日本出発(2010.3.30)
2010年3月30日 旅行
3月30日午前5時。タクシーを電話で呼ぶがなかなかつかまらない。
5分ほど待って、やっと繋がったが、迎えの到着は15分から20分頃の予定という。電車は41分発。ただ、ほかの選択肢はないので、依頼する。
実際に到着したのは25分を回っていた。流石に少しあわてたが、これなら大丈夫。
駅到着は35分。重いスーツケースとバギー、リュック、ショルダー、カメラバッグを抱えてホームに上がる。一本前の39分発の電車が入ってくるところ。
間に合った。
成田から仁川経由およそ20時間でパリに到着。流石に長い。
さて、翌日のTGVのチケットを買うためにSNCF(フランス国鉄)の駅に行ってから、大騒ぎ。
手帳が無い。飛行機の中でメモを書いていたので、持って来ていたことは間違いないが、それが無い。
そして、いちばん肝心なことは、その手帳には泊るホテルの名前が書いてある。というより、この手帳にしか書いてない。慌ててバギー、リュック、ショルダーを開き、荷物をひっくり返すが、もちろんない。スーツケースも開く。もちろんメモはない。
ただ、ホテルを後回しにしてとりあえずTGVのチケットを買う。窓口がどんどん閉まっていき、今は開いている窓口は一つしかない。
財布(安全のためふたつに分けて持っていたが、そのどちらにも)には日本円しか入っていなくて、結局クレジットカードで支払う。
さて、ホテルだ。
冷静になれ、冷静になれ、と言い聞かせる。
確かメールで予約したのだから、と思い直し、もう一度スーツケースを開き、パソコンを開き、メールを探す。
なかなか見つからない。
あった!
Hotel Les Herbes Folles
あった!あった!!
ただ、タクシーは現金だぞ!
と思いながらもう一度財布を見ると、現金がちゃんと中にあるではないか。ふたつの財布のどちらにもフランス紙幣が入っていた!
これをすべてTGVのチケット売り場の前でやったのだ。
その気になれば騙くらかしたり、物を取って逃げたりは朝飯前の無防備状態。
もちろん自分でもそれは十分意識していたが、スーツケースとバギー、リュック、ショルダー、カメラバッグを抱えての作業。その気になれば赤子の腕をひねるよりも簡単に襲うことができただろう。
さて、こうして泊ったホテルはフランス語のホテル予約サイトで見つけたものだが、後でホテル名を入れて検索すると、日本語サイトで出てくる出てくる。
評価はほとんど☆☆☆☆以上。
なっしーもその評価に異存はない。
3人部屋をあてがってくれたが、もちろん一人では広すぎる。ただ、当然快適だった。
広いのは広いだけで価値がある。
大きな地主の末裔が、小遣い稼ぎに馬小屋か納屋を改装してホテルにしたものと思われるようなホテル。
母屋は200年くらい経っていると思われる大変立派な造り。
従僕たちが住んでいたと思われる建物もあり、周りの広大な農地も、おそらくこの家族のものだろう。
人口200人くらいの小さな町の小さなホテルだが、運命の女神に愛されているかのように、これは幸先良いスタートだ。
5分ほど待って、やっと繋がったが、迎えの到着は15分から20分頃の予定という。電車は41分発。ただ、ほかの選択肢はないので、依頼する。
実際に到着したのは25分を回っていた。流石に少しあわてたが、これなら大丈夫。
駅到着は35分。重いスーツケースとバギー、リュック、ショルダー、カメラバッグを抱えてホームに上がる。一本前の39分発の電車が入ってくるところ。
間に合った。
成田から仁川経由およそ20時間でパリに到着。流石に長い。
さて、翌日のTGVのチケットを買うためにSNCF(フランス国鉄)の駅に行ってから、大騒ぎ。
手帳が無い。飛行機の中でメモを書いていたので、持って来ていたことは間違いないが、それが無い。
そして、いちばん肝心なことは、その手帳には泊るホテルの名前が書いてある。というより、この手帳にしか書いてない。慌ててバギー、リュック、ショルダーを開き、荷物をひっくり返すが、もちろんない。スーツケースも開く。もちろんメモはない。
ただ、ホテルを後回しにしてとりあえずTGVのチケットを買う。窓口がどんどん閉まっていき、今は開いている窓口は一つしかない。
財布(安全のためふたつに分けて持っていたが、そのどちらにも)には日本円しか入っていなくて、結局クレジットカードで支払う。
さて、ホテルだ。
冷静になれ、冷静になれ、と言い聞かせる。
確かメールで予約したのだから、と思い直し、もう一度スーツケースを開き、パソコンを開き、メールを探す。
なかなか見つからない。
あった!
Hotel Les Herbes Folles
あった!あった!!
ただ、タクシーは現金だぞ!
と思いながらもう一度財布を見ると、現金がちゃんと中にあるではないか。ふたつの財布のどちらにもフランス紙幣が入っていた!
これをすべてTGVのチケット売り場の前でやったのだ。
その気になれば騙くらかしたり、物を取って逃げたりは朝飯前の無防備状態。
もちろん自分でもそれは十分意識していたが、スーツケースとバギー、リュック、ショルダー、カメラバッグを抱えての作業。その気になれば赤子の腕をひねるよりも簡単に襲うことができただろう。
さて、こうして泊ったホテルはフランス語のホテル予約サイトで見つけたものだが、後でホテル名を入れて検索すると、日本語サイトで出てくる出てくる。
評価はほとんど☆☆☆☆以上。
なっしーもその評価に異存はない。
3人部屋をあてがってくれたが、もちろん一人では広すぎる。ただ、当然快適だった。
広いのは広いだけで価値がある。
大きな地主の末裔が、小遣い稼ぎに馬小屋か納屋を改装してホテルにしたものと思われるようなホテル。
母屋は200年くらい経っていると思われる大変立派な造り。
従僕たちが住んでいたと思われる建物もあり、周りの広大な農地も、おそらくこの家族のものだろう。
人口200人くらいの小さな町の小さなホテルだが、運命の女神に愛されているかのように、これは幸先良いスタートだ。
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