前回何ヶ月ぶりかに書き込んだのに、その後またまた何ヶ月もご無沙汰。

  いざ書こうと思ったらPWDが分からなくってまたもや足が遠のく。

  心身ともに衰えて来て、歩くスピードが落ちてしまって、研究室までの7階を、以前は歩いて上っていたのに、今や上りも下りもエレベーター。

 7月にフランスから訪問研究者を呼ぶことにしているのだが、これも書類が遅れ遅れになって、

『このままではキャンセルですよ!』と事務方に脅されて、

担当の事務の方は、本当にキャンセルしてしまいそうな方なので慌てて書類を整え中。

 お呼びする相手方は準備万端・チケットもさっさとご自分で購入されている。

 事務に取り消されちゃうと、自分で招聘しなくちゃならない。
 
 それやこれやで1週間ほどドタバタして、やっと書類が整いつつある。

 めでたしめでたし、か。

 いや、めでたさも中くらいなり連休後、といったところか。

 でも、ここに書き込めると言うところまで、体調も回復した(と思っている)ので、

いっとき、定年繰り上げで辞めようかと思っていたのだが、後5年の給与を考えると、

退職金の数倍になりそうなので

(そりゃそうだ。60ヶ月もの退職金をくれるはずがない、が、実はいくら貰えるのかまるで知らない)、

1年でも、1ヶ月でも気力の続く限り、

頑張るぞ!

 何れにしても、おそらく、ここに顔を覗かすかどうかが体調のバロメーターか。

 あ、今気づいたが、バロメーターって気圧計?

※ 広辞苑に相談したらその通りだった。4〜50年ほど気づかずに使っていたんだ! 我ながら呑気と言うか抜けてると言うか…。

※※ 前回が2ヶ月ぶりだったようで、それから3ヶ月ぶり。とすると、この次は4ヶ月ぶりか。
 お呼びする先生と京都旅行のレポートが次のD.N.か?

※※※ さて、お昼をどこかで調達しなくっちゃ。 食べ物はうるさいのだが、『えっ?あんなところで、あんなもの食べるの?とあるグルメに言われるほどの、レパートリー』は広い。それにしても本当に久しぶりの腹ぺこだ。


 本当に跳び跳びになってしまった。2ヶ月ぶりか。

 まあ、最近はパソコンの前に座ることも珍しい。

 講義(学期)が終わって、試験の答案が目の前にある。

 留学生の博士論文の審査、面接も間近に迫っている。

 自分が審査されるのは慣れているが、弟子(古い言葉)が審査されるのは、回数は積み重なっても、毎回毎回自分のことよりずっとずっと緊張する。

 まあ、うまく誘導できれば良いが、肝っ玉の座った(図々しい?)学生もいれば、そうでなくて心根の優しい学生もいる。

 これ、妻の出産を横で見ているような感じかもしれない。

 横にいるが、自分が産む訳ではない。

 産む側が冷静であれば何とでも手助けは出来るが、

カーッとなって前後左右どちらを向いているのか分からないような答えが出てくることもタマにはある。

 自分が受ける方がよっぽど気が楽だ。

 が、もうそろそろ定年になるので、こんな思いをするのも数回だろうが、

こうやって巣立って、とりわけ外国から研究に来ている研究者の卵が、

母国に帰って大きく羽ばたいてくれるのであれば、うれしい限りだ。

 それにしても、今まで、出藍の誉ればかりだった、と藍がつぶやく。
 なかなか続かないのだが、まあ、ボチボチでんなって感じで、日々過ごしている。

 2週間ほど前、まるで、と言うほどではないが人事不省に近い感じで、

『コドワダ=ここはどこ? 私はだ〜れ?』状態に陥った。

 朝、起きようとしても起き上がれない。

 電話で休講を依頼して、そのまま眠り続け、昏々と眠ること48時間、はちょっと言い過ぎだが、目は覚めても起き上がるのが億劫で、

起き上がって、キッチンに行き、ポカリを抱えてベッドに戻る。

 これが、唯一のエネルギー源で、まる2日、流動食、というより水分だけで過ごす。

 その後も、起き上がることは出来たが、1週間の休講。

 その後も出講するが、何を言っている、何を喋っているか確たる意識の無いまま90分の講義を終える。

 で、体力的には楽ではあるが、生きているのがしんどいので、

ゼミもついでに休んで、帰宅。

 そんな日々が過ぎ、1週間、2週間と過ごして、

なんとか3週目が終わろうとする頃になって、なんとか復旧とは言えないまでも何とか道半ばまでは回復したようだ。

 少なくとも、今日が何曜日(何日かはちょっと難しいことがタマにある)、ここはどこ?、私は誰?ははっきりして来た。

 年を取るとはこういうことか、と何度かここにも書いたようだし、

少なくとも周りに喋っているのだが、

この、弱いながらも日差しのある毎日(天気も元気も両方含んで)が続きますようにと祈るばかりだ。
  なんかずいぶん頑張って書いていたような気がするが、3週間のご無沙汰になってしまっていた。

  この間、そういえば先日、10年ぶりくらいの授業のドタキャンをして1週間近く寝込んでしまったり、
 
回復するかどうかの辺りで、沖縄に甥っ子の結婚式に行ったりして

(帰った後もベッドが唯一の友達になる日が数日続いた)、

パソ子の前に座ることが無い日々が続いていたわけだ。

 昔、不定愁訴と言う言葉をよく耳にすることがあったが、

ひょっとしたらこれがそう?

 人一倍、雑で、図太いはずなんだが(外見からはちょっとひ弱に見えるらしいが)、

芥川みたいな繊細で、寄らば切るぞみたいになれたらと憧れていたが、

鋭くは無いが、今や糸が細く切れやすいことは何となく実感できるような気がする。

 いや、確かに堪忍袋の袋はすぐに破裂する。
 
 編み目は雑なのに糸は細いよね、と昔々言われたことがあったのを思い出すが、

当時は何を! と思ったが、確かにそう言われればそうだ、と思わない訳ではない(と言う風なことをDNにも書いたことがある、はず)。

 が、細いのは身体の方で、神経ではなさそうで、

神経が細やかで、網が複雑に絡みあっていれば小説でも書けるかもしれないが、

ただ単なる未熟児、未成熟児、の雑草にはそんなことは起こらない。

 が、確かにちょっとふらふらするのがここ暫く取れない訳ではないが、

これはいったい何なんだろう?

 それにしてもあっという間の3週間だった。

 ※ 沖縄には一度行ったことがあると言う記憶はあるのだが、いつ、誰と、どうやって行ったのか思い出せないと思っていたのだが、首里城に行ったあたりで、同行者全部を思い出せた訳ではないが、確かに、来た。あの人とあの人はいた。もう少し同行者がいたような気がするが、それが誰で、いつ、何のために沖縄に行ったのか(要するに気晴らしであることは間違いないだろうが、それでも何か理由が無ければ行くはずはないのに、その理由と費用の出所が思い出せない)、年を取ると近い過去から消えて行くそうだが、これでは結構昔のことまで消え始めているようだ。ああ、くわばらくわばら、と言っても雷さんの所為ではないのでこの呪文じゃどうにもならない。

   


懐から寒波が押し寄せてくるのか、今日は背中に寒気が走り、

軽いながらも咳が出て、鼻水も少し出る。

 こんな時期に風邪を引くなんてあんまり経験したことが無いが、

冒頭に述べた懐の冷気が影響を与えているとしか思われない。

 懐が寒いのは良いとして(良くないが)、

着るものが無くて背中が寒いのには閉口する。

 子供たち、とりわけ長男夫婦が時々来て家の片付けをしてくれるのだが、

 かなり大胆に処分する夫婦ではある。

 その所為かどうか分からないが、着るものが無いのだ。

 外出用に スーツ1着、ジャケット1着。

 これしか無い、現状では。

 冬物だけでも何着か、夏物はそれより少ないがそれでも複数あった(はず)。

 ただ、長男夫婦がまとめてくれていたソックスが、

ペアになるのがトータルで20足くらいだったのに対して、

片足だけの、履き慣れたソックスが100個(50足分)に届こうか、いや越えているかと思われるほどあった。

 もしや片割れが、と思いながら2年半待ったが、もうこれ以上待ってもしょうが無い。

 それを今日ゴミに出した。

 が、残りのもう片っ方の100個はいったいどこに消えたのやら。

 そんな風に片一方だけの靴、上着、もしくはズボンだけのスーツ、

どこを探しても片割れが無いものが山ほど(単なる言い回しではなく、積み重ねると小さな山になりそうだ)ある。

さらに虫の食ったセーターや洗濯してはいたが、来ていないので黄色くなってしまった下着類。、

 これら、ひょっとしたらと思いながら残して来たが、そろそろ潮時とゴミに出し始めた。

 後は読まない本、2度と使わないだろう子供の頃のおもちゃの類い、ぜ〜んぶ処分してしまおう。

 子供の頃のお絵描きくらいは残すにしても、

火事に見舞われたくらいのつもりで不用品の大処分の始まり、始まり。

 秋のゴールデンウイークが終わってしまった。

 ハッピーマンデー法で月曜日に(時間割に)授業をいれるのが幸せだったのも束の間、

今や休日だろうが何だろうが構わず、年間13回授業実施日がくまれる。

 休日出勤は電車が空いているのは良いんだが、教室も空いてしまう。

休日出勤の日にしゃべったことを試験に出してやろうと思うのだが、

何週間(いや、何日か)か経つと、何をしゃべったか忘れてしまう。

 メモを残してもどこにメモしたか忘れてしまうし、

そもそも手帳に◯や△やら書き込んでもそれがなんだか分から無くなるんだから、

そんな高等戦術は無理だ。

 嗚呼、年は取りたくないと思う秋のゴールデンウイークが過ぎてしまって、

あとは、クリスマスが早く来ますように。

 
 今日は1コマしか講義が無いのに大学まで来た。

 まあ、博士論文を書いている留学生の面倒見もあるので、どうせ来ないと行けないのだが、

来てみたら、明日か明後日か、学園祭と称するものが始まる

(というより休講が始まるのであって学園祭なるものがいつ始まっていつ終わるのかはよく知らない)。

 こちらに取っては単なる休みのプレゼント。

 ただ、文科省がウルサイのか父兄がウルサイのか、決められた回数

(13回?14回?/半期=1セメスター)だけはきちんとやれと言われていて、

昔のような、というのは自分が学生だった時代のような、

休講し放題、遅刻し放題のいい加減さは今やもう大学のどこにも無い。

 ところでふと思ったんだが、昔、大学進学率が20%の頃の偏差値50って、

人口比で凡そトッップ10(100掛ける20パーセント掛ける1/2)だが、今は50%の進学率の偏差値50はトップ25だ。

 ものスゴくいい加減な計算だが、今の学生ってなんでこんなに出来ないんだろうと思っていたことが、

要するにそうなんだと言うことに今日ふと思い当たって、

我ながらニュートンばりの大発見をしたような気分になっている。

 が、そうやって学生のレベルが下がったからこそ、

低レベルのナッシー氏が、”教授”として食って行けるんだという当然のことに気づいた今日この頃の夕刻だ。

水増し学生数が水増し低レベル教師を生む。

 ま、こうやって皆んな平和に暮らして行ける、と思われるのは今までの牧歌的日本であって、

今やアホノミクスが、ガツガツギシギシとしつつも、

なんだかゆる〜い平衡的社会から(いや、実は猛烈社員同士が殴り合うかのような競争社会ではあったんだろうが)、

金持ちとエスタブリッシュメントだけが良い思いをする、もっともっと過酷な世界を引っ張ってくる。

 逃げるが勝ちだが、定年まであと5年。

 そんなに泥舟に乗り続けないといけないのか。

 
 大学祭の季節だ。

 この間、授業が無くて、ちょっと暇。

 なのに今日は大学に顔を出しに来た。

 な〜んも無い、訳ではないので足を運んだのだが、

学生がまばらな大学はちょっといつもと違う雰囲気ではある。

 大学祭の間に、またどっか、各駅停車の旅に行こうかな?とパートの方と話したばかりだ。

 それより何より、今焦眉の課題は留学生の博士論文に決着を付けなくてはならないことだ。

 博士号を持っていない人間が博士論文の審査をしていいんだろうか? 

と思わない訳ではないが、まあ良いんだろう。

 が、本当にこれで良いんだろうか、といつも思っている。

 卒業して巣立って行ってくれて、とりわけ研究者の仕事に就くのが一番うれしいが(ドクター過程の場合は7、8割はそうだが)、

あと定年まで2、3人送り出すことが出来るだろうか?

 そうやって、一件落着。店仕舞いとなる日も近い。

 定年になったらいったい何をどうやって生きて行けば良いんだろう?

 と言うだけ言うが、むしろ知りたいのはいったい全体今何をやっているんだ?

   ? ? ? ? ? 

 瀬戸内生まれなので雨は比較的遠い存在だ。

 ただ、子供のときの記憶と言えば、

小学校の3、4年の頃だろう、渡り廊下と校舎の間の中庭に大きな紫陽花があって、

そこに雨が降りしきっている光景、

紫陽花にざーっと降った雨が流れていて、キラキラ光っていた、ように思い出される。

 今研究室の前の小さな丘に雨が降りしきっていて、ふと昔々のことを思い出している。

 子供の頃の記憶には、あんまり良い記憶が無いのだが、

 山に入って集落ごとに分かれてやったチャンバラ合戦とこの紫陽花がたった2つの良い思い出だ。

 記憶に残っている様々な出来事、風景、ボケ始めているとはいえ、そういった記憶が無い訳ではないが、

もう一度みたい、もう一度あの頃に戻りたいと思うのはこの2つだろう。

 後は忘れても良い、いやむしろ忘れたい記憶に過ぎない。

 父方の祖父母は広島の山の中から出て来た。

 祖母は尼子の残党で、今も続く(また従兄弟が跡を取っている)家系ではあるが、

なんだか怪しい墓が家のすぐ裏の山

(というよりその山に麓から10〜20メートル登ったところに家がある)

に残っていて、

歴史家やら、考古学者やら人類学者やらが開けさせてほしいと何度も尋ねてくるそうだ。

 母方は、対馬から京城に移り住み、第二次大戦後引上げて来た家族で、

母は両親が早くなくなったため、年の離れた従姉妹に育てられた。

 その母の従姉妹は引上げて来た後もずっと独身を通し、我が生家の近くで過ごしていた。

 母方の伯父は、

『何しろ宗家の家臣だった訳だから、半分以上は大陸の血を引いているに違いない』、

と口癖のように言っていた。

 今、年を取って少し暇になり、残された寿命が短くなりつつあると感じるようになると、

馬鹿らしいとは思いながら自らの出自を確かめたい、というより知りたいと思うようになって来た。

 こんなしょうもない奴の出自を辿ってみても何がある訳ではないが、

この『しょうもない』由来を探すのも、ちょっとしたしょうもない趣味の一つかもしれない。

 ただ、今から思ってみて、なんだか田舎にいたときの孤立感

(2度とここには帰ってこないぞとずっと思っていた)

というのは、この異邦人的出自が多少影響しているのかもしれない。

 何れにしても、ずっと異邦人であるかのようなよそ者感を感じながら大きくなった。

 高校を卒業して東京に出て来た時

(父親が関西の方の大学を卒業していたので、そこに行け(=合格しないと行けないけどね)と何度も言われていた)、

なんと晴れやかな気分になったことか。

 後少しで定年だ。

 定年後の老後はどこか外国で過ごしたいと思っているが

(大学院生に話すと、外国人留学生皆んなが、私のところに来て下さいと誘ってくれる(が当然リップサービス?))

 ひょっとしたら、生まれた田舎どころか、生まれた国もあんまり好きじゃないのかな?

 ただ、どうやったら、どんな国でビザが取れるんだろう。

 団塊の世代が定年を迎え、また塊になってしょうもない老後を過ごし始めているだろうが、

そこにもう一個小さな石が紛れ込む。
朝眼が覚める。

ここはどこ? 私は誰?

と自問し、少しずつ少しずつ、

今何処にいるのか、今日何をやらないといけないのかが、じわじわと滲み出て来る。

以前、眠っている間もずっと眠れず、

何時も起きているかのような毎日と言うか毎夜だったのだが、

いつの頃からか漆黒の眠りが得られるようになって、

その代償か、ここはどこ?がやって来たわけだ。

自分で《こどわだ》(ここはどこ?私は誰)と名づけた老人性症候群。

さらにこのこどわだ症候群に引っ張られるようにして、

眠れるようになると同時に食欲も出て来て、

まずいことにポッコリと言うかポッチャリと言うか、

胴回りが成長して来たのだった。

今目覚めて1時間(7時頃)。 いつものドトー⚪️にと思ったが、生憎今日は日曜日だった。

8時開店だ。

《ちゃん! ひもじいよう!》と叫びたくなる日曜日の朝。

何と生産性と緊張感に欠けた日曜日の朝と思った途端に、

《シベールの日曜日》観たい。どっかにビデオがあったはずと、

日曜日→シベールの連想ゲームは、

まさにボケ老人の朝の一コマだ。

ところでドトー⚪️。

今日はお気に入りのあいその悪いお姉さんいるかな?

趣味が悪いと言われるのだが、ニコニコっと可愛く愛想を振りまいてくれる人より、

何だかツンとしているようだが、その人がたまにふと微かな微笑みを見せた時の喜びの方が大きいのだ。

さ、起き上がろう。ドトー⚪️ → シベール → 博士論文チェックの長い、長い一日の始まりだ。




 こっちの水は甘いぞと台風君に言っていたのに、知らん顔して他所の方に逃げて行って、しかも大急ぎの駆けっこで走り去ってしまった。

 まあ釣り損なった魚は大きいというが、もう逃げられた台風君は大きかろうが小さかろうが、

縁がなかったとあきらめ、1限の授業をやった。

 とは言うものの前回の復習をちょっとのつもりで話し始めた所が、復習どころか同じことをやってしまった。

 3歩進んで2歩下がるなら良いが、2歩数んで3歩、4歩下がってしまう。

 セメスター+週2というのはちょっとつらい。

 やることがいっぱいあるのであれば良いんだが、こちらがあまり得意な分野でないことも手伝って、

やっぱりうまく行かない。

昔々の話だが、 大学院を出て就職した時にその就職先に専門分野が重なる先輩がいて、

指導教授から、まあ、専門が重なるが2年交代くらいで交代しながらやったら良いんじゃないか、といわれ、

不得意ながら大きなくくりでは同じである、◯◯学A、◯◯学Bと言った形でを担当した。

 2年経ち、3年経ち、我慢に我慢して雌伏5年(くらい)。

 「先生から、2〜3年交代くらいでやれば良いんじゃないか、と言われていたので、そろそろ」

と言ったところ、

「かんべんしてよ。おれ出来ないよ」と言われてしまって、それ以来、その話を2度と持ち出せなかった。

 断わられた時にもう自分のやっていた研究分野を捨て、違う分野、

例えば憲法で言えば人権をやっていた人が統治機構をやる、民法の物件法をやっていた人が契約をやる、と言った感じで、

外から見ると同じ憲法、同じ民法ではあるが、

それは理論構成から分析手法からまるで違うと言えば違うものだ。

 で、隣人同士であるのはその通りなのだが、まるで自分にとっては別世界に行った。

 学会報告もB分野でやったし、論文もB分野で書いた。

 そうやって、雌伏20年。

 転職して(転職場。職業を変えた訳ではない)、今のところに移ったとき、

B科目担当のつもりで移ったのだが、科目担当を決める時、ある大物の先生が、

ナッシー君はA科目だろう、と仰って、それ以来、A科目担当になってしまって、

B科目をやりたくてもやれない。

 20年も講義をやっていると、というかやっていないというか、同じ科目でもやっぱりやり慣れたものがやはりやりやすい。

 学問的にはひょっとしたらA分野の方が深いかもしれないのだが(いやその通りなのだが)、

学問としてやるのと講義とはやはり違う。

 講演をするというのであればAであろうがB、Cであろうが、

ある一つのテーマで60分話すのであればそれはそれなりに準備をすれば良いだろうが(などと言っているようでは人を満足させる講演などできないだろう)、

20回一つのテーマで話し続けるというのは、やはり簡単ではない。

 で、そうやって、あと数年間か。悶々と過ごす訳だ。
  この2年の間は、まるで夜間眠れず、いや、眠っているのだが眠っている自分を見ている自分がいて、

それを(眠っているにもかかわらず)その自分を見ている自分をもう一度見ているような、そんな毎日だった。

 それが今や0時前後に眠りに着き、5時前後にすっきり目覚め、もちろん夢など見ない。

 起きていても、会議を、その他諸々のスケジュールを忘れてしまうと言うのに、よくも眠っている間のことをこんなに克明に覚えていられるものだ、とあきれていたが、

今や漆黒の闇のように眠り続け、朝、5時になると真っ昼間のように目が覚める。
 
 睡眠不足のかけらも無く、夜と昼間の2分法だ。

 風情が無いと言えばその通りだが、もうこの期に望んで風情も何もあったものではない。

 すっきりと目覚め、嫌な過去(つい昨日を含む)のことなど忘れてしまって、

3歩歩いたら全部忘れる鶏のように生きていき、

おそらく、近々その3歩が2歩になり、1歩になって、あげた足が地に着かないうちに何もかも忘れてしまうようになるだろう。

 ただ、その前にやはり忘れては行けないものが無い訳ではないので、

カミさんみたいに手帳を持ち歩くのではあるが、

ついつい手帳を持っていることを忘れてしまって、さらに、手帳そのものを持つこともついでに忘れて、

気が着いてみたら1週間何も書いていないというようなことになる。

 ボイスレコーダーも以前使ってみたが、これ、まるでダメ。

 聞き直すのは手帳を開き直すよりもっと面倒だ。

  一番良いのはウオーキングボイスレコーダーもしくはウオーキング手帳だ(ウオーカー手帳?)。

 ウオーキングの記録を取るための手帳ではなく、いつもそば歩いてついて来ていて、

勝手に必要なこと、行われていることをメモしてくれる人間手帳があれば良いんだが、

忘れて困るようなことはほとんど無いので、結局忘れるのが嫌という気を慰めてくれる気休めに過ぎない。

 でも、気休めではあっても落ち込むことは少なくなるので、ウオーキング手帳、確かに欲しい。

 出来れば、若くて美人の。

異邦人

2014年10月5日 日常
少しずつアホノミクスのアホらしさを指摘するマスコミ報道が出始めてきた。

アカイアカイ真っ赤なアサヒ(古い!)だけではなく、

その他のマスコミも含んで、ヨイショからちょっと距離を置いた立ち位置になって来ている。

アホしんぞうが宿敵を閣内に取り込んで死なば諸共が成功したと思った矢先だ。

一緒に心中するつもりなどないのだが、同じ船に乗って仕舞った宿敵の方も、

獅子身中の虫になりきれないで、

何だか発言が持ち上げるような、少なくとも蹴落とす勢いは無く、

モゴモゴしていて冴えない。

もうこいつもお終いだろう。もともとこんな奴が持ち上げられる方がおかしいが、

日本の政治家なんてこんなもの。

こうして日本沈没が現実のものとして目に見えるようになりつつある。

日本経済が、政治家がダメだから政治家を無視して必死で走り続けてきただけなんだが。

ま、日本の政治家なんてこんなものさ、と改めて思う。

英語にしてもフランス語にしても中途半端にしか読み書きが出来ないので、なんとも言えないのだが、

それなりの国のそれなりの政治家はそれなりの発言をする(ように思われる)。

まあ、日本(国)と心中する気などもともとない。

観世音菩薩に投票した埴谷のようにはなれないので、

若い頃は選挙には行かなかった。

都知事選だったか衆院選だったか聖徳太子の格好をしたポスターの秋山祐徳太子さんに投票してからは、

まあ時々は投票所に足を運び、そこそこ議決権行使をして来た。

が、もう堪えられない、日本政治。

これは政治が悪いのではなく、国民が悪いのだが、

本当に早くアホ政権を、アホノミクスを潰さないと日本は沈没してしまいかねない。

早く来い来い定年の日。

定年後の終のすみかはどこが良いかな?

日本にいてもどうせ異邦人みたいなものだから、どっかで本物の異邦人として老後を過ごしたい。 ← 本気度70くらいだったのが今85くらいに上がっている。

習った外国語

2014年10月4日 日常
習った外国語
テニスをサボった。

腰が痛いのは痛いのだが、特に痛さが増した分けではない。

なのに朝起き上がれなかった。

いや、電話にたどり着いて欠席通知をしたのだから、

起き上がることは出来たのだが、起き上がる前に気が萎えていた。

一度始めると何事も1年や2年は必死にやり、数年は続き、

初級から中級に入る頃になると、なんだかそこで満足してやめてしまう。

テニスは中学校以来、都合40年、いやサバを読んでは(引いてなのでサバじゃなくイワシかな)いけません、50年ですね、

で計15〜20年くらいはやっていると思うが、

英語も数学も化学も、全部全部上の下か中の上。

法律は上の下じゃなく精々中の上。

テニスは中の中か中の下くらいかな?

今まで何をやってもそこそこに上達し、上の下もしくは中の上なのだ。

例えば外国語の発音。

知らない言語の知らないフレーズを真似ることができる。

中国人も、ベトナム人も、アメリカ人もフランス人も、トルコ人も、

中国人みたい、ベトナム人みたい、…人みたいにきれいな発音とほめてくれる。

が、喋れるようにならないんだな、これが。

しかも追い打ちをかけるように高校のESSの後輩の某K大学教授、岩波講座の編集主幹をやった大物だが、

なっしーさん、

きれいな発音で喋っている内はダメなんですよ、訛って喋れるようにならないと本物じゃないんですよ、だって。

で、翻ってテニス。

これもフォームが綺麗で(フォームは)すごいと言われることも無いわけではないが、

相手のいる所にちょうど打ち返しやすい素直なボールを(それなりに)きれいなフォームで打ち返しているんだろうな。

身に付けた外国語じゃなく習った外国語みたいに。


※ 1日置いてみると、自分はひょっとして習った(倣った)日本人、習った人間なのかもしれないと思っちゃいました。



ミレー展

2014年10月2日 日常
  府中市美術館にミレーを観に行った。

 地図で場所を探し歩いて行ったのだが、地図を見ながら歩いたり、人に尋ねることが苦手なので、

おおよそ頭の中に地図を入れて、歩く。

 地図を見る必要があると、少なくともベンチに座り、できることなら、喫茶店にでも入って地図を開きたい。

 地図を見ている自分の姿がいかにもよそ者、いかにも初心者。
 
 そんな姿を晒すのが嫌なのだ。

 素人なんだから素人で何が悪い。

 よそ者なんだからよそ者で何が悪い、と理論では分かるんだがどうしてもそれ、嫌なのだ。

 絵なんか分からないので止めとけば良いのに、まあ、行ってみる。

 でも、行って分からないなりにふんふんと観て帰るとそれはそれで達成感がある。

 ま、あと定年まで数年だが、もうあんまりやりたいことはないし、ぼちぼち定年後の生活を本気で考えないといけないのだが、

どうもあんまり体調も抜群という感じではないので、そこそこ良い頃合いにうまく収まりそうだとは思うが、

人生何がどう転ぶか分からず、生きてはいるが高額の治療費がかかるというのが最悪の事態なので、

そっちの方にだけは転ばないようにしたいものだ。

 でも良かった、ミレー展。

 小さな美術館で、小さな絵(だけでは無いが)。

 これからもせっせと小さな美術館巡りでも楽しもう。

 ※ 3週間ぶりですね。こうやっていつの間にか消えて行くのかなあ、と思わざるを得ないが、DNを書かないというのはデスクに座らないということなので、学者がデスクに座らないというのはバスの運転手が駐車場に行かないのと同じ。
 せっせと駐車場に向かうことにします。
 なんかちょっとずつ吹っ切れて来ている気がする。が、激動の2年間でしたね、ホントに。
20世紀後半のあのバカバカしいバブルを経験した世代が現役を引退し、

あのアホらしさを知らないわけではないはずのアホシンゾーが、

もう一度バブルをと意気込んでいる。

これをアホノミックスと呼びたい。

会社から渡されたタクシー券を握り締めながらタクシーを停めようとするが、

ドライバーは見向きもしないで通り過ぎる。

停まって客待ちしているタクシーをつかまえて行き先を告げると、

首を横に振って乗車拒否される。

しょうがないからもう一杯、ともう一度酒場に戻る。

みんなみんな浮かれて正月を迎えようとする年末の大納会が頂上だった。

戦後すぐから山や谷がないわけではなかったが、

この日を境に営々と積み上げて来た風船に穴が空いて一気に萎んで仕舞った。

それから20年。

あの阿呆らしさを知った世代がほぼ現役を退き、

阿呆らしさを知らずジトっと我慢を続けてきた世代が、

”そう言えば日本に輝いていた時代があった。

あれを取り戻してもう一度花見酒を楽しもうじゃ無いか〝

と考えているんだろう。

しかし、今の日本が、日本人が、中国を始め、韓国、ベトナムなどハングリー精神に富み、

成長のためにはガマンガマンができる競争相手とせり会えるかと言うと、

とてもじゃないが大人と子供、と言うかと老人と青年の戦いだ。

高度化した経済システムは、そもそも単純労働力は要らない。

優秀な人が機械やその動かし方を設計し、あとは機械が全部やってくれる。

それだけで済み、なっしー氏のようなロートル老人どころか現役世代でも、

コンピューター始め様々な機械によって出来る作業にはもう必要とされない。

機械を、システムを設計維持する人は必要だが、

現場で物を作る人間は要らない。

アヘシンゾーの演説は、こちらが理解できていないせいかも知れないが、

掛け声だけは勇ましいし、演説だけは上手いんだが、

彼の演説を聞いていると、テープを回しているだけのようで、

背筋が寒くなって仕舞う。

まあ、ヒットラーほど人心をつかむことが出来ないのがせめてもの救いだが、

このアヘを上手く操る奴が出て来た時が本当の危機だ。

その時こそが本当の勝負だが、残念ながら勝負できる対抗勢力がどこにもいない。

今の民主なんて論ずるのも馬鹿らしいほどだが、

結局エスタブリッシュメントから放り出されて行き場がない無思想、無節操、無能の烏合の衆に過ぎない。

ああ、ヤダヤダ。

早く定年にならないかな?

南の島でゆっくり過ごしたいが、そんな伝手は無いし。

どうしたら良いんだろう?

*なんか以前にも(と言ってもそんな昔ではない気がする^^; )同じような事を書いた気がするしその時とちょっと中身が違う気もするが、まあ、それはそれとして…。
青春18切符を2セット、合計10回の乗車分を買ってしまっていた。

独り身の身軽さで十分こなせると思っていたのだが、

夏休みのスクーリングでの1週間ぶっ続け講義があり、

それが終わって直ぐに8日?9日?間のベトナム出張。

へばってしまって(何しろこの夏休み中に65になっちゃいましたからね)ベトナムから帰ってからはゴロゴロ無為徒食の日々を漫然と送っていた。

いや、無為徒食の日々はこの夏休みだけではなく、ここ何年か、いや、人生そのものがそうなんだが、

バージョンアップされた強力無為徒食を送っていた。

ふと気づくと青春切符8枚、と言うか正確に言うと2枚計8乗車分が残っていた。

そうなると漫然と日々を送るわけには行かず、

1週間ほど飲まず食わずだった餓鬼の目の前に料理の山が置かれたような感じで、

なっしー餓鬼がローカル線乗りつぶし戦に挑んだのだった。

いつもだと、ここをこう回って、この辺で昼飯、こっちを回って帰ってくれば有意義な(要するに遠回り)乗り方が出来るととても雑ではあるが大まかなプランを立てて出掛ける。

ただ、なっしー氏も一応は学者だが、どちらかと言うとあまり綿密な検討は得手で無いので、

たいていの場合、というよりいつもだが、ざざっと考えて前後の見境なく論文を書き始め、

マス目(今やマス目ではなくパソコンの画面だが)を埋める。

その執筆スタイルが今回の旅行でも踏襲された。

大急ぎで、何しろ距離をこなさないといけないので(←いや、何も距離をこなす必要がある分けではないんだが、同じ料金なんだから出来るだけ長距離をこなしたいという貧乏人根性に過ぎない)、

結局何だか嘗て来た道、要するに土地勘のある(乗り勘のある)路線の再探訪になって仕舞った。

なのに、こんなに頑張ったのに、残念な事にとうとう1枚残って仕舞ったのだった。

そんな、大きな後悔の残る夏休みだった。

良い年になったんだから、ダボハゼが食いつくような、がーっとただ乗るだけのテツ的乗り方ではなく、

(いやテツがどういう乗り方をするのか分からないが、何しろ全駅踏破と言うような偉業を成し遂げた人が少なくとも一人はいるので、恐らく何十人、何百人の踏破者がいるんだろうが、そういう人たちはこんなガサツな乗り方をしないだろう)

ゆっくり、優雅な、お年寄り68切符的な(何がお年寄り的か分からないが)乗り方をそろそろと思わないわけではないが、

いやいや、まだまだ『青春18切符』を18歳のガキみたいに乗り続けるぞ!

と言っては見たものの、同行二人のゆっくり旅もそれはそれで楽しいだろうが、

結局かみさんとはそれがで出来なかった。

ま、いつか再会したらそれを楽しむとして、今は今。

ガキの遊びに徹するぞ!

早く来い来い冬休み ^_^
明日にでも辞めたい。
夏休みが終わろうとしているが、やっと今日から夏休みの気分だ。

何しろこの夏休みは、スクーリングやら海外インターンシップの付き添い、ゼミ合宿などなどなど、夏休みとは言えやるべきことは多かった。

まず、前期の学期が終われば試験がある。

試験が終われば採点をしなければならない。採点をした後で、最初に述べた様々なプラスアルファの仕事が待っているわけだ。

いま、我が社は半期制と言うか、今風に言うとセメスター制と言うが、

半期で授業が完結する。ということは科目、単位数によっては週2回の講義がある。

頭の中に何と無く沈殿して行くような形で理解が進み、理解が深まるというタイプの人間にとっては、

この短期集中制はあまり良い制度だとは思えないのだが、

他方で集中して勉強した方が良いんだという考えもあって、

どちらも一理ある。

が、長〜く時間をかけて、麹が発酵し、酒が旨味と深みを出すように、

長く時間をかけて、思考も、記憶も、理解も進み、深みを持ってくる、はずだ。

前期でやったことを夏休みをかけて沈殿させ、まぜ合わせ、発酵させ、

それを踏まえて後期にその発展型を学び、理解し、本当の理解が深まるようになる。

いや、復習などしなくても時間をかけて沈殿して行くだけでも大きな効果があると思う。

大学の学問とはそんなものかと思うのだが、

今の大学も、学生も、専門学校で技術を習うような感じで学び、学ばせている。

まあ、教育学では、高等教育とは、人口比で精々20%くらいがこなせるようなものなんだそうだが、

現在の大学進学者は、旧制中学進学者の数倍はいるのではないか。

ということで、今では、人口比20%以内の銘柄大学だけが『大学』の名に相応しく、そのうちの半分か4分の1くらいが『良い』大学だとされることになる。

それだけ大学生が水ぶくれしているので、勿論教員も水ぶくれ。

でこのしょうもないなっしー氏も水ぶくれした大学の水ぶくれのおかげで職にありつけた教員に過ぎないのだが、

周りを見るとなにを勘違いしているのか、『俺は偉い』と思っている奴らが結講いる。

こういう景色は見たくない、早く引退したいと思うのだが、

何しろ老後の蓄えがない自転車操業なものだから、

もうちょっと学生諸君には我慢してもらう以外にない。

嗚呼!

でも、明日にでも辞めたい。

※ 何だか久しぶりは久し振りなんだが、ここ数日来?いや 数週間? いろんなことが憑き物が落ちたような感じで、いや何よりも眠れるようになって来た。ずっと、眠っていても眠っていない。眠っていてもずっと夢を見ているようで、半分起きているような、そんな感じが続いていた。
… … … と言っても、この感覚も、いやこう言っているなっしー氏もまた雲隠れするかも知れないが、何れにしても夢を見ずに眠れて、朝、目覚めた時、身体と頭が軽くなっている、ような気がする。
あ、頭は元々軽いか^_^。



前回、2週間経ってる、といってからもうひと月以上経った。

この次は年末くらいになるかも、と思わないではないが、

何と言ってもフランスに旅立つのをきっかけに始めたものなので、

帰ってきたところで閉じればよかったのだが、

その後いろいろあった人生の大事件が、多かれ少なかれ反映されているこの日記は、

できれば墓場まで持って行きたいと思わないではない。

となるとDNとこっちの寿命との我慢比べになるが、まあ、ぼちぼち出んな、

と言った感じで続けるとしよう。

それにしても、7人家族があっという間に単身になるとは想像すらしなかった。

ただ、まあ、なってみればこれはこれ、第3の人生みたいにも思えるが、

前人未踏ではなくして、先人がみんな歩んだ道なんだ。


がんばるべ!

2014年7月25日 日常
  あらら。2週間経っている。

  実は先週くらいに、あらら、1週間経っちゃったと思ったばかりだが、

その後も書き込むことなく1週間経ってしまった。

 そんなに忙しい訳ではないが、でも前期試験をやらないといけないし、試験監督をやらないといけないし、採点もしなくちゃならないし、

いや、研究会も、納涼会も、コンパもと、日常の業務執行とはべつの業務が入ってくる。

  いや、まだまだ、もう一踏ん張り。

 徹夜が出来なくなったが、その代わりと行っては何だが、睡眠時間は5時間くらいで足りてしまう。

 ああ、年を取った。

 眠るのも体力が必要なんだそうだ。

 眠ることすら出来ないほどの虚弱体質になってしまった、 … … …のかも。

 18切符買って出かけようとしているのだが、期末試験、採点、スクーリング、ベトナム出張と目白押し。

 ずっと欲しかったカメラもどさくさに紛れて買い込んでしまった。

 が、まだ、1枚も撮っていない。

 今日ストロボを買い、記憶媒体(SDカード)を買い、朝出がけにカメラを充電しておいたので、そろそろカメラもってのお出かけも出来そうだ。

 と、期末試験の採点をしながら、気分晴らし。

 ああ、200枚の答案か。

 さ、頑張るべ 。

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