからだ。
ではなぜその対象が良く分かるのかというと、それに接している時間が長いからだ。
接している時間が長ければ、そのこと、その対象が良く分かって来て、そして、好きになる、ということになる。
すなわち、よく分かって、好きになれば、もっと知りたくて、もっとよく分かるようになり、もっと好きになるということだが、ちょっと好きなんだけどそれが自由にもっと好きになることができなければ、かえって嫌いになる。
いわば「あの葡萄はすっぱい」、「可愛さ余って憎さ百倍」というな状態に陥ることになる。
これがいわゆるコンプレックスで、好きだけど嫌い、嫌いだけど好きというアンビバレント状態を示している(なっしーの解釈です)。
ここから始まって、たとえば、職業は遺伝する、趣味も遺伝するという話になってくるのだが、好きなものを手に入れることができるためには、経済的な裏づけが必要で、もしそれがなければ「すっぱい葡萄」になるわけだ。
たとえば女性に向かって、自分の中でどの部分が好きですか?
と訊ねて、ちょっと左の目が釣り上がっているところ、と答える人がいるとすると、その人は自分の顔を良く観察していることを示している。
あんまり観察していない人はどう答えるか。
肌が綺麗だとか、優しそうなところだ、とかといったような漠然とした答えになる。
顔を良く観察するためには、観察するだけの余裕と必要があるわけで、化粧品その他を購入することができる人、鏡の前に座ることができるだけの経済的・社会的・時間的な余裕と必要性があることを示している。
よく観察していると好きなところが段々絞られてくる、これが『違いが分かる』ということなのだ。
また、おそらく、たとえば三井物産と三菱商事でも、働いている人の顔、性格は明白・明確に違っている(はず)。
それが社風というものだ。
就職する時に応募者は社風を選び、社風の方では、社風に合うかどうかで採用されたり、されなかったりもしていく。こうやって、社風も『遺伝』して行く。
もっとも同族結婚が続き過ぎるとその一族は衰退していくので、『社風』も異端児を中に交えて同族結婚の弊害を除こうとする。その、見極めができるかどうかが『社風』実力の差なのだ。
では、好きな人(異性)は、どんな人と訊ねられて、どう答えるか?
普通は、お父さん、お母さんなのだ。一番接している時間が長いから。
ただ、自分に愛情を与えて欲しいという要求に応えなかった両親はどうなるか、とりわけ異性の親はどうなるかというと、すっぱい葡萄、いわばファーザーコンプレックス、マザーコンプレックスというわけだ。
で、兄弟姉妹にそっくりな人と結婚している人は幸せ、ということになるが、この『ディスタンクション 』にはもっともっと恐ろしくて嫌になるような分析がいっぱいなされているので興味があればどうぞ。
ただ恐ろしく難解で、10中8,9は投げ出すはずなので購入はお勧めしません。
ちなみに、我が家系はちょっと広い意味での『先生』がほとんどです。
商店主の子は商店主。サラリーマンの子はサラリーマン。
趣味や職業などというのも含めた生活スタイルとその生活スタイルを維持することができる、もしくは維持することしかできない経済的裏づけが、実は『遺伝』しているんですね。
資産が引き継がれ、好き・嫌いが引き継がれて、職業も『遺伝』するのだ。
もの凄く悲しい話。
子供は親を選べない。もちろん親も子を選べないが…。
※勝手読み『ディスタンクション』、一度書きかけて断念した紹介ですが(読みこなせていないし)、ほんのサワリだけを書きました。
本当はここが序論の序で、本丸はもっと別のところにあるようなんですが、お日柄もよく、じゃなかった、頃合いも良いのでこの辺でお開き、ということで。
要するに、好きになるか嫌いになるかの問題なのだが『好きになる』というのは他の事を捨てて、その物、その事が好きになるわけだ。
では、なぜ好きになるか。
それはその対象のことがよく分かるからだ。
ではなぜその対象が良く分かるのかというと、それに接している時間が長いからだ。
接している時間が長ければ、そのこと、その対象が良く分かって来て、そして、好きになる、ということになる。
すなわち、よく分かって、好きになれば、もっと知りたくて、もっとよく分かるようになり、もっと好きになるということだが、ちょっと好きなんだけどそれが自由にもっと好きになることができなければ、かえって嫌いになる。
いわば「あの葡萄はすっぱい」、「可愛さ余って憎さ百倍」というな状態に陥ることになる。
これがいわゆるコンプレックスで、好きだけど嫌い、嫌いだけど好きというアンビバレント状態を示している(なっしーの解釈です)。
ここから始まって、たとえば、職業は遺伝する、趣味も遺伝するという話になってくるのだが、好きなものを手に入れることができるためには、経済的な裏づけが必要で、もしそれがなければ「すっぱい葡萄」になるわけだ。
たとえば女性に向かって、自分の中でどの部分が好きですか?
と訊ねて、ちょっと左の目が釣り上がっているところ、と答える人がいるとすると、その人は自分の顔を良く観察していることを示している。
あんまり観察していない人はどう答えるか。
肌が綺麗だとか、優しそうなところだ、とかといったような漠然とした答えになる。
顔を良く観察するためには、観察するだけの余裕と必要があるわけで、化粧品その他を購入することができる人、鏡の前に座ることができるだけの経済的・社会的・時間的な余裕と必要性があることを示している。
よく観察していると好きなところが段々絞られてくる、これが『違いが分かる』ということなのだ。
また、おそらく、たとえば三井物産と三菱商事でも、働いている人の顔、性格は明白・明確に違っている(はず)。
それが社風というものだ。
就職する時に応募者は社風を選び、社風の方では、社風に合うかどうかで採用されたり、されなかったりもしていく。こうやって、社風も『遺伝』して行く。
もっとも同族結婚が続き過ぎるとその一族は衰退していくので、『社風』も異端児を中に交えて同族結婚の弊害を除こうとする。その、見極めができるかどうかが『社風』実力の差なのだ。
では、好きな人(異性)は、どんな人と訊ねられて、どう答えるか?
普通は、お父さん、お母さんなのだ。一番接している時間が長いから。
ただ、自分に愛情を与えて欲しいという要求に応えなかった両親はどうなるか、とりわけ異性の親はどうなるかというと、すっぱい葡萄、いわばファーザーコンプレックス、マザーコンプレックスというわけだ。
で、兄弟姉妹にそっくりな人と結婚している人は幸せ、ということになるが、この『ディスタンクション 』にはもっともっと恐ろしくて嫌になるような分析がいっぱいなされているので興味があればどうぞ。
ただ恐ろしく難解で、10中8,9は投げ出すはずなので購入はお勧めしません。
ちなみに、我が家系はちょっと広い意味での『先生』がほとんどです。
商店主の子は商店主。サラリーマンの子はサラリーマン。
趣味や職業などというのも含めた生活スタイルとその生活スタイルを維持することができる、もしくは維持することしかできない経済的裏づけが、実は『遺伝』しているんですね。
資産が引き継がれ、好き・嫌いが引き継がれて、職業も『遺伝』するのだ。
もの凄く悲しい話。
子供は親を選べない。もちろん親も子を選べないが…。
※勝手読み『ディスタンクション』、一度書きかけて断念した紹介ですが(読みこなせていないし)、ほんのサワリだけを書きました。
本当はここが序論の序で、本丸はもっと別のところにあるようなんですが、お日柄もよく、じゃなかった、頃合いも良いのでこの辺でお開き、ということで。
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