プティットフランス再訪
2010年4月8日 日常
プティットフランスの奥の方、ヴォバン水門(Le Barrage Vauban)と、屋根橋(Les Ponts Couverts)に行った。
屋根橋はもともと木造の城壁橋であって、屋根が置かれていたことにその名前が由来するという。
19世紀に石造のものとなったが、ふたつの塔の下部に、16世紀当時砲兵が住んでいた部屋があり、当時の水位のすぐ上の水避けの跡が残っている。
ヴォバン水門は、1681年、ストラスブールがフランスに併合された後造られた要塞に由来する橋が、その後それは放置されたままだったという。
13のアーチの下には水門があり、これによってストラスブール南部の洪水を防ぐ。
19世紀には2階部分が構築され、60年代に展望部分が建設されたという。(以上Office de Tourismeの地図解説による)。
キャノンのカメラを抱え、今ヴォバン水門の写真を撮って来たばかりのフランス人が、こちらのカメラを指さしたあと、親指を立て、残り4本の指を内向きに折ってこちらを見ながらウインクしてすれ違って行った。
「良いカメラだね」というサインだ。
なっしーもすぐ同じしぐさで応えた。
日本製一眼レフカメラはまさしく世界の共通語だ。
その直後、アラブ系のデンマーク人からヴォバン水門を背景に写真を撮ってくれと催促され、サービスに撮ったら、名刺を見せられこちらに送ってくれと言う。
ドイツ語・英語ミックス(彼・デンマーク人)と、フランス語・英語ミックス(私)の奇妙な三か国語会話で少し話しして、別れたが、彼のツアー一行となんとなく歩く方向、ペースが同じで、20分ほど付かず離れずの道行だった。
その夜、彼に写真を送った。
データが重くなかなかネットで送れなかったが、1時間弱ほどかけて送ることに成功した。
長女が卒業旅行(4つか5つ行った内の一つ)でデンマークが大変気に入ったと言うので、ひょっとしたらデンマーク行きの時に役立つかもしれないな、と薄い下心を込めながらの写真送付作業だった。
我ながらさもしい根性だなあと苦笑いをする。
残念ながら彼からの返事は、今のところ、無い。
屋根橋はもともと木造の城壁橋であって、屋根が置かれていたことにその名前が由来するという。
19世紀に石造のものとなったが、ふたつの塔の下部に、16世紀当時砲兵が住んでいた部屋があり、当時の水位のすぐ上の水避けの跡が残っている。
ヴォバン水門は、1681年、ストラスブールがフランスに併合された後造られた要塞に由来する橋が、その後それは放置されたままだったという。
13のアーチの下には水門があり、これによってストラスブール南部の洪水を防ぐ。
19世紀には2階部分が構築され、60年代に展望部分が建設されたという。(以上Office de Tourismeの地図解説による)。
キャノンのカメラを抱え、今ヴォバン水門の写真を撮って来たばかりのフランス人が、こちらのカメラを指さしたあと、親指を立て、残り4本の指を内向きに折ってこちらを見ながらウインクしてすれ違って行った。
「良いカメラだね」というサインだ。
なっしーもすぐ同じしぐさで応えた。
日本製一眼レフカメラはまさしく世界の共通語だ。
その直後、アラブ系のデンマーク人からヴォバン水門を背景に写真を撮ってくれと催促され、サービスに撮ったら、名刺を見せられこちらに送ってくれと言う。
ドイツ語・英語ミックス(彼・デンマーク人)と、フランス語・英語ミックス(私)の奇妙な三か国語会話で少し話しして、別れたが、彼のツアー一行となんとなく歩く方向、ペースが同じで、20分ほど付かず離れずの道行だった。
その夜、彼に写真を送った。
データが重くなかなかネットで送れなかったが、1時間弱ほどかけて送ることに成功した。
長女が卒業旅行(4つか5つ行った内の一つ)でデンマークが大変気に入ったと言うので、ひょっとしたらデンマーク行きの時に役立つかもしれないな、と薄い下心を込めながらの写真送付作業だった。
我ながらさもしい根性だなあと苦笑いをする。
残念ながら彼からの返事は、今のところ、無い。
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