不肖の弟子

2010年4月19日 お仕事
不肖の弟子
なっしーには二人のかけがえのない恩師がいる。

その内の一人の恩師が常々仰っていた

「人間一生に3本論文を書けばいいんだ。ヤギに食わせた方がいいような論文(=長いだけ)を書くなよ」と。

細かい、小さいのはともかく、自分でこれが、と書いたといえるのは、2本だけか。そろそろ3本目を用意しなければならない。

先生も論文数は少ない。

しかし、一つ一つの概念が、一言一言が、ここにこうして入り込まなければならない、と言う風に配置されてそこにある、そんな論文ばかりである。
まるで、枯山水の庭園のようだ。

その恩師が、留学に行かれたとき、受入れ教授の研究室を初めて訪ね、
「Guten Tagと言った後、二言目が出なかったよ。向こうもおったまげたろうな」
とよく笑われていらっしゃった。

「留学ってのは病気にならないで帰ってきたらそれで十分なんだ」とも。

先生の、この「Guten Tag」の留学の後書かれた論文は、直接留学そのものの成果とは、必ずしも思えないが、すばらしいものばかりだ。

先生の論文が出なかったのは、理由がある。

実は先生の研究テーマ(なっしーのテーマでもある)で、それまで誰も信じて疑わなかった概念について、コペルニクス的転回ともいえるパラダイムの転換をもたらしてしまった一つの論文が出たからだ。

なっしーは、転換後の研究者だが、実はあの転換は間違っていたのではないか?と思っている。

それをどのように組み立てたらいいのか、もう20年ほど、悩んでいる。

成果の出ないままで。

成果を出せないと、もうどうでも良くなってしまって、悪循環である。

今回持ってきている研究テーマの二つ(実践的テーマと理論的テーマ)の内の片一方(理論的)がそれだ。

ただ、どうやらフランスでも実践的アプローチが主流になってしまっているようだ。残念なことに。

何とか過去の議論をもう一度掘り起こして総ざらいしてみたい、少なくともこのテーマに関する全文献のコピーを持って帰るつもりである。

先生からは「やりたいはいいから、やりましたの報告をしに来い」とニコニコしながら仰る声が聞こえそうだ。

残念ながら数年前、亡くなられたが。

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