picasa

2010年4月22日 エッセイ
picasa
 picasaというソフトで写真の管理をし始めた。

 パソコンが新しくなって早くなったので、処理できるようになったからだ。

 3000枚くらいの写真を取り込んだら、「顔をスキャンするが良いか」と訊かれ、「はい」と答えたところ、結局数時間かかったが、全部スキャンした。
 
似た顔を集めてあって、この顔はこの人と指定すると、個人別にどの写真にその人が写っているかを集めていく(タグをつける)のだ。

 すごい。

 薄暗いところ、めがねをかけていたりはずしたり、大きく写っているならともかく集合写真の中からでも探してくる。

 データが集まれば集まるほどその精度が上がってくる。

 中には知っているけど名前を忘れた人がいて捨てていたのだが、Aさん、Bさん、Cさんで良かったことに途中でふと気づいたが(名前はいつでも修正できる。ただ、なっしーのことだからAさんがいつの間にかBさんになっているという危険がないわけではない)、それこそ後の祭りだ。

 もう一度スキャンすればいいんだろうが。

 民生品でこれだけの精度なのだから、外国でテロリストが捕まったり、日本でも車で逃亡してもすぐ追い詰められてしまうのは当然だ。

 車のナンバー照会は当然として、おそらく顔写真でも追跡されているのではなかろうか。

 ただ、これは犯罪の事後的追及にしか使ってはならない。

 予防には使えないだろうし、たとえ使えたとしても使ってはならない。
 
 悪いことをしようとしているという『噂』があって、その噂の人の行動は刑事が後をつけなくとも街角の防犯カメラが追跡してくれる。

 一人ひとりに電波発信機をつけてモニターするのと同じことが、技術的にはカメラ(写真)を通して可能である。

 どこそこの地点にM(らしい人)がいる。

 30分後どこそこの地点にM(らしい人)がいる、といった形で個々人が知らないうちにその行動が顔写真の分析によってすべて監視されるのである。

 既犯者(特に性犯罪者)に電波発信処置をつけさせるところもあるようだが、これは大変微妙な価値判断が必要とされる。

 まして逮捕歴ある、違反歴ある者にすべてこうした電波発信装置の埋め込みなどという処置をしてしまうとなると、される側の心身の負担も過酷過ぎる。

 だが、高性能監視カメラでやろうと思えばすぐできるところまで来ている、としか思えない民生品(無料ソフト)の精度の高さである。

 そしておそらくさまざまなところでそれは実際に稼動しているのではなかろうか。

 というより、その技術のお下がりが無料ソフトとして与えられているのだろう。

 水清くして魚住まず。

 いや無味無臭の水よりも山や清流の水のほうが美味しい。

 ただ高原の水が美味しいのは、一方で木や草や土を通して浄化されるのはもちろんだが、木や草や土の中を通りながら小さな小さな微生物や栄養分をふんだんに吸収しているからでもある。

 蒸留水の中では草も小さな魚も微生物も生きていけない。

 だからといって犯罪が多い社会が望ましいわけではない。

 総監視社会はもう現実のものとなっているだろう。

 ただ、安全社会の構築は、あくまで事後的抑止策の徹底的な構築(逃げ得は許さない)によってなされるべきある。

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